(つくでMTBスクール校長 黒田れおん さんより)
黒田です。
大震災から3週間経ちました。
阪神淡路大震災で、家も事務所も何もかも失った友人が、
大勢の人に支えられたお礼だと言って、大量の救援物資
をトラック3台に積み込んで、南三陸町に行っています。
彼からの第一報は、同じ大震災の後と言っても、神戸とは
全く違う、と言います。
直後の滅茶苦茶な状況は、そう違わなくても、神戸では、
1週間後、2週間後、と、めきめきと状況が回復していくの
が、誰でも感じられたのに、南三陸町では、道路は車が走
れるようになり、自衛隊員や消防団員、住民が、行方不明
者を探したり、瓦礫の片づけをしているのに、事態が好転
しているような気がしない、それどころか、ますます悪くなっ
ているような気さえする、と言うのです。
あまりに壊滅的な状況だからなのでしょう。
彼は言います。
日本全国の健康で働ける人が、ひとり残らず、順番にここ
に来て、人海戦術で対応するくらいしないと、なんともなら
ないのではないか、と。
避難所はあっても、3週間以上経って未だに、電気も水もな
く、炊き出しをしようにも、鍋も釜もなく、ドラム缶を半分に切
ったもので、煮炊きしている有様とのことです。
1000人分のトン汁が、あっと言う間になくなって、自分たち
は朝から何にも食べないで、空腹のまま、冷え込む夜を一睡
もできず過ごした、と言ってきました。
報道されているより、はるかに現実は厳しいようです。
私が経験した、阪神淡路大震災より、ましてそれに学んで対
応できていた新潟中越大地震より、比べものにならない悲惨
な状況が、現地では今日も続いているようです。
続きを読む
↓
http://blog.goo.ne.jp/a1000_2006/e/a826e52442ecf546589678d23d9858cb
黒田です。
大震災から3週間経ちました。
阪神淡路大震災で、家も事務所も何もかも失った友人が、
大勢の人に支えられたお礼だと言って、大量の救援物資
をトラック3台に積み込んで、南三陸町に行っています。
彼からの第一報は、同じ大震災の後と言っても、神戸とは
全く違う、と言います。
直後の滅茶苦茶な状況は、そう違わなくても、神戸では、
1週間後、2週間後、と、めきめきと状況が回復していくの
が、誰でも感じられたのに、南三陸町では、道路は車が走
れるようになり、自衛隊員や消防団員、住民が、行方不明
者を探したり、瓦礫の片づけをしているのに、事態が好転
しているような気がしない、それどころか、ますます悪くなっ
ているような気さえする、と言うのです。
あまりに壊滅的な状況だからなのでしょう。
彼は言います。
日本全国の健康で働ける人が、ひとり残らず、順番にここ
に来て、人海戦術で対応するくらいしないと、なんともなら
ないのではないか、と。
避難所はあっても、3週間以上経って未だに、電気も水もな
く、炊き出しをしようにも、鍋も釜もなく、ドラム缶を半分に切
ったもので、煮炊きしている有様とのことです。
1000人分のトン汁が、あっと言う間になくなって、自分たち
は朝から何にも食べないで、空腹のまま、冷え込む夜を一睡
もできず過ごした、と言ってきました。
報道されているより、はるかに現実は厳しいようです。
私が経験した、阪神淡路大震災より、ましてそれに学んで対
応できていた新潟中越大地震より、比べものにならない悲惨
な状況が、現地では今日も続いているようです。
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