長生きとは、よく取り沙汰される問題だ。それで、今日に前から気ずいてはいるけれど、長岡のシンボルで信濃川を東西に分け架かる、これは大きな長生橋と言う橋が架かる。橋の横、僕は自転車で通過するわけで、この小道に通ずる脇の通路をゆく。それで、実はその手摺りに架かる一応の長生橋の橋の由縁にも通ずるこの、手摺りの一枚一枚の手摺りを支えるように、縦に立て掛けるまあ板棒(お札系)、これが一切横に縦列並び掛けている。実は、僕から見ればこの長生橋の横小道のこのお札は、ゲームで言えば、自分と言う一男子女子が、そのあるゲームクリア条件をクリアするように一枚証となるような実は、(結構な途方もない)ゲームクリアの証だったりする。実は、気が遠くなるそのゲームクリアの証は、その長生橋に寄れば、計851メートルあるとされる長生橋の長さで、まあ結構なお札の数を数える・・。僕は、眼下に信濃川の流れを見入やり、パラパラとそのお札を下に眺めるように、自転車を通過させると、差ながらそれはこの自分の歴史の一端を見入るように長かった自分の人生(長生き!)これを垣間見るようだ!!
まあ、どこにでもあると感じるかもだが、お堂があり、その傍らにお地蔵さんがあったりするけれど、まあどこでもお地蔵さんを眺めるときに、悠々感じる様は、実はこの僕が言っている長生橋の橋手摺りのお札(欄干か?)これに似ている。お札(欄干か?)の連続の様が、いつしか高名なお地蔵さんのお堂を指すようになり、僕はこの仏と言うようなここでもみなも良く知る仏教的な境地か、高名なお堂に通ずる実は、これ、
::長生き!
に、架かる道筋を見るのだ。
いやー、僕に係らずだけれど、人の人生(道)ってのは長い。長さ851メートルにも下るこの長生橋の欄干(お札)は、いやー実に見事!としか言いようのない、この北花園さな、のその長長生きの人生を見る!
笑って微笑ましい。僕はその悠々流す信濃川の流れが、この僕の言う手摺りの欄干(お札)の数で見えて来るなら、この悠々長生橋と言う川は、いやものに言う、道端のお地蔵さんを思わせる、遥かなお地蔵さんの旅に似ているのである・・。
ではでは!今日は、土曜競馬デーであったけれど、遠足不参加で、明日の日曜競馬にでも具え、いや新しい彼女(ともちゃん)と一緒に今宵の夜遊びをしようと思う。
*前の彼女(ゆ~)とは縁満お付き合い成就完成でお納の花道。
追記
縦の僕が言っているお札は、欄干あるいは手摺り子だねっ!