まさか前回の日記からまる1年放置していたとは。(フルダ編は未完放置してあった)
反省しきりの庵主です。ええ、コロナにも感染せず、なんとか生きてます。(笑)
このままでは草庵どころか廃屋になってしまう、と思い、この週末は少し手を入れることにしました。
まずは「去年何やってたっけ?」という、リハビリを兼ねての書き起こしから…。
(結構記憶をたどると抜け落ちてるイベントが多いことに気づいた)
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2019年末
ドイツに転居して、まず「挨拶レベル」のドイツ語を何とかしないとヤバい!ことに気づいた私は、さっそく語学学校に入学手続きをした。当然ドイツ語能力診断テストがある。数年前にドイツ語はA1(基礎)レベルの合格証を得ていて、多少なりと記憶が残っていたのは幸いというべきか。(イタリア語よりは全然使えないレベル)
ドイツには最長でも1ヶ月程度しか居たことがなかったので、国際都市フランクフルト、英語で何とかなるやと高をくくっていた部分があったのは認める。実際、腰掛程度の滞在期間なら日常生活で不便を感じたことはなかった。しかし!引っ越してからというもの、予想以上に日常生活では英語が「通じない」ことに気づいて愕然とした。これはまずい。サバイバルの第一歩、必要な情報を得るためにも、現地語の習得は不可欠である。イタリアではイヤというほど身に染みたが、まさかフランクフルトでドイツ語やる羽目になるとは…本当に、人生とは予想がつかないものである。
2020年1月
年末年始の日本滞在から帰国後、語学学校で〇年ぶりのドイツ語履修を始める。ただ、最初に門を叩いた(ドイツ最高峰のレベルを誇る)私立語学学校のクラスはその学費の高さもあって、皆英語ペラペラで「会社に言われて来てる」「滞在ビザ取る時に義務付けって言われた」とか、あまりモチベーションが高くなく、こりゃダメだな、ここにいても上手くならない、と危機感を抱いたのは事実。というわけで、早期習得に向けて別の公立語学学校のクラスにエントリーし、午後に3時間半(週5日)→夜に3時間半(週2日)というダブルスクールをこなす。
比較的暖かい冬で、ドイツのサッカー「ブンデスリーガ」も地元フランクフルトのナイトゲームに足を運ぶのが苦にならない程度。せっかく近くに引っ越したのだから、我らが長谷部誠選手が現役でいるうちは1回でも多く見ておかねば。
2020年2月
中国から原因不明の新型肺炎・感染症のニュースが伝わり始め、それまで至る所に溢れ返っていた中国人ツアー客がヨーロッパ中から消えた。ある週末に訪れた「城跡と大学の町」ハイデルベルクの街角では「マスクありません(売切れ)」という張り紙を見かけた。中国人のいないスッキリした表通りは、20年以上前のヨーロッパを思い出させた。地元民は「観光バスの排気ガスがなくなった」と喜んでいたが、この先、彼らのもたらしていた巨大なインバウンド需要を失って大変なことになるとまでは考えていたかったに違いない。
ドイツ名物のカーニバル(2020年は2月23日)は、通常通り実施。強風に雪の舞うとても寒い日だったが、華やかなパレードや菓子撒き、音楽バンドの演奏などで国中が盛り上がる。一方、カーニバル準備中の群衆に車が突っ込むテロ事件など、隣市ハーナウで起きたイスラムヘイトによる無差別殺戮事件、大晦日に起きた移民によるケルン暴力事件の影響なども含め、世情の不安定さを思わせる出来事も。
そんな中、欧州におけるコロナ感染はイタリアで大惨禍となり、1日1000人を超える人間が死んでいく、埋葬する場所のない遺体が軍車輛で運ばれていく、という戦時中のようなニュースを目の当たりにした。続くスペインでも医療崩壊が起き、病院に感染者や死者を残して医療関係者が逃げ出すという事件もあった。
それでも2月のうちはドイツ国内は比較的落ち着いていた。街中でマスクをするドイツ人もほとんどいなかったのを覚えている。2月24日にはブンデスには珍しい(欧州リーグの試合開催スケジュールとの兼ね合いで)月曜開催のナイトゲームを見に行った。サポーターグループが月曜(平日)開催に反対して、応援をボイコットしたため、ホーム側ゴール裏は空っぽだった。まったく、子どもっぽいことしやがって。案の定チームは負けた。
2020年3月
3月13日(金)突如、ドイツ連邦政府がコロナ感染者増を受けて全土で「ロックダウン」を宣言。スーパーマーケットやドラッグストア、薬局など日常生活に最低限必要なものを扱う店舗以外は全て休業。レストラン、ジム、公共施設、役所、学校も閉鎖。通学していた語学学校も「今後については連絡を待つように」というメールがあったのみで、突然の中断となった。(個人情報保護のシステムが悪い方に働き、私たち生徒もフリーランスでクラスを担当していた講師も、お互いに連絡の取りようがない状態であり、まさに放り出された、といった具合)EU・シェンゲン条約圏内でありながら国境の行き来も閉ざされるという異常事態。企業はホームオフィス化を急速に進め、これ以降ドイツの社会は大きく変わっていく。マスク着用が義務化され、不織布のマスクなどは一時期「完売」状態にはなったが、幸い日本のような転売騒ぎが起きるほどではなかった。
サッカーを始めプロスポーツも一時中断されたが、その後「無観客開催(ガイスターシュピール)」という形で再開されることになる。
2020年4月イースターまでには状況が好転するのではないか、という人々の願いもむなしく、コロナ感染拡大は続き、ドイツ民が楽しみにしている「南の国での休暇」もお預けのまま季節が移ろっていく。ただドイツ国内での感染状況は峠を超えたという見方が強まり、5月第2週末にロックダウンが解除される運びとなった。
やけっぱちになって自炊に精を出していた成果。
2020年5月
マスク着用という欧州にはかつてない習慣を数ヶ月で一般化させたコロナ禍はいったんナリを潜め、レストランやバーも再開し、街に賑わいが戻り始めた。営業スペースの広さに合わせて収容する客の数を調整する、テーブル間の距離を空けるなど、これまでにない新しいルールの中で、少しずつ「以前の生活」を模索する日々。学校はやはりクラスター発生源としてマークされているのか、依然として再開しない。その間は自習で日本人向けのドイツ語テキストを山ほど勉強し(ロックダウン下ではほかにすることもない)忘却防止に努めた。
2020年6月
5月中はおとなしくしていたが、さすがに引きこもり生活も少し息苦しくなったので、世間のリラックスムードに誘われて遠出を試みる。まずはヘッセン州内で、北部のカトリック都市フルダ、西北部の大学で有名なマールブルクと近郊のフランケンベルク。中世の街並みが残る田舎町は人手もそれほどではなく、リハビリがてらの散策と日帰り旅にはもってこいであった。
初旬から週2回で語学学校のオンライン授業(全8回)が在籍生向けに無料で行われることになった。おそらく講師のトレーニングやシステム運用を兼ねての実験だったのだろうが、まったく機能せず。20人以上のオンライン会議状態で、時折講師側の接続が不安定になったり、マイクの声が割れたり、なかなかひどいもので、クラスメイト同士で「タダだから許せるレベル」と文句ばっかり言っていた。(苦笑)
なお、もともとこの時期に一時帰国するつもりで飛行機のチケットを取っていたが、出入国の制限が厳しいままだったので、あきらめてキャンセルした。未だに「いつになったら出入国の制限が緩和されるのだろう」とは在欧日本人の間でのあいさつ代わりのようなものである。日本のシステムは未だ外国人入国者には駄々洩れでザルな割に、在外邦人には不親切な仕組みになっているが、これも時節柄仕方なかろう。
この6月末には、年末に帰国して以来ドイツの国境を初めて超えて、隣国オランダのデン・ハーグとデルフトに2泊3日で(外国とはいっても列車で片道4時間!)出かけた。目的は「真珠の耳飾りの少女」!隣国オランダはドイツより早くロックダウンを解除し、街中のマスク着用義務もなく、驚くほど自由だったのには驚いた。ドイツ語がまだそれほど自由に使えないレベルでもあったので、英語でスムーズに要件が通じることのストレスフリーさと言ったら!(笑) なお美術館は事前予約制、各展示室には広さに応じて定員制が設けられ、過密状態が生じないように工夫されていた。おかげでゆっくり名画を見て回れた。
2020年7月
中旬、ようやく語学学校の対面授業が再開。じつに4か月のブランクである。この時は、校舎内・廊下やエレベーターなど共通スペースではマスク着用、教室内ではマスクなし可(ただし換気のため窓は開放)という謎ルールであった。
スポーツジムでの通常の運動もOKになり、バドミントンやスカッシュをしたり、友人宅でピザパーティー・バーベキューをするなど、公共交通機関のマスク義務などは残っていたものの、7~8割くらいの感覚で「日常生活」は戻りつつあった。しかしこの夏はとても暑く、40℃近い熱波が1週間ほど続くなど、冷房のないドイツの住宅事情を恨むことはなはだしかった。(扇風機しかない!)
以前の生活が戻りつつ…とは言っても、夏の野外フェスや、マイン川沿いの花火イベントなど、多くが中止され、コロナ禍を完全には抜けきっていないことを嫌でも思い知ることになった。
2020年8月
相変わらずの暑い夏ではあったが、もともと南国にあこがれるドイツ民、ベランダで甲羅干しできるなら安上がりで良いのかもしれない。ドイツ名物のオクトーバーフェストは早々に中止が告知され、国内外のビール党を悲しませた。ブンデスリーガは50000人規模のスタジアムに1000~5000人程度の観客を入れて試験運転状態で開幕を迎えた。(のちに無観客に戻る)
ただ海外渡航はほぼ自由な行き来が戻り、3月以降空からまったく姿を消した飛行機も、フライト数は前年比の半分程度、それ以下とはいえ、運航を再開しつつあった。ちょうど語学学校も8月末から学期末10日間の休みがあるので、出かけてみようかと計画を立て始めた。
2020年9月
10か月ぶりのイタリア(前回2019年11月はシチリアに行っている)、1年半ぶりのボローニャへ。元々とっていたアリタリアが直前で運休になり(コロナ禍が始まって以降、こうした欧州内路線の頻繁なリスケジュールや運休はよくあることになり、そのたびに予約を取り直したり旅程を組みなおすはめになった)、ルフトハンザ傘下の「エア・ドロミティ」でフランクフルトからミラノ(リナーテ空港)まで飛んだ。
搭乗前の検査は不要だったが、機内で申告書(宣誓付き)に感染の有無、過去2週間の滞在地、宿泊先、電話番号、メールアドレスなどを記入させられる。機内サービスも飲食提供によるリスク軽減のため、いつものワゴンによるドリンクサービスではなく、ペットボトルの水と、個別包装のクッキー二枚、プラス、アルコースジェル消毒薬というラインナップに。これはこれで全然問題はない。
イタリア旅については詳細は別途にまとめる予定。ボローニャ、ロマーニャ地方の各小都市、アドリア海、ミラノ、ベルガモなどを1週間回って、心行くまで毎日うまいワインを飲み魚介類を食べまくった…。ドイツは魚がないんだ…。
2020年10月
夏の間羽目を外していたのだから当然の報いだろうか?欧州は再びコロナ感染者が増え始め、いわゆる「第二波」の危険性が叫ばれ始めた。特に恐ろしいことに、イギリスではかつてのイタリアやスペインを軽く凌ぐ勢いで感染者・死者ともに増え続け、第二次世界大戦中の戦死者の数を超えたと聞いたときは流石に慄然とした。変異株、という言葉が新たに辞書に加わり、イギリス変異型、ブラジル変異型、などドイツ内でも感染者が増加していく。ドイツ国内の1日当たりの死者の数は、第一波で「悪夢」と言われたイタリアの数字をはるかに超え、第二波の感染力の強さと恐ろしさを実感させた。(死者の多くは、老人介護施設に入居する高齢者であったというが、この国ではもともと高齢者の疾病にあたって無理矢理な延命治療を施さない。そういう慣習が影響したのではないかと個人的には思っている。)
ついに連邦政府が2度目のロックダウンを決断するが、それでも当初は「緩い」制限でしかなかった。何故か旧東独のザクセン、チューリンゲン、ザクセン・アンハルト各州とベルリン辺りが目立って状況が悪化したにもかかわらず、ここヘッセンではそれほどでもない、という印象を住民の皆が持っていた。なあに前回のロックダウンは2か月間だった、だからクリスマスまでには何とかなるだろう、と甘く考えていたドイツ民だが、その期待は見事に裏切られる。いっそ清々しいほどに。
2020年11月
ロックダウンは続き、学校へ通学する以外はほぼ外出する用事もなく、引きこもって生活している。ドイツ名物、冬のクリスマスマーケットは例年11月の最終週から12月のクリスマス前後まで各地で開催されるが、これも中止となった。昨年はフランクフルトだけで300万人もの観光客がクリスマスマーケットを見にやってきたという話なので、これまた巨大な経済的損失である。オンラインサイトでクリスマスグッズや地方の名産品を買えるようにはなっていたが、これでは気分が出ない。
語学学校もB1(独検2級以上レベル)クラスがようやく終了し、試験実施を待つばかりとなったが、コロナ感染拡大により大規模な試験実施が難しいということで、越年になるかも…という噂を聞いた。語学学校も困ったのだろう、本来はB1試験を受けてから受講する「ドイツ一般教養(Leben in Deutschland)」の履修を前倒しで実施すると連絡があった。難民移民問わず、ある条件下でドイツの滞在ビザを得たら履修を義務付けられている「インテグレーション(同化)・コース」の一環である。←インテグレーション・コースについては、また別途詳しく書き残しておきたい。稀有なドイツの移民教育システムである。
「ドイツ一般教養(Leben in Deutschland)」これは週3回の対面授業で、ドイツの第一次世界大戦後(ワイマール共和国時代)からナチス独裁、第二次世界大戦を経て現在に至るまでの近代史を徹底的に学び、さらに社会制度や政治(選挙制度や民主主義そのもののシステムも学ぶ)に関しては討議やらプレゼンやらがあり、なかなかこれが面白かった。聞く話では、戦争難民などでまともに民主主義を知らない(政治的独裁下にあったりする国)人も多いため、日本だったら小学校高学年で習うようなことをあえて教えるのだという。また、ナチス時代のホロコーストや迫害についても容赦なく学ぶので、これも自分が過去に受けた歴史の授業の内容と比べるのは興味深かった。
2020年12月
クリスマスマーケットは中止になったが、フランクフルト市役所の前(レーマー広場)には大きなクリスマスツリーが立った。普通なら周囲はメリーゴーランドや諸々の美味しいドイツのスナックや熱々のグリューワインを提供する屋台でいっぱいに埋め尽くされるのだが、広場は閑散とし、ぽつんとツリーだけが立っている光景はわびしいの一言に尽きる。
いっこうに収束しないコロナ感染拡大のため、クリスマスの前、16日(水)に「新年までに及ぶロックダウン期間延長」が告知される。これで、年に一度の大書き入れ時な飲食業界は完全に商売上がったりになった。(もちろんテイクアウトなどで細々と営業はしているが、落とす金の額も頻度も比べ物にならないだろう)また欧州ではクリスマスというのは、日本でいうところの盆正月で、それぞれが実家に帰省し、家族親戚一同が集まって飲み食いし、ワイワイと近況報告をするのが通例。この「州をまたぐ移動」も禁止令(禁止と言っても罰則があるわけではなかったはず)が出て、州内であっても感染指数の高い地域は15キロ以上の移動、あるいは他の自治体エリアへの移動を禁じるなど、なかなか厳しい内容ではあった。これについては「通勤はどうなるんだ」などと市民から大きな反発があったので、のちに緩くルールが改められた。
語学学校もこのあおりを受け、私のクラスは試験2日前になって「延期」通達があり、生殺しか!と。1週間早く開始していた別のグループは、この1週間が明暗を分け、無事年内に予定通り試験を受けられたのだから、不運というよりほかはない。(結局、年明けて2021年2月15日に試験は行われた)ただ、クリスマス休暇直前であったせいか、授業そのものは18日の最終日まで続行し、カリキュラムを終えることができたのは幸運でもあった。
もちろん、ドイツはこんな状態で、日本は輪をかけて混迷の度を深めていたので、年末年始の帰国はまたもキャンセルとなり、予約してあった航空券は払い戻しになった。マイレージ特典航空券なので、こういう時変更が割とフレキシブルにきくのはありがたいが…。ドイツ国内や欧州内の友人知人が「年末年始遊びに来ないか」とは誘ってくれたが、これまた難しい状況であり、お断りせざるを得なかった。無念。しかも今シーズンは昨年とは打って変わって、雪がよく降る寒い冬になった。いろいろな意味でトホホである。
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そして何が無念かというと、今これを書いている2021年5月になっても、一向に状況は変化せず(ドイツは多少ワクチン接種が進んでいるだけマシか?)、先も見えない状況でロックダウン生活を続けていることである。私のドイツ生活はこんなはずではなかったのだが…。
(たぶん2021年の記録に続く)