僕が借りて来た図書「京都の闇(関裕二)」の中で、僕は4章(現代に残る平安京の裏事情!)ここを読む。みなが、歴史を読むのに聊か苦労しているのは明白、僕なりに助言をして上げるのである。この歴史書を書く関君もそうだが、歴史的に登場している人物らも、正に分からないことが多い。いやいや、この章のとあるタイトル’秦河勝は祟る鬼だった’と言う項で(あるいはそれ以降)、筆者は内実はよくは分からないなりに、こう申している。
いや、秦河勝は風に任せ、西に行くと播磨の国に辿り着き、その地の人から神と崇められると国は豊になったと言う。聖徳太子が物部氏を平したときも、この秦氏の神通力が功を奏しているのだと言う。
いやいや、現実は実はこうなってはいない。昔から’ズル’と言うのはあって、世を惑わす。当に呪符なる魔法攻撃がこの世にあり、この秦河勝も、呪符系の魔法攻撃を得意としていたとすると(あるいは・・)、特にズルを極め、無敵を誇る呪符(魔法)攻撃を手に入れているとするなら、この物がいちいち日本の初期頃当然世間を賑わす、聖徳太子や蘇我氏、これらのものからすれば小さい虫っけら!程度の輩、こう思われているのである。無論、この本の著者は関君と言う一般青年で、この日本と言う地のものから考えればまるで隅っこに入るような人物目線が精一杯だ!関君から見ると、秦氏の方が聖徳太子や蘇我氏、物部氏より大きく見える!
一方で、このように秦氏が聖徳太子等より一枚上手とする論述をする中で、次に村上天皇が聖徳太子の「申楽延年の記」から、仏法を称えると、国は穏やかに、民は静かに、寿命は伸びていくことを知った!とある・・・。
いやいや、今の日本で歴史を明かし、日本の有様を言うとするなら、この関君が言うような目線で考える日本と言うのは実は間違えだ。何が本当か?と言うと、この次の項に出ているが、歴代天皇が広隆寺の聖徳太子像に、即位儀礼の服を送り続けている、と言う関君がまともに解けない謎を解き明かす、あるいは信じて進む道を選択する方が正しい!のである!それは、日本書紀の読み間違えか、秦氏の言い分(あるいは優先に秦氏を称える)を先に取るか、それとも天皇が取る行動を先に(当然)信じるか?と言う二択である!当然、普通は天皇の言動を真っ先に信じるが当たり前で、この場合天皇家が聖徳太子に、即位の服を送っている!と言う事実を認識する方が得なのだ!
いやいや、物事はどこに自らの主眼(まあ自己修行の成果なのだが・・)を置くか?でまるで違う結論が用意される!古史に出て来る有名な集団で、蘇我氏とそれに対しては虚ろな藤原氏と言うのがある。関君の言い分では、蘇我氏よりも、藤原氏が優勢にことを運ぶ、歴史の勝者!と言い張るだろうが、本源的に歴史の始まりの方に出て来る蘇我氏が後追いする藤原氏より、力が上だ!とするのは、いつも当たり前の話しなのだ!僕は、藤原は歴史的にもそうだが、中間君と僕が称するように、途中参加で歴史に参加している新米君だ!要するに、それまで歴史があって、僕が特に言う、
1、卑弥呼史
2、ヤマト史
3、飛鳥史
この辺の歴史の中身が分からず、途中参加で我一番!と大はしゃぎするまあそれまでの赤ちゃん集団だ!
いやいや、この本の著者関君が飛鳥史程度に言う秦氏と言う氏族が、藤原よりも前に合ってより(何も知らず)出しゃばる単なる一族と言う事もよく知らず、この手のものが例えば蘇我氏よりも一枚上手!とする論調は、僕にはお笑いなのである・・・。
歴史的に(ちょ~う細かいが!)、大生部多が世間に邪教を広め、秦河勝が成敗した!と言う逸話があり、’常世の神を祀れば、貧しいものは富を得、老いたものは若返る!’と言う、このものの詐欺的な邪法は、まあ聖徳太子や蘇我氏と言った日本を代表する民からすると、この辺の輩が底辺で蠢いている程度の揺れ、日本の僕が言う
:天皇って何?
と、言うが精一杯の身分のものは、大生部多が齎す邪教(詐欺)とそれを懲らしめる秦氏と言う構図がまあぴったりの、まあ余程小さい身分のものが起こし果てている小さな動乱いつもこれなのである。
いや、歴史(日本)を読むにどうすればより良く日本史を読み解けるか?と言うことに関しては、小さい大生部多と秦氏の混乱を見ているのではなく、一方にある聖徳太子や蘇我氏と言う古来からの有力豪族を基準に見るのである!大生部多や秦氏、はたは藤原氏を先に追っかける歴史の読み方では浅瀬に乗っかる船のように全く動かない自分に出会う!
ではでは、またまた日本史と言う代物が言う、ここではその日本史の(正しい)読み方を伝授する!と言うことで!!
また次の機会にさようなら~!
いや、秦河勝は風に任せ、西に行くと播磨の国に辿り着き、その地の人から神と崇められると国は豊になったと言う。聖徳太子が物部氏を平したときも、この秦氏の神通力が功を奏しているのだと言う。
いやいや、現実は実はこうなってはいない。昔から’ズル’と言うのはあって、世を惑わす。当に呪符なる魔法攻撃がこの世にあり、この秦河勝も、呪符系の魔法攻撃を得意としていたとすると(あるいは・・)、特にズルを極め、無敵を誇る呪符(魔法)攻撃を手に入れているとするなら、この物がいちいち日本の初期頃当然世間を賑わす、聖徳太子や蘇我氏、これらのものからすれば小さい虫っけら!程度の輩、こう思われているのである。無論、この本の著者は関君と言う一般青年で、この日本と言う地のものから考えればまるで隅っこに入るような人物目線が精一杯だ!関君から見ると、秦氏の方が聖徳太子や蘇我氏、物部氏より大きく見える!
一方で、このように秦氏が聖徳太子等より一枚上手とする論述をする中で、次に村上天皇が聖徳太子の「申楽延年の記」から、仏法を称えると、国は穏やかに、民は静かに、寿命は伸びていくことを知った!とある・・・。
いやいや、今の日本で歴史を明かし、日本の有様を言うとするなら、この関君が言うような目線で考える日本と言うのは実は間違えだ。何が本当か?と言うと、この次の項に出ているが、歴代天皇が広隆寺の聖徳太子像に、即位儀礼の服を送り続けている、と言う関君がまともに解けない謎を解き明かす、あるいは信じて進む道を選択する方が正しい!のである!それは、日本書紀の読み間違えか、秦氏の言い分(あるいは優先に秦氏を称える)を先に取るか、それとも天皇が取る行動を先に(当然)信じるか?と言う二択である!当然、普通は天皇の言動を真っ先に信じるが当たり前で、この場合天皇家が聖徳太子に、即位の服を送っている!と言う事実を認識する方が得なのだ!
いやいや、物事はどこに自らの主眼(まあ自己修行の成果なのだが・・)を置くか?でまるで違う結論が用意される!古史に出て来る有名な集団で、蘇我氏とそれに対しては虚ろな藤原氏と言うのがある。関君の言い分では、蘇我氏よりも、藤原氏が優勢にことを運ぶ、歴史の勝者!と言い張るだろうが、本源的に歴史の始まりの方に出て来る蘇我氏が後追いする藤原氏より、力が上だ!とするのは、いつも当たり前の話しなのだ!僕は、藤原は歴史的にもそうだが、中間君と僕が称するように、途中参加で歴史に参加している新米君だ!要するに、それまで歴史があって、僕が特に言う、
1、卑弥呼史
2、ヤマト史
3、飛鳥史
この辺の歴史の中身が分からず、途中参加で我一番!と大はしゃぎするまあそれまでの赤ちゃん集団だ!
いやいや、この本の著者関君が飛鳥史程度に言う秦氏と言う氏族が、藤原よりも前に合ってより(何も知らず)出しゃばる単なる一族と言う事もよく知らず、この手のものが例えば蘇我氏よりも一枚上手!とする論調は、僕にはお笑いなのである・・・。
歴史的に(ちょ~う細かいが!)、大生部多が世間に邪教を広め、秦河勝が成敗した!と言う逸話があり、’常世の神を祀れば、貧しいものは富を得、老いたものは若返る!’と言う、このものの詐欺的な邪法は、まあ聖徳太子や蘇我氏と言った日本を代表する民からすると、この辺の輩が底辺で蠢いている程度の揺れ、日本の僕が言う
:天皇って何?
と、言うが精一杯の身分のものは、大生部多が齎す邪教(詐欺)とそれを懲らしめる秦氏と言う構図がまあぴったりの、まあ余程小さい身分のものが起こし果てている小さな動乱いつもこれなのである。
いや、歴史(日本)を読むにどうすればより良く日本史を読み解けるか?と言うことに関しては、小さい大生部多と秦氏の混乱を見ているのではなく、一方にある聖徳太子や蘇我氏と言う古来からの有力豪族を基準に見るのである!大生部多や秦氏、はたは藤原氏を先に追っかける歴史の読み方では浅瀬に乗っかる船のように全く動かない自分に出会う!
ではでは、またまた日本史と言う代物が言う、ここではその日本史の(正しい)読み方を伝授する!と言うことで!!
また次の機会にさようなら~!