禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

読書の話し!(京都の闇)

2019-06-15 13:15:11 | 歴史
一つ前に読んだ本「平城京を歩く」では、奈良に本拠を置く現天皇家のその日本で王権となる歴史を刻むに、一歩となるその始まりが書かれている。どうして奈良の地に現天皇家のものたちがその本拠を置くのか?と言う事に関しては、簡単に方位と言う面での東西と言う感覚がものを言う場面が多いだろうが、その天皇家がある入り口として奈良の台地、時代があるわけだ。その玄関口である奈良に都があった時代、藤原と言う氏が、天皇家に近付き日本で舵取りをしようとする。どうも、710年に始まるとされる奈良時代は、この天皇家に近付く他の組み合いのものたち、これがあれやこれやと策を練って、まあ僕的に言えば天下取りに躍起となったその幕開けが、奈良時代であったと言える。藤原氏は、当時いた一組み合いであるが、天皇家と言うものがよく分からず、やはり律令制もそうだが、直ぐにその日本の舵を取って行こうとする策は終わりを向かえ、やはり天下を獲る!と言う野望からは、離れた結果を持つ。

僕は、昨日借りて来たもう一冊の歴史の本で、

:京都の闇(関裕二)

と言う著書の中、始めに’はじめに’と言う本の最初の小書きを見る。関裕二君は、こう言っていて、


:京都には、雅なイメージがあって、富と教養の国風文化取り分け、紫式部「源氏物語」がこの時代のおんなのこの恋物語の様子を映し、京都平安時代の景色となっているが、この京都は日本一の観光都市ともなって、多くの外国人も日本文化のシンボルとしてやって来る。但し、その裏にはもう一つの顔が京都にあって、夕暮れ時にふと迷い込む路地裏にただならぬ妖気を感じるのである。百鬼夜行し魑魅魍魎とする裏の顔を見せる。京都と言うものはこの時代からも、表の華やかな顔と裏の行燈とした顔の両面を持つ。
京都は長い年月に刻まれたこの二つの顔があり、それは勝者と敗者、繁栄と没落、恨みと鎮魂等々、、、こうやって京都はその二面性を映し出す。
そうして、この京都が映す二面性これを浮き彫りにしていけば、日本人とは何か?そして(やはり!)天皇家とはどう言う王権か?(天皇って何だろう?)これに辿り着けるのではないか?この為、僕はこの平安京都の歴史を知ろうとする!


としている!!

やはりなぁ~~!この僕が借りて来る図書、京都の闇の作者関裕二君は、自分と言う存在を追っかける為と言うのは勿論あるだろうが、その一方で(とある念から)日本みたいなものが知りたくなり、行くと天皇なるものが見える。更に追うと、日本国で天皇が頂点におわっしゃる日本の独特の構造が、自分に解けない謎となってぶつかるので、これを追い掛けようと天皇制を追うのである。要は、僕が歴史の本でいつも立ち会う個々の歴史家のその史観とも言うべき、結局は’天皇って何?’ここが、分からないわけだ!

いやぁ~、この関裕二君もこの本のはしりにあるように、京都の顔である表と裏を指し、意気揚々とその天皇家の謎を探る為、平安の地(時代)に降り立ち、天皇とは?について探ろうとするが、いやはや僕からすると、こんな些細な問題が、一向に解決できないでいるこの関君は、いやはや勉強家としての関君の限界を必ず見る。いや~、世間と言うのは関君が思うような勉学の上に成り立った世間ではない!と言うのを僕ながら、如実に思い知るわけだ!
いやはや、見当違いなのだ!関君が自分を知る、あるいは世の中を知る!と言うのに、一切の自分のエネルギーを惜しまず、勉学系に勤しむと言うことは!!


関君は、庶民なのである。行けば昔の言葉で官人となる身分に付けるが、これもまた庶民であり、庶民が天皇の名の下行き付く最終点官人と言う地点からは脱せない。
いやー、どうすれば良いか?いやはや、向かう方向が間違っているのは言うまでもない。天皇って何?の答えは、天皇家(のルーツ)を探ると言う事なのだろうか?いやはや、かぐや姫が出した難問に関君ももはやタジタジ!この辺、人間が見せる限界が見えるわけだ。

もう一つ、小話し!!

2019-06-14 17:55:33 | 歴史
700年頃、天皇家がありそれに纏うまあ要は一般民で、藤原氏と言うのが最初出で天皇家に近づくのである。不比等が直接言っているかどうかは僕的にもう一度確かめてみるしかないが、不比等君らの発想で、’律令制’と言うものを取り入れようとするわけである。
元来、僕は日本の縄文たるやその内実をよく理解しているわけではないが、そもそもまあ常識的に始め縄文と言うのがあり、人々は単人暮らしをするわけである。歴史用語で、狩猟・採集とあるように人々はそのように暮らしていくわけだが、基本この狩猟・採集と言う’生活’が示すよう、人々と言うのはそもそもこう言った存在なのである。これが、弥生時代の幕開けとともに、とある国家の元首とも言うべき卑弥呼女帝の現れによって、
:卑弥呼を頂点とする日本(当時邪馬台国)国家!
と言うものが出来上がると言う現実が、あるわけだ!

実は、これが物事の出発点!(覚えるしかない!)

それで、日本の行く末はその女帝卑弥呼の君臨によって幕開けし、日本(倭あるいは邪馬台国)と言う国が国としてスタートするわけだ!

この卑弥呼が牛耳った時代がある。その後、覇権をヤマトのものに移し、日本は今度は大和朝廷時代へと、その時代を移り変わらせるが、(この辺難しい。多少、教えて貰うに限る)この歴史的(当たり前の)順番、

1、卑弥呼時代(邪馬台国時代)
2、大和朝廷時代(現天皇家)

と言う時代(の幕開け)は、かなり一般のものには理解がし辛い案件であるようだ。
日本は、この2案件が示したように、ニ時代を通過していくが実は、この二時代とは違った考え方(僕が中間君と揶揄する)が出現していくのがここで取り上げている700年頃の律令制を押し進めると言う平城時代だ!卑弥呼がいて、ヤマト王がいて始まることになるそれ以降にあった律令制は、無論その初めの卑弥呼とヤマト王をしっかりと理解した上で出て来た代物ではない。天皇と言うのがあるようになり(仁徳だ!)、その天皇の名の下動いていくことになった人民たちが、その先手を切って日本を動かそうと天皇の名のもとに行動し始めたのが、藤原氏から始まるか日本を律令国家(決まりことを設ける)としようと、企み始めた時代これなのである。
僕が借りて来た’平城京を歩く’と言う本の中の一節、早くも元正天皇の治世で律令制にある矛盾と言うのが表面化し、制度も政治も混迷を来すことになったと言うのは、まあこの日本を作った歴史者(卑弥呼、ヤマト王)からすれば当然の帰結である。

さてさて、物事と言うか日本と言うものは天皇家があって国が成り立っているものと思われている。流石に、僕がここで言いたいのは700年ころの日本の時代、律令制を用い国の運営を押し進めようと頑張る輩が、気が付かない世の中(日本)の仕組み、これが見えずとも押しぶつかり、不比等らと言うか藤原氏が切る日本の舵取り、これを嫌が負うともなで切って行く!藤原氏は、日本の舵取りは我らがやるものでありその王権は我れ手中に収まった!と、思っていたに違いない!だがしかし、そうは問屋が下さず、絶体絶命の壁に必ず行き当たり、世の中は必然混乱する!
いやー、卑弥呼と天皇がいて、その後に続くものは一切必ずこうなるであろう!不比等が目論む日本国家とは、律令で縛り上げる国作り、これではないわけだ!
いやー、不比等が代表を務めるか藤原氏の目算もまだまだ甘い先手論(あるいは国家論)に過ぎない、まあ僕から言わせるとまだまだこれから~ズ(初心者!)が精一杯の奈良・京都時代そして、現礼和時代となる元年の人民たち!

ではでは、どうやったら自分と言う物差しを通じ、世の中(日本)を確かに見ることが出来るか?大掛け、天皇家が日本を牛耳っているように見える時代の難局では、いやーまだまだ四面楚歌を感じざるを得ない、そんな人民(日本国家民)で溢れているだろう!

図書の話し!

2019-06-14 16:52:07 | 歴史
昼頃に、いつもの図書館に行き、またもや本を借りようと行って来る。まあ、いつもの戸棚に本を探すが、ペラペラ本を捲って、とある二冊の本これを借りることにし、図書館を出る。本のタイトルは、

:平城京を歩く(森郁夫、甲斐弓子)
:京都の闇(関裕二)

歴史的に、順を言えば上に書くように平城時代と平安時代と続くわけで、僕は今日はこの二時代に続く歴史の図書を読もうと考えた。家に帰り、早速本を読もうと一冊目(平城京を歩く)これを開けて見ると、、

まあ読んで30分も経たないところでの感想であるが、まあシビアに言えば僕がこの一冊を選んだわけは、歴史の一冊平城京時代の事柄を読んで学ぼうと選んだわけで、その図書の扉(表紙)は読んでみようと頷けるわけである。それでいて、さあ中身を読んでみようとページを捲り、読んでみるとこれが大そう面白くなく物足りない。僕は、これでこの手の本が取った時に読んでみたい!と、思わせる看板(表紙)は幾らか出来栄えてはいるが、肝心中身についてはその面白さに触れる実がない!と、こう感じるわけである。よく僕が最近のものにいう’看板だけ掲げて中身はない(すっからかん!)’の類いの図書、これであると認識できるわけだ!要は、この本の著者森郁夫君(大学教授)と甲斐弓子君(大学研究員、講師)のその人生における経歴を表すように、二人は大学院の教授等に身分を置き、その看板だけは携えたが、肝心中身についてはすっからかん!と言う事は、一応自らの職みたいなものは持ったがそれ以外の研究には、一切捗ったことの無い、まだまだこれから~ズの所員となる一文生とこう分かる。つまり、看板(職)は持ったが、中身は詰まらんと言うこの辺のものが共通に持つ一自分の人生を表した一図書の中身に僕は、またもや触れただけ!と、こう言うことが出来るだろう!(成る程と頷けるか!!)

まあ一筆書くとすると、この本の28ページに見出しとして’官人の勤務先’とあり、多少笑うのである。官人とは何か?と言えば、天皇の下のもと、働く身分のもののことである。ここで書いてあるのは、二官八省の言う通り、まあ多少名を出すのはダサい感じもするが藤原不比等らが推し進めたと言う律令制(中間身分の発想)と言う仕組みを押し進める為、宮中に置いた役で、二官八省とあるそうだ!(例えば、二官は神祇官、太政官とか)
何をか言わんちゃ!多少、この頃の者でさえ、苦労する一国の存在としてその通り、天皇と言うお方がいらっしゃるわけだ!僕は、ここ最近このブログで指摘している事項で、
:天皇って何?
と言う一案件がある。日本には、天皇と言うものがおり、万民その天皇の名のもとに統治されるわけだが、この時代に限らず、その天皇と言うものの意味はよく分からず(その存在を)許しているところがある。700年頃の平城の地のものも、これと一緒で当時はいた天皇と言うものが良くわからない。従って、そのもとで働こう!とする僕が言う官人と言う身分のものも、何だか大そうなお人のもとで働き、使える事になった!と言うそれくらいの認識が精一杯のはずで、殆ど(と言うか全体)のものは、勘違いで生きているのである。(このことは今でも通じ、自らの官人と言う身分が大そうお偉いものとしてあり、その身分に身を置くものは大衆となる人民より優れている!と、錯覚するものだ!)

よくある古代史の読み手の本で、この時代を藤原不比等が主だった役者と書くものが多いが、その藤原不比等はと言うとどのような人物だったかと言うと、まあ大和朝廷以降の日本の歴史で、天皇(仁徳以降だ!)が表に出て日本で長老としてその座に付くと、出て来る何だか大そうなお人のもとで職にあり付こうとするこの手の一番者が、この700年頃に現れる藤原不比等と言う人物、これだと思うのである。つまり、何だか?と言うと、この時代に限らないが、日本と言うお国は、代表藤原不比等の存在が示すように、天皇と言う存在があってそれを取り巻いた人の往来図、これが描かれているのであり、いやはや、人民としては自分の精一杯の様子を見せて悪戦苦闘する図が、この藤原不比等の存在にあるようなそう言うものなのである。要は、日本人と言うのはここで言う藤原不比等と言うものが見る見方が精一杯!となる国家であり、僕から言わせると、まだまだペー子ちゃんである藤原氏の頭不比等が何を言ってもアホがられるお国と言うのが、この日本と言うお国である!と、こう評せるのである・・・。(中間身分の頭の中!)

平城時代も、この図式(平たい頭の中)からは脱せず、今と言う時代(礼和となったが)と同様、大きく日本とは何だろう?みたいな問いから脱せないものが多数を占めるまだまだこれから~ズで占められる国家、これであると僕はそう強く言うのである。


やはり、なかなかの皆の衆のものの厄介なその問いとなるだろう先手を打っているものは見るかもしれない天皇って?と言う問い、これが憚(はばか)られる。上のものの見方にすれば’中間君の発想!’と揶揄され、相手にされないこの手のものには、まだまだ日本はもとより天皇って何?から一切脱することの出来ない、いやはや歴史一つを理解する為、まずは己の存在についてよく知る!と言う一点、これを言い渡すわけである。
いやはや、縄文と言う時代があり、その直後に弥生と言う時代があった!それから、大王が君臨するヤマトの時代があるとされる日本の歴史の正確な理解は、まだこれから!
歴史と言えど、己がよく遊ばんと分からんよ!とし、ここでこの記事を閉じておこう!!

図書の感想第二弾!!

2019-06-13 13:52:54 | 歴史
さて、昨日しがた借りて来る本(お江戸風流散歩道)を返しに行こうと自転車を走らせ、図書館へと向かうが図書館は今日はお休み。仕方なく近所のスーパーへ寄って、昼頃食べようかと素麺を買って帰って来ると、昼間の間柄今日は日合いもよく、酒でも飲んで過ごそうかと、持っている摂田屋の名酒吉乃川を飲んでいると、その借りて来ていた本の中で、僕はよくこの江戸(現東京)と言う町の存在が分かったので、もう一筆感想を書いておくのである。江戸とは、日本の始まりから現代を寄って分かる通りの一応の日本のお国柄一周の旅と言う点では、最後に辿り着く町で、江戸と言う。江戸に幕府を開く時、徳川は完全未開拓の江戸の湿地帯(海辺)に、日本の開拓地としては最終の町作りを始めるわけである。

始めに今の千代田の当たりに徳川の武家の屋敷を作っていったそうだが、そうとはもとより、この江戸と言う地は、その出来上がりを見ても日本の最終地点と僕が評すように、江戸泰平の世に合ってその町の素性は、日本の町としては最終と言うびりっけつの敷地が言い表す通り、日本人のお国レベルとしては最終びりが見る世間、これを言い当てる。江戸(東京)と言うのは、そのお国のレベルがびりっけつなのだ!
江戸と言うのは、災害に見舞われることが多かったと言う。火事に地震、洪水や飢きんなど。こうした災害を元より生活を営む江戸と言うのは、当然江戸と言うお国から見て他地域となる田舎は、本来(江戸特有のお笑い文化が栄えることなく)地域別の日本本来の文化が根付いていることがわかる。いやいや、江戸ではない他田舎が本来ある日本の姿、これを映しているとすると、そうなれない(びり!)お江戸と言うのは’お笑い’こうしかないわけだ!
まあ江戸と言う地が火事に見舞われるのはそれは地域柄取り分け、言うまでもなく、火事と喧嘩が江戸の華!と言う言葉が言い表すように、この江戸と言う時代は、日本最終着陸点ではあるが、鎖国と言う決め事はあるわけで、その理は日本のびり特有の条件を見せるわけだ!


お国柄
先頭〇EX
後頭お笑い
-----------
怖い世界


こうあるわけである・・。
僕が、上に示すお国柄として先頭が女性の〇EXとしてあるとすると、後頭はお笑いなのである。(この辺の理屈はちょっと経験を積まないと理解ができない)
実は、これがお国の頂点とびりが示す全て。実は、これ以下が見せる日本の状態と言うのはこれはからっきし嘘なわけである・・。今で言う江戸の末期に開国を宣言し、実際日本が当たりに開国を宣言した後に待ち受ける日本とそれ以外の諸国が合同と言う姿は、これは怖い嘘八百が罷り通る世間、これの始まりなわけである。当然、その通り世間は2度も世界戦争を経験、その後も冷戦となる世界構造に巻き込まれるわけだから、日本を筆頭に世間と言うのは、それはそれはお怖い世間様へと導かれるように進むのである。当然、日本が開国した後の世間と言うのは嘘っぱちで、出でる全てのものは砂の上に立つ楼閣なわけである!


さてさて、日本はと言うとその始まり(邪馬台国)から最後の江戸と言う時代(土地)を見ても明らかだが、普段は日本晴れの言葉が表す特有の女性系おままごと台地である。いざこざと言っても最後の地江戸が言い当てる(びり)喧嘩が最底辺で待ち受けるくらいであり、普段は日本晴れの一点だ!(開国すると見えなくなる)
さて、僕は日本の内情を見ようと図書館から後ろ側からの視点となる江戸的見方を持って、この図書からの感想を書く。いや、びりっけつ江戸と言うのはそれは当然軽足でなければならない。(薄色、薄味等に代表される漢文字’小’の文化)
ではでは、今回借りて来る図書お江戸風流散歩道の感想はこれまで!またお会いしましょう!!

本を借りて来た話し!

2019-06-12 15:10:25 | 歴史
昼頃か、僕はまあ昼下がりの柔らかい光が穏やかに差し込む中、これはまた摂田屋の近所である南図書館へ行き、本を借りて来ようと自転車で、出発する。いつもよりも体調的には絶好調とはいかず、多少スローな面持ちで図書館へと向かうのである。着くと、僕は直ぐに一冊の本を借り、図書館を後にする。タイトルは、

:お江戸風流散歩道(杉浦日向子)

である。
そこには、こう書かれていて例えば江戸におけるファッション、これに関してである。
江戸と言うのは、ここで言うファッションもそうだが対方にある上方の真似ここから始まるようである。その上方を真似る江戸っ子の気質は、上方で言う豪華絢爛のいで立ち、振る舞いからは逆の江戸では黒が極上とされたモノトーンが主流と言ういで立ちであったそうだ。

どちらが上か下か?と言えば、当然普段の日本と言うお国柄あるいは人間的な常識から考えても、色使いが派手な上方が上、地味な黒色に押さえる江戸が下、と言うランクに部類されるのは言うまでもない。こう、この本には例えがあって、

例え:上方が道行く人のファッションをあれこれ品定めしたと言うのに対し、江戸は近くに寄って触れるくらいの親しい間柄のものに「すごい羽二重だね!手が吸い付くようだ!」と褒められるのを良いとした!

とある。どうやら、この著者が言うこの言い草は、上方と江戸っ子の気質をもろに表していて、僕から言うと(またまた取り出し、言い放つが!)上方のおんながピチピチなのに対し、江戸のおんながいしいし!となっている様を、ここでももろに受けるようだ!(分かるか?)当然、日本と言う国は国の出来上がりと言う事に関しては、弥生時代に邪馬台国があって始まり(地域は不明とされるが、僕は見当が付く)、その後大和朝廷が覇権を握るように奈良の台地や、平安時代の到来を指す京都の地に都が作られていくわけだが、その最終着地点として江戸(東京)がある。開国後はこの際おいて置き、日本と言う国家は、始め邪馬台国と言うどこぞやの桃源郷の地に始まりを持って、最終江戸の地へ辿り着く。(まあ詳しくはここでは書かない)

ファッションは、江戸好みとし、「四十八茶百鼠」と言う言葉に代表される色使いで、つまりこれは四十八と言う数字に対する’茶’と言う色使い、これと百色に渡る鼠色の色使い!と言う事で言っているわけだ!江戸の二大流行色と言う事で、これを真に受けると、

1、四十八茶(渋色が四十八色)
と、
2、百鼠(地味色が百色)

と、こう言い表せる。まあこの2パターンの流行色の話しはここでは置いておくとし、私的に言えば当然江戸と言う国は、完全上方地方に比べれば、地味な印象に受けるファッションのあり方があるわけだ!

歴史がそのまま如実に言っているわけだが、邪馬台国と言う先陣を切るお国時代をここでは外して考えると、その先にあった奈良の地から始まっている日本の歴史と言うのは、大きく日本列島が左から右へ動いて行く常識があるわけであり、当然最初に西日本から歴史が始まる事実からすると、最終お江戸に辿り着くこの日本と言うのは、順番的に言えばお江戸が、一番足が遅いわけだ!
ここで、ファッションに因む色の話しをしたが、お江戸が一番地味なのは言う通り。他方(逆方)の上方は、豪華絢爛派手と来るわけだから、日本と言うのは、始めファッション的に言っているが色の傾向は派手な色使いから始まって、徐々に地味色にシフトして行く変遷を辿っている。何を言い表しているか?と言うと、日本と言うお国が、最も大事にする’色’と言う感覚について、その最上級が、


(天上級:邪馬台国)
最上級:上方
最低級:江戸

と、こうなっているわけだ!
色と言うのは大事なわけだ。本来日本人気質として派手な色使いが本当に日本人らしく、地味と言うのはそれに反している。

いやはやー、僕の言っていることは今の時代多少難しいことを言っているだろう!上に僕が言う、四十八茶と言う色使いが僕には現代に降り立つ時、その江戸(東京)の色(おんな)が、’おんなのレベルはそのキャリア(仕事系か?)’と言うアホらしい物ぐさに言うような代物に取って替わって、おんなのレベルが四十八茶と言う渋い色の一色もなくなった一手に代表されていると言うお笑い話しは、この際置いておくとして、実は、現代と言う時代は、この最終江戸期(当然鎖国)でも当然あり残る日本としての色これがあったわけだ!

さてさて、この「お江戸風流散歩道」を少し読んでの感想は、一先ずこれくらいに。
それでは~~!!



追記
先程、この図書を借りて来る帰り道宛ら、僕は一軒の摂田屋に佇む醤油蔵、越のむらさきさんを訪ね出ている。外にあるその醤油蔵の横にこの醤油蔵についての走り書き、路標があって眺めていると中から一人おんなのこが出て来て、’中に入って、昔の写真でもみませんか?’と、僕に言って来る。’いいですよー’と、僕は一つ返事をし、連れられるまま中に入ると、そのおんなのこはその醤油蔵についてある壁掛けの写真を前に、色々とこの醤油蔵に纏わる歴史を教えてくれる。僕も、教えてくれるお姉さんのこの摂田屋醤油蔵の歴史等の説明に、ふむと頷き、面白く聞き入るが、この摂田屋越のむらさき醤油蔵は、確か160年くらいの歴史を持った醤油蔵だそうだ!隣に佇んでいるここは、摂田屋の酒蔵吉乃川さんに比べると、その歴史は多少浅いわけだが、それでも江戸期くらいから歴史を持ったこの醤油蔵の歴史を聞くと、僕は寄り道掛けた先のおんなのこの蔵の説明に、ふむふむ面白く聞き入るわけだ!

さてさて、表に小さな神社竹駒神社があって、参りその神社の中を覗き見て提灯やら、太鼓が置いてあるのを見ると、この摂田屋のこの界隈の出来る歴史を知るわけだ!江戸に天領としてあって、長岡藩からも管理を受けていないと言うこの摂田屋は、昔からの竹駒神社に表される特別な地を思わせる。
それではまた!