徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

ゴーストライターという共犯関係

2014年02月06日 | その他
35歳で聴覚を失いつつも数多の作品を発表し「現代のベートーヴェン」の異名で知られた某作曲家が「作品はゴーストライターの手によるもの」と明らかにされ、世間の批判が集まっている。
この場合「ライター(作家)」というよりは「コンポーザー(作曲家)」と言った方が正しいが、そこら辺へのツッコミは一旦脇に置いて、さて「本当の作者」と「作者として名前を出している人物」の間に何があったのか、何故このタイミングなのか…?私も事の成り行きを興味深く見守っているひとりである。


というのも、自分がかつて「ゴーストライター」として「ある人のために」書く側だったからだ。
※業務の一環で前任者から引き継いだ。期間は4年間と少し。


そんな経験を踏まえて考えてみると、私は「作る人間」と「発表する人間」のあいだには、ある種の「共犯関係」が成り立っている、と思う。何らかの事情があって「表に出られない人間」と「表に出ざるを得ない人間」、または「できない人間」と「できる人間」の利害が一致していて、なおかつ得られる利益が納得のいく形で双方に分配されるのであれば「ほんとうのこと」をバラすのは百害あって一利もない。むしろ「言ってはいけないあのこと」を共有した永続的な関係になる方が自然だ。もちろん「秘密は墓場まで持って行く」大人の約束ができる前提での話である。

そして「共犯関係」から生まれた成果物--この場合は音楽作品だが--のクオリティ、これはプロセスとは無縁に評価されるべきものだとも思っている。こう言うとお叱りを受けるかもしれないが、ゴーストライター(コンポーザー)によって「作られた」作品は、あくまでも「制作者と発表者が違う」だけの話である。無論「なりすまし」や「贋作」などというものでもない。そして、共犯関係から生まれた作品そのもののクオリティが高く、見聞きした人々の耳目を奪うほどならば、それはそれできちんと賞賛されるべきものだろう。


だが今回、ふたりの「共犯関係」は破られた。


繰り返すが「作品そのもののクオリティ」は、この暴露された事実とは違う次元にある。
それだけは私の変わらない考えである。


一番気になること…何が制作者の彼をして、いま、このタイミングで口を開かせたのだろうか。


報酬額の問題?
それとも名誉欲?

あなたの賞賛するその曲は、私が書いたんだ!という承認欲求?
あるいは人を欺き続ける「共犯関係」、抱える秘密の重さに疲れてしまったのだろうか?


今後もしその理由が語られるなら、聞いてみたい。
日陰者に甘んじることを受け入れ、秘密を墓場まで持って行くつもりの私でも、「同業者」としての興味はやはり捨てきれないのだった。



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ここまではお昼に書いたのだが…午後に「ゴーストライター(コンポーザーと呼びたい)」本人の会見内容を読み、大変驚いた。彼が自己の行為を表現した語彙の選択が偶然にも似通っていたこと、それ以上に「そもそも『現代のベートーヴェン』自体が作られた設定である(=そもそも耳が聞こえている)」と暴露したことにもだった。流石に私もそこまでは考えが及ばなかった。
仮にそれが事実とすれば、共犯のもう片方は何とまあ希代のストーリーテラーであろうか!と言わざるを得ない。いやはや大した役者、否、セルフ・プロデューサーである。直観だが、このふたりのほかに、第三の当事者…「このプロジェクトを仕掛けた人間」が存在するような気さえしてくる。


陰は単体では存在しえない。
光と対になってこそ、初めて形を成す。


謝罪とともに語られた内容は、この人が間違いなく「プロ意識の高い、本職のゴースト」であることも伝えていた。私の心に残ったのは「作品は二人のやり取りが生み出したもの」という言葉だった。この意識は「実際にやった人間」だけが分かる。むしろ記事になって紹介された文面、内容だけなら、私は同業としてその徹底ぶりに敬意すら感じたのだ。ファンや市場を欺いたことにではない。そのゴーストとして求められる美徳、つまり(ある種の)無欲さに対してである。

生半可ではゴーストは務まらない。
契約を交わした相手の持つイメージを理解し、それを成果物として具現化させるのは生易しいことではない。

彼らの「共犯関係」は、一方の望まない方向に転がり出すまでは上手くいっていたのだろう、そして「オプション」が付くにつれて、耐えられなくなっていった…その経緯と彼の心情は何故か(不思議なことだが)手に取るように理解できる気がした。



さて、「共犯」のもう一人は何を語るか…どんな幕引きが待ち構えているのだろうか。


野次馬的な興味と、ひそやかな共感とともに、見守っていきたい。




※フィギュアの高橋選手に関してはもう本当に気の毒というか何と言うか…それは全然別の次元の話!!!