んと、いつも(夏休みに入ったようで!)正午前くらいにか、自転車で出掛けると(みるき~、ジュリアナっ子(熊本、それと、、まあ遠く(長岡内にしろ)あの、とある黒川付近の、三島に抜けるまあ手前のとある田んぼ横の水路付近(水門前)で、今日は一時うだうだ座り(水門手前の建物横)、田んぼ横の水路を眺めたり、その建物横で休み、あちら探検するときの様子で、この、(まあ)水門手前の建物の、そのとある鉄っぽい鉄柱で、錆びて少しぼろぼろの箇所、ここで(まあ前から知るけれど)その錆びて少し朽ちている鉄柱っが、
さな:これって、もとは木が長年経って、その最後とも言うか、石化して石になって終わりを向かえるあの様子と同じで、この錆びた鉄柱っは、そのちょとぼろぼろな様子を手に取っても、どうも前っは、どこぞやの木だったんだろうな。この、錆びて朽ちている鉄柱を触って、感じ取れば分かるよなぁ!
っと、水門を形成するような鉄の棒を見て、僕は科のように思う。それはそれで良い、、。
とするで、僕はその建物横で休み、うだうだこの遊んでいて遊びに慣れる(長ける)ように、当たりを物色す。丁度、僕が毎日の遠足サイクリングで、当たりを見回す、学校の、!
社会科
理科
この、2つを混ぜて僕は自己的に勉学(学問)するような、!それで、僕はこのような!(信じられんような!)大発見をす!!っそれは、!っと、言えば、!!
丁度、脇にコンクリートの塊があり、見ている。それで、僕は先ほどの木の話し、木が長年経って、その最後を寄るように木が石化して最後を向かえるときに、(木が)石に変わると言うことを書いている。このことと、合わせ、僕はこの木が石化して石に変わったあとのようなコンクリートの塊を見たときに、そのコンクリート内部に、あちらこちらに小石が挟まって入っていることに気付く。それで、僕はどうも、このコンクリートの石の塊が、いつしか木から石に変わった時に、この(例えば、
木(草等
と、
石
この関係性におき、この(丸で不思議か!?コンクリートと化す石の塊っが、遥か以前に一本の木で合ったころ、その一本の木は横の小石とともに合って、木はお石の養分とも言うべき、石のあり用を持って、石のエネルギーを貰い、すくすく大きな木となっていた、っと言う遥か彼方の木(あるいは石)の思いを知る!それで、ここは田んぼ脇でもあり、どうも田んぼの稲っ子と流石に真横にある小石も通じ合い、これは
小石から養分を貰う稲っ子
小石に影響を与え、伝える稲っ子
と言う、相応の稲っ子とお石の2つの(仲良し的な)関係を見る!!これが、この頃では不思議でならないかもしれない!!
世にある万物は、全て繋がり、互いに影響して生きていると分かる(知る。当然ではあるけれどもねっ!)。それは、この木(草)とお石に限らず万物、神羅万象の全ての事象物にピタッと、!当てるものだけれど、流石にこの木草と横のお石っが繋がっていて、互いに求め合っている様(仲良し)っは、草木に限らず、そこいらのお石も生きていると言う証拠になる。これで良し!!
と言うで、僕は何でも大事にしない現代のものが、このような草木に限らず、転がるお石にも目を呉れずただただ通り過がっている様っは、まあ(草木に限らず)お石も大事にしない、これは悪なる性分者、こう入って仕えない!
僕は、このような大発見をし、今頃の
社会科と、
理科
の分野でも大層な!まあかなりの大社会科の視野を持って図る理科の目線、これで、僕は万物がこれは一つで合って相互に生きている様、これを目撃すれば、等は流石の今頃の大将角でも無論ある、寺等のおっしょさんでも群を抜くっ、!このお村界隈でも大一番のお偉いおっしょさん!、こう合っておわす。
まあ、このような大発見をして、僕は前から
”全てのものっは、循環している(無限)”
と言うことを合わせて知って持っており、ただのそこいら唐変木っが、いっちょ前気取りで物言うもの知らず、これとは遥か大差の大先頭を走る。
いあー、長岡の田んぼ稲っ子は、大そうすくすく大きくなり、これはちょーの付く優良健康米っができているっは、目に分かる。この、ちょー健康優良米っが、お横隣の小石らと丸で仲良く会話をするように、ある様っは、いあこれはお馬鹿っがのたまう世間(世界)論とは全くの逆さまな幼稚な説明を聞いているようだ!(うはは、レベル差激しい!)
では!スーパーで、アナウンスする幼稚な輩っが、’限りある資源’とか言って僕にちょの付くぼんくら級を入って来るは別に!、僕はこの世界のあり用っが、全て循環し、途切ることなく合っているを知っているわけだ!用で、当然小さくて目も当てられず、!等の疫病騒ぎなんかは、僕は小さすぎて見聞きしてらんないっ!!
では、!(この話し寄り、更に一段レベルが上の、!お村を騒がすような!、っ、墓石級の話しっは、ここいらではしないで閉じておこう、!(墓石とは、!?の話し