徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

2012年12月 NHK『平清盛』神戸パブリックビューイング

2013年12月12日 | セミナー
2012年12月9日 NHK大河ドラマ『平清盛』
神戸パブリックビューイング
トークショー 抄録

ゲスト
相島一之さん(藤原兼実役)
石黒英雄さん(平宗盛役)
友吉鶴心先生(芸能指導)

磯智明 チーフプロデューサー
中野亮平 ディレクター

司会:林春蝶さん(落語家)


兄と弟のはざまで

石黒さん:重盛役の窪田正孝くんとは同じ年齢(24歳)で、芸能界でのキャリアも同じくらい。でも兄弟としての設定は8~10歳くらい違う(重盛:1138年生まれ、宗盛:1147年生まれ)ので、その対比を見せないと、と思って演じていました。窪田くんとは最初はちょっと…(距離があったらしい)誕生日(8月6日)にメール送って、それからかな?打ち解けてくれるようになったのは(笑)。(「五十の宴」での舞について)DVDを見ながら練習して…ちゃんとやったのは3回くらい?

友吉先生:その1回の集中度がすごいんですよ。

相島さん:廊下でも舞ってたよね?

石黒さん:重盛は同じ舞でも指先や振り返る身のこなしが「ぴしっ」「ぴしっ」となってるんですが、僕は先生の振り付けを見て、弧を描くようだなあと思ったので、宗盛の舞はむしろ「ゆるやかな動き」で表現しました。少し柔らかいニュアンスで。

友吉先生:二人の舞の振り付けに足を踏み鳴らして音を立てるシーンがありますが、これは大地から神様を呼ぶという意味を持っています。武家らしい力強さも表しています。それに対して摂関家の兄弟が舞ったのは大神楽で、雅やかさを前面に出しています。

石黒さん:窪田くんとはその後すっかり仲良くなって、ずっと収録中にもお喋りしていたくらいでしたが、話が全て「フューチャリング重盛」だったので、僕や知盛や重衡は影がどうしても薄い(爆笑)。だから「重盛早く死ねよー!」って言ってましたね~!(爆笑)もういいだろ、って。

※早く死ねよ!と言っても、勿論ジョークで「ものすごい仲がいい」という雰囲気が伝わってきておりました。
そして石黒さんのほんわかしたキャラとも相まって、言葉はアレですが可愛いなあ~♪と思ったものです。

石黒さん:(「五十の宴」牛若が一門の中に入ってくるシーン、知盛・重衡が「こちらに参れ」と連れ立って立っていくシーンで)「この重衡役の子(岡田慶太さん)ね、次の回から本役の辻本くんになっちゃって…せっかくこの頃仲良くなってきたなあと思ったのに」←ちょっとさみしそうでした。 


壊れたのは、竹馬だけじゃない…

※そしてPV第一部、突如石黒さんの椅子が壊れるアクシデント!石黒さんは皆から一斉に「あ!壊した?!」と突っ込まれアタフタ…ハイスツールだったのに座面が30センチほど下がってしまい、隣の相島さんと比べても顔の位置が30センチくらい低くなり何とも情けない格好に。しかも「もうそのまま下にいろよー」とさらに突っ込まれる…なんというお笑い展開!(爆笑)

石黒さん:(それでもめげずに「五十の宴」での清盛を見て)今の老けメイクとこの頃を比べると何だか違和感があります。ホントに凄いですねー!

磯P:50歳の時はまだ平家も上り調子だったので、あえて老け加減を抑えた若々しい清盛のイメージにしました。


差し入れ大好き♪

石黒さん:(乙前の出てきた33話冒頭、いきなり)そういえば松田聖子さんの差し入れは凄かったんです!有名なケーキ屋さんのケーキだと、チョコ系、フルーツ系、それにアイスとか。全部入ってるんですよ!
(リアル宗盛?と会場中が思ってしまった、ほほえましい雰囲気)


藤原兼実という人物

相島さん:歴史ものもいろいろやってきましたが、平安時代の公家の役は初めてで、これからも演じることはきっとないだろう!と思います(爆笑)。
兼実のことは役をいただいてから知りました。自分とは正反対の人ですね。史実の兼実と言う人物については儀礼考証の佐多先生に収録の合間にお話をお聞きしました。彼はドラマで描かれている「貴族の時代の終焉」を分かっていてそれを何とか延命させようと努力した人でもありました。儀礼や政、しきたりや習慣など克明に記録して残した人なので、おそらく本人も自己抑制のきいた、客観性を以て他を観察する人ではなかったかと。そういうことを調べたうえでPやDとキャラクターを造形していきましたね。 兼実の日記「玉葉」は当時の一級史料としてドラマにも内容がかなり使われています。それを知ったら自分が兼実を演じるのが恐れ多くなってきてしまいました。


顔芸も引き芸も?芝居はアンサンブル

(33話を見ながら)こういう長台詞は勘弁して~って感じ!しかも長回しなので、長い台詞を普通でも3~4回戦はやって、さらにテイクを撮ることもあるので…もう…(笑)
(「顔芸」とまで言われる?細川基房、有薗経宗に比べて引きの演技の印象が強い相島兼実さまのお芝居について)誰かが「押し」の芝居をするから「引き」の芝居ができるんですよ(笑)。他がやらなきゃ自分がやります。芝居はアンサンブルなので。ちなみに個性も実力もある役者さんばかりなので、少ない登場シーンの中でみんな「(キャラ的な)見せ場」をいかに作るか、考えていますよね。基房を演じる細川くんなんか、どのタイミングでニタァっと笑って「鉄漿を見せる」か、ものすごい狙ってきてる(笑)。

春蝶さん:経宗の「ひぃぃぃ!」みたいな台詞も言ってみたいですか?(笑)

相島さん:そりゃ、できればやりますよ!(会場爆笑)ちなみに鉄漿は、細川くんはマウスピースで、僕は塗るやつでした。温めて歯に塗って、冷えるとくっつくんです。でも落とすのが大変です。つけたまま何か食べると、そのまま飲み込んじゃう。

春蝶さん:味ってするんですか?

相島さん:味はしませんね~(笑)


大河ドラマの凄いところ

相島さん:(大河に出演しての感想は)関わるスタッフの多さも特別。スタジオの大きさはこのPV会場の3倍以上。そこに巨大なセットがあって、衣装や小道具、美術も素晴らしい。役者やっててよかったな~!と思う瞬間がありますね。
こうしてお客さんと見るのは初めてで、面白いと思います。でも舞台ならお客さんは「演じてる自分」を見るのでいいんですけど、今日は素の自分が横で一緒に演じてる自分を見る、なのでちょっとねえ…(笑)←横で石黒宗盛が激しく同意する(笑)


アドリブ&カットシーン 解説by宗盛

石黒さん:45話の木下(馬)を源仲綱から取り上げるシーンで、本当は酔っ払ったまま乗ろうとして無様に転げ落ち、手を貸せ!と怒鳴るシーンがあったんです…カットされちゃいましたが(場内から残念そうな溜息)。尻餅をつくシーンは平治の乱で頼朝と対峙した時の無様さ、トラウマにかけての芝居でした。
43話で(重盛の死から間もないにもかかわらず宴に耽っているのを)母・時子から叱責を受けるシーンでは、台本には杯に少し酒を注ぐ、とあったんですが、なみなみと注いで膳にこぼすまでやる、というのは自分のアドリブでした。

春蝶さん:さっき「盛絵」コーナーで石黒さんを見かけた参加者の方から、「実物はスレンダーですね、身体づくりや役作りはしたんですか?」と質問が来てますが。

石黒さん:もちろんしましたよ!頬の辺りは、メイクの力も大きいと思います。頬の真ん中に濃い色を塗るとふっくらして見えます。あとは重盛が頬の削げた、しゅっとした感じで両頬のサイドに陰を入れているので、それと対比で。

相島さん:(やり取りを聞いて)石黒君の宗盛はね、そこに居るだけで御曹司!って感じがしてね。育ちのよさが伝わってくるような雰囲気で、その役作りがすばらしいと思いました!


宗盛と石黒さん 

石黒さん:宗盛と似てるなと思ったのは(平家の)ゆとり世代なところ。すごく現代っぽいですよね。宗盛は情緒不安定で、自分に自信がなくて、政の勉強もしてないし…。頭良さそうなところを見せるシーンもない訳ではなくて、政関連の台詞もあったのにカットされちゃったから「そんなにバカに見せたいのか?」と思うこともありました。(会場爆笑)自分の作り上げるものはありますが、カットされることもありますよね。でもそれは監督から見ての結論で、こう見せたいという決断なので。(編集でカットされたシーンに対して)これは僕の立場から言うことはないですね。 


石黒宗盛 vs 中野D


中野D:今回初めて演出をして、宗盛の見どころを演出できて嬉しかったです。僕は石黒さんの宗盛が大好きで…取り柄ないし、バカだし、なのに水泳だけは得意で…(会場爆笑)そういうのが好きなんです!(笑)

石黒さん:ひどい…。(再度爆笑)

中野D:石黒さんの作ってきた宗盛が好きなんですが、僕もやっぱり(演出面で)細かいところでつついてしまったこともあったかと思います。
僕はあの場面で出したい「カッコイイ宗盛」に、「情けなさ」を足してつけていく感じにしたかった。

石黒さん:監督の話を最初に聞いて「分かりました」とは言ったけど、本当は分かってなくて、それで監督と読みあわせして…。

中野D:僕も気になっていたんですが、そうしたら石黒さんが。

石黒さん:僕が監督を呼びとめて、二人で脚本を読み合わせしたんです。それでやっぱり分かってなかったな、って。やってよかったって思いました。


第48回 諫言シーン 解説 by宗盛 

※このシーンは収録の前日に台本が届き、俳優さんにもスタッフにも非常に厳しいスケジュールでの撮影だったそうです。

石黒さん:宗盛の持つ、重盛へのコンプレックスなんです。
同じ諫言でも「忠と孝のはざまで」とはまったく違う角度から撮りましたね。スタイリッシュではなく、あくまでも「情けない」…撮る角度も下からのアングルで。
(清盛に対峙するシーン)お芝居の対比として、兄はシュッと振り返ってましたね…あの重盛の挙措とは逆に、自分は床を這ってズルズルッとした感じで振り返りたいなあと。そんなふうに宗盛としての芝居に変化をつけました。


第48回 見どころいろいろ

友吉先生:48回の見どころは五節の舞です。注目すべき点として現代に残っている雅楽には無い「尺八」が入っています。当時の参考にするために六百年前の尺八をお借りしました。
五節の楽人の装束も、一揃い三百万円ほどするものなのに人数分用意していただきました。五節の舞姫の一人は祇園先斗町いちばんの売れっ子・もみ寿さんです。お座敷の予約が取れないことで有名で。

春蝶さん:よくそんな方をお呼びできましたねえ…!

友吉先生:ふふふ。←ちょっとお茶を濁したような笑い 

中野D:清盛自身が老いて弱って、平家も滅亡していく「諸行無常感」を感じるしみじみとした回です。俳優さんの表情、特に沈着冷静な兼実が取り乱すところと、カッコイイ宗盛にぜひご注目ください!

磯P:でも「哀しいもの」を作っているつもりはないですね。

石黒さん:自分の演じている作品をこうやって(観客と)見るのは恥ずかしいですよ。そもそも『平清盛』自体、一視聴者でしたから、宗盛役のオファーが来た時は、もうビックリしました!


オープニングの後ろで

石黒さん:そういえば、公卿バージョンOPになってから松山さんと話したんですが、宗盛がOPに出るとしたら、舞っている清盛の後ろで「ひたすら」屈伸運動をしてるんじゃないかって。あの「ジャン!ジャジャジャン!」のところでイチニ、イチニ…ってひたすら屈伸!(会場内大爆笑!)



***** 本盛後 トーク再開 *****

磯P:ラストの清盛、意外でしたか?「ようやった」この台詞は、ひとつは清盛自身の成長の証だったと考えることが出来ます。今までなら怒りのまま殴り、蹴り倒していた(一門皆が俯いているのはそれを予期したせい)のが、変化して…もしも清盛があと5~10年生きたなら、息子たちも成長して源氏といい勝負をしたんじゃないかって思います。
小兎丸との別れのシーンで頭を下げたのも、兎丸との約束を半ばで諦めざるを得なかった後悔だけでなく清盛の成長でもあると思います。 回想シーンが多いのは、そこに必ず「意味づけ」がある、脚本の藤本さんのスタイルです。ただ書いてあるのは(回想)ですが、演じるほうは(映像がない状態で芝居をするので)大変ですよね。その場面の情景、感情を思い出さないといけないので。


兼実が感情を露わにした、その理由

相島さん:(今回の兼実の立ち位置とお芝居を振り返って)摂関家という有職故実を大切にする側の人間として、兼実は政治の現状に途方もない危機感を抱いていたと思います。福原への遷都の時は「入道が言うなら」と不承不承従うしかなかった兼実も、今回「還都」とはっきり口にできたのは、彼自身が平家政権が傾いてきたことを悟ったからこそ言えることなんです。
今回、これまで冷静沈着な兼実が初めて表情を変えて取り乱す場面(重衡による南都焼討)があります。南都焼亡は我々現代人が「奈良の大仏が燃えてしまった」というニュースを聞くのとはわけが違うレベルで。どのくらいの衝撃を当時の人々にもたらしたか、監督とも話し合いました。多分、それは自分たちが今(新首都の)神戸にいて、もともとの首都であった東京(=はるかに歴史も長く規模も大きい)が、跡形もなく焼け野原になってたと聞いたのと同じか、それ以上の衝撃だったはずでは?そんな知らせであれば、さすがの兼実もおそらく相当の衝撃を受けるだろう、だったらどんなお芝居になるか…と監督と話し合いました。

友吉先生:そして「聖武帝の詔」という一連の台詞ですが…聖武天皇と言う存在は藤原一族の光明子を妃に迎えて(=初の非皇族出身の皇后)「藤原氏を藤原氏たらしめた」(=外戚としての先例を作った)帝です。「大聖武帝」とも呼ばれていたほどの存在です。藤原氏にとっては大恩人の聖武帝が(日本国の大本山として)「若(も)し我が寺興復せば天下興復し、我が寺衰弊せば天下衰弊す」とまで言った寺を…ですから。これはとんでもない出来事なんです。

相島さん:こういう話を聞いたことでお芝居も発展します。考証の先生、スタッフの方、いろんな人の助力があって…ドラマ作りの醍醐味ですよね。でも、一方で自分は「ああいう知識がスラスラ出てくるなんて、この人(兼実)はすごい勉強してたんだろうなぁ~」なんて思ってましたが…(爆笑) 


(個人的感想)
兼実が叱りつけるように関白基通に言い放った台詞の裏側には、父・基実の早世で摂関家の嫡流として十分な実践教育を受けられず、有職故実の引き継ぎができなかったことで、基通自身が関白としての責務に堪えない場面が多々あった(=低く見られた)ことがあり、そんな「大聖武帝の詔」「藤原摂関家の背負う歴史」も満足に知らず、安易に平家を庇う発言をした甥への侮蔑も含まれていたのではないかと思いました。 (「玉葉」にも言及あり) ちなみにドラマでは、基実と盛子の婚姻に際し、忠通が清盛に渡した「日記」が、故・忠実の書いた「富家記」となっています。


帰りなん、いざ・・・

友吉先生:五節の舞で謡われたのは陶淵明の「帰去来辞」、この詩は藤本さんのチョイスです。帰去来夸(かえりなん いざ)田園将蕪胡不帰(でんえん まさにあれなんとす なんぞかえらんとす)…切ない歌ですがメロディーは華やかなものに、と演出からリクエストがありました。

春蝶さん:これでもか、と言う悲しいメロディーよりも、明るいものの方が逆に泣けてしまう時もありますよね。

友吉先生:琵琶も同じです。師匠には謡い手の感情をこめるよりも、一語一語をはっきりと伝えることで、聞き手の感情を呼び起こすようにと言われました。


演じる人物への思い

相島さん:歴史上の人物を演じることはこれまでもありましたが、実在のその人物に「近づけたらいいなあ」と思いながら芝居をしています。悪役や憎まれ役なども多いんですけど(笑)、自分が演じることで「悪い奴!」なんだけど「でも!」というか、どこかで「チャーミング」な部分を出せればいいなと思っています。

春蝶さん:このドラマは悪役が一人も居ないと思います(会場大きくうなずき)…見ていて理解できない人も居ない(賛同!)…善でも悪でも、自分の中にそういう両面が必ずあると思って観てしまうんですよね。


会場とのQ&A

Q:松山ケンイチさんと共演しての感想は?

相島さん:役になりきろうとしているのがいいですね!丸刈りもびっくりしました。今の特殊メイクでは本物と遜色ないのですが、彼は何の迷いもなく剃髪をやってきた。その人に「なりきれる」人なんだと思いました。

磯P:松山さんは清盛を理解しようとする努力を惜しまない方でした。

相島さん:役を自分のほうに引き寄せる人ではなく、役になりきろうとしていましたね。(役のアプローチが)そうでない方もいます。
芝居はまず台本ありき、描かれた人物像ありきなんですが、役を自分に引き寄せる、役自体を「自分そのまま」に近づける人もいます。そういう方は「映像(作品)」に多いですが…。逆に役になりきってしまうことで、役が敵対関係であれば控室でも挨拶もしない、ヤな感じというのをお芝居を離れても徹底して通す方もいます。(笑)やっぱり仲良くなっちゃうと、その距離感が芝居に出ちゃうんですよね。(会場爆笑)

石黒さん:もっとしゃべりたいですね、会場の人の質問にもっとお答えしたかったです。
(と、時間が終わってしまうのを名残り惜しそうにしていらっしゃいました。)


≪了≫