禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

NMB48渡辺美優紀ちゃんが託しているおんなのこの道、永遠を架けるおんなのこ道の行く末を待ち受ける一心とは??

2019-05-30 17:41:02 | livelove日記
NMB48の往年の名曲妄想ガールフレンドを聞いていると、出初めの渡辺美優紀ちんが、猫に噛まれてアイドル渡辺美優紀に変身!NBM48渡辺美優紀を演じようと、颯爽と走り出すシーンを見ていると、こう言う物語が頭を過ぎり、

:さな扮する渡辺美優紀ちんと渡辺美優紀扮する渡辺美優紀のどちらが、より上手く渡辺美優紀を演じられるか?と言ういつものテーマにまた出会い、わたしは、

さな:さな渡辺美優紀の方が、渡辺美優紀渡辺美優紀よりも上手く渡辺美優を紀演じることが出来る!!

と、これは明らかに高らかに世界に宣言する。とすると、渡辺美優紀扮する渡辺美優紀が、猫が指を噛むシーンを合図に、二人合同の渡辺美優紀ちんの「妄想ガールフレンド」が、いざスタートする!!
渡辺美優紀ちんの甘噛みを合図に、さな渡辺美優紀アイドルがスタートすると、2人息が合った渡辺美優紀は、テレビの中のアイドルとしてNMB48を演出する!

NMB48が送る往年の名曲「妄想ガールフレンド」は、簡単に申せば美優紀ちゃんの中のさなが扮する渡辺美優紀への想いで飾られるのだ!実は、美優紀ちんの頭の中はさな美優紀と一心同体、2人一緒のアイドル道、これが目の前にある!
いやはや、美優紀ちんは、この世に生を受け、大家さんの如く目の前に現れるさな美優紀ちんに恋をする!!

さて、行き付く先はどこにあるか?美優紀ちんの想いは今は結構な的が外れた弓矢のようにあらぬ方向へと飛んでゆくかもしれないが、本当ならば美優紀ちゃんが甘噛みの猫に扮しているように想う、さなとの一心同体の道、いわばさなみるき~とみるき~みるき~が、一生を架けて愛し合うハートの結晶、これを完成させたい!!


いや~、NMB48みるき~は想い焦がれる一心がある!
いやはや、おんなのことしては結構なオーソドックスな感情の2人一心同体!と言う感情、これがみるき~はみるき~として成し遂げたいおんなのこの心である!
いやはや、みるき~のその永遠を架けるみるき~道は以下に進んで行くか??見果てぬ大空に、わたしとみるき~は、その想いを託そうと運命の出会いを果たすが、!

図書から見る日本(及び日本人)の現状ってこれくらい!!

2019-05-30 09:56:24 | livelove日記
この本の著者大山さんは、その経歴が
:東京大学文学部国史学科卒業!
とある。ゆえに、今のご時世ではもっとも立派だとされる学歴を要する人だ!この人の頭にあるこの本、

:神話と天皇

の、もっとも言いたいこととは作者の素朴な疑問
’天皇って何だろう?
これである・・。

つまり、幾ら大山君が東京大学に入って勉学に勤しもうともこの大山君が自らの中身を吐露しているように、
’天皇って何だろう?
と言う疑問、この答えはでない。
まあ、この本について僕がこれ以上何を語っても仕方がないところがあるが、確かにこの本の著者大山君が言うように、天皇制とは不思議な制度であり、一人一人はひ弱そうに見えるけれどもいつの時代もその中心に位置し、この筆者が言うように、軍事力もなければ政治力もない、そのような天皇と言う人物が国家の中心に位置する!これが、大山君には不思議でならないのである。
天皇とは何か?を探る為、大山君は「古事記」と「日本書紀」を当たるが、その2冊の書物を当たる際の心構えが、何と’疑うことから始めよ’みたいな実を言う、’’学問は懐疑から始まる’’と言う、まあ見てはいられないこの2冊の書物を書くような人物からすれば、このくらいの者の頭の中は所詮こんなもん!と言うまあ、一般の民が言い当てるには、このくらいが精一杯!と言うまあ大山君の限界を見るようなあるいは日本の頭(に見える)東京大学の頭脳を持ってしても、’これくらいが精一杯!’を、露呈させる、この本の著者大山君ら東京大学生等の、学のレベルをわたしは、感じるのである。学問で、手掛かりとなっている「古事記」、「日本書紀」これを’疑って掛かる’くらいのスタンスで挑む、大山君の歴史研究は、まあ今はこれくらい!なのだ!!

「古事記」、「日本書紀」は、決してその大山君が気に掛ける天皇制を正当化する為、作られたのではない!「古事記」の編者太安万侶と「日本書紀」を書いた舎人親王に直接伺って話しを聞かないとまるで埒が明かない、大山君にとっては、そう言ったもの(あるいは日本の歴史)なのかもしれないが、「古事記」「日本書紀」は、太安万侶あるいは舎人親王が、日本のいで立ちを直接そのまま編纂した書物で、この辺の当たり前の感覚を持たず、ああだこうだと論じているのは、まあまだまだ経験が足らない、若輩者(初心者!)これである・。


しかし、大山君と言えど、この大山君が言うように
:天皇って何だろう?
と言う素朴な疑問を問くには、かなりの時間そして労力が必要なのは確か、否めない。
さてさて、一般のものの限界をやはりこの書物でも窺い知って、わたしは埒が明かないこの手の者(あるいは一般のもの)に、先へ進む扉を開ける助言を差し上げたいが、一つ言うなら、
さな:勉強ばかりしていても、埒など開かない!
っと、こう申しておこう!

ではでは、まだまだ生きる初級者のオンパレードが精一杯の様子の日本(そして世界も!)は、これくらいと言う事で!!

続き!(この本の作者はこれ以上ない行き詰まりを見せているのだ)

2019-05-29 08:10:30 | livelove日記
この大山さんが、本書の初めに言うのは、神社と言うものが人々のその土地土地での思い、これに託されてあってみたり、国家の思惑によって各神社があったり、とそう言う目線で論じて来てみるのだが、要は僕が言うには、この本の著者大山さんも、前に僕が書いた記事で’いやはや読書系の小話し!’の項のように、’神と人間’これの区別が出来ない、そう言った頭の中の著者が書いた書物、これであると分かるのである。

いやはや、どこにでもあるこの手の書物は、感じで言えばまだ、
:神
:人間
の区別がままならない、それくらいの人物が書き記す書物だ!これくらいのお察しから、この本の内容は全容は、全て読んでもこの一点で取るに足らず!と、こう分かるが、この本にこう書いてあるところがあってそれは、

::伊勢神宮に皇室の祖アマテラスがいるが、皇室は伊勢の出身ではないし、何故皇室の祖なら、この地に祀られているのか?

と言う問いがある。確かに、この著者からすると天皇家を探るのに、素朴な疑問に映って違和感を感じるのだろうが、確かにこの部分を突き詰めると、天皇家と言う部分や日本と言うものに対し、一つの結構大き目な答えが出るかのように思うけれども、理解するには、かなりの時間・経験を要するのだろう。

いやはや、この著者が、天皇について不明瞭あるいはもっと上にある神について何の理解も示せないと言うのは、もっぱら自分への理解(不勉強)が足らないからだ!と言っても、かなりの時間は要するので、まだまだこの先このものにありがちな他力本願的な物言いが無くならない限り、この本が言う範囲の度量以上のことは出来ないであろう!
つまり、この本の作者は、自分と言うものに完全行き詰っているのだ!!


追記
この本の著者大山さんは、これ以上なき行き詰まりを見せているとわたしは言うが、これはその通りこの大山さんが、自分の今の現状
現状:天皇って何だろう?
っていう、疑問が持つ、この裏側の大山さんにとっては’国家が最高なのではないか?’と言う自分の見解から、大山さんの限界を知るのである。普通、国家と言うか王権は、軍事力、経済力、人脈力これによって為されていると言う大山さんの頭の中が、日本の天皇制では完全に覆され、大山さんにとっては得体のしれないもの!こうなっているわけである。

いあはや、大山さんにとっては実はこの本は渾身の一擲!の如く今の自分のMAXとなる一冊の本だろうが、中身はと言うと、それは
:天皇って何だろう?
と言う、子どもが考えるような素朴な疑問からは脱せない、まあ色々勉強はしたが小学生の頭の中の疑問からは、未だ外れないまだまだこれから~ズが書く、一冊の頭でっかちのような本であったと言えるだろう!(自分のことをやらず限り、答えは見つからないであろう!他力本願止め!!)

(読書)神話と天皇!

2019-05-29 07:44:12 | livelove日記
昨日しがた、またもや図書館へ行って一冊の図書、
:神話と天皇(大山誠一)
この図書を借りて来る。中身を拝見する前に、またもや’はじめに’の部分を読んでみるが、この大山さんの言うこの本の内容は、要するに日本人とは何なのだろうか?と言うところから発する天皇の存在、ここら辺を明らかにし、突き詰めて行きたい!こう申しているのである。この作者は、日本人は何者か?みたいな切り口で天皇を論じ、これによってこの日本と言う国や日本人と言うものについて自分ながら、答えを見つけよう!と、こう言うことだが、それに付随するかのように、この著者は聖徳太子(いないんじゃないか?などと嘘申す)と言う人物像を出して来たり、そこから神話と言う切り口を用意したりするけれども、僕から言わせると、この著者大山さんは、恐らく自分と言う人物とは何者だろうか?と言うあまねく人々が普遍に持つ自分へのテーマに対し、大山さんもそれにぶつかり、それを日本人とそれの天皇について考えて見ることにより、考察しようとしているのである。よって、大山さんの’自分とは?’と言う大山さんが見えている自分の範囲に対しては、わたしなりには、この大山さんは’天皇とは何だろうか?’と言うこの問い掛けが、精一杯の様相で、未だその答え、これは出ていないと言うのが本筋のようである。
と言う訳で、タイトルは、「神話と天皇」と言う事だが、天皇と言うものを論じて自らの背負う’自分’と言う物差しをこの大山さんは、探して行こうとする!

さてさて、「神話と天皇」と言うよりは、真っ直ぐに’自分’と言うものをつぶさに研究、己を知った方が、早道に見える大山さんの私的な疑問は、確かに当たっている。それでは、この多少他力本願と言う傾向がありながら、大山さんが言う「神話と天皇」と言う本、これを読んで行こう!(この大山さん、まだまだ核心には触れられない、そこいら辺にいる一著作家に過ぎないところはあるだろう)

いやはや、読書系小話し!(続き)

2019-05-27 17:00:53 | livelove日記
この本の34ページの箇所に、
:蛇は本当に悪魔なの?
と言う箇所がある。この本の対談で女性うさぎさんと青年佐藤さんは、女性と青年と言う差を考慮しつつ、こう話し合っている。それは、創世記の最初にある蛇と言うものがエバをそそのかす場面でのことで、(佐藤さんは色々ごにゃごにゃ述べるが)
佐藤:そうすると、悪魔と神は結局のところ同じではないかと・・・(ぷ
うさぎ:どちらも善悪を知っているからね!(ぷ
佐藤:コインの表と裏の話しと同じで~~云々、つまり悪魔も全知全能で~(ここで中世キリスト教は行き詰る!と訴える。未だ解決していない)
うさぎ:~~云々、悪魔も全知全能じゃないと話しが合わない・・。

うさぎ:悪魔だって神と同じ全知全能じゃないと神と対抗できないじゃない?(・・あほ
佐藤:だから、そう言う機械的な世界じゃないところに面白さがある・・(云々


と言うわけである・・。
わたしは、前にエホバの証人と言うキリスト教の一派から聖書を学ばせて貰っていた経験があり、その時に教えてくれていたとある講師さんが実は、とある周りのものからすると実に滑稽で笑ってしまうような聖書の見方、これをしている!とし、それはその講師さんが、’神と人間、これを(区別できず)まるで同じように扱ってしまう!’と言う愚題からやって来る大笑いの種と同じように、このうさぎさんと佐藤さんは、ここでも同じく’神と人間、これがまるで一切の区別がなく、同じような口振りでお喋りをしている!と言う、このお二方が、まだまだ聖書を読むときに必要な

:神
:人間

この二者の区別を付けることもままならない聖書家初心者である!と言う事に、わたしは触れなければならないわけである・・・。


少し、読んでいくに、この本で対談するお二方は、聖書家としてはまるで初心者!となっている口振り、これを披露しているので、わたしからすると、’まだまだこれからの人生者!’と、こう評価せざるを得ない若輩者である!っと、こう言い与える事が出来るのである・・・。


いやはや、世間的には結構な知識系の賢人なのかもしれない。しかし、わたしから言わせると、このお二方はまだまだ神と人間の区別も付けられない初心者!と、こう言い切れる!まだまだこの本の内容を少し、読み進めただけだが、いやはや、このお二方のこの人生の難問ここで言えば聖書から学ぶ’神(と人間)’と言うものは、いやはや人類的に言えば、’知っている’とする本当の賢人、恐らく英米的には、キリストから直接学ぶ機会を設けなければならない限り、お二方の頭の疑念・もやもやが晴れることは決してない!っと、わたしはいやここいら辺の中間感覚を持つ人間の限界をよーく知るわけだが、、(うさぎさん、佐藤さんではこの世の核心=神について完全に触れるのは不可能なのだ!)