まあ、悪と言うは表向きのどうでもよい上辺を気にし、核心には至らずドあほうなドケチな作法を入って行っているばかりだ!!
と言うわけで、今日も今回は丁度上の与板方面っへ、丁度良く行けたので、都合よく今日は、帰り際に与板に(こちら側から入る手前の、向こうへ抜けるトンネル手前にある神社っで、今山城と言う、旧与板城跡へ向かって上ろうと、その出入り口付近、片手にステッキ(お舟)を持って、いざ上ろうとした。それで、ステッキが意外に使うに体力を使うのを分かって、しかしそんなことは言えずに上っていくと、まあ知っている上りの板階段を一段ずつ上り、すぐに一番上まで上ると、着く神社で、まあこの与板地域の
:お舟と(直江)兼続
と言うお二人のこと、まあ上辺の看板(見てくれ)ばかりを装って、肝心の核心には触れず、あろう後手を踏むばかりの悪ちんきの輩で、僕はまあ女子側的な上辺の看板ばかりを着飾り、核心には触れないドあほうな今の現状をよく見るわけだ。
おんなのこ、には、核心がある!これは、そんじょそこいらの都合ではなかなか見抜けぬことなのだが、まあ意外、おんなのこの核心に触れるならば、まあ常識を追い持ち、おんなのこっが、
さな:おんなのこ同士のお友達っが、いつも仲良く長年に渡り連れ追うと、こんな女子両人に至っても、ついにおんなのこ的な感情を抱くようになり、相手お友達女子っでも、お友達付き合い以上の想いっで、相手を見つめるようになるものだ。
っと、いつも)言う。
あほうは、この世の理をいつも知らないわけだ。
僕が、入っているに、よく例でアイドルなんかのビデオを見ていて、例えば虹コンのVTRを見ているときに、僕が虹コンのVTRっで、例えば凪ちゃんのアイドルたるその姿勢っで、大真面目凪ちゃんっが、虹コンアイドルの先頭に立って良き女子アイドル像を持つのは、一つに根元凪ちゃんが、おんなのことして、とても良い子、これであるから、誰でも大好きなアイドル虹コンの先頭に立ってアイドルをやっているのだ!っと言う、理想のアイドルの形を述べれば、それが”なぜ、分かるのだろう?”っと言う、お馬鹿な疑問っは、僕がやはり自らアイドルと言う自分をやっていた経験っで、ものを入っているのではなく、ここで周りのおんなのこで、アイドルも含むけれど、お村のおんなのこっと、(レズゆえ、女子的コミュニケーション(レズ、っを欠かさずしているから、と言うは、自らと言う自分とは別の、コミュニケーション(レズ、と言う他女子へのアプローチに寄る、まあ”コミュニケーション(レズ)”と言う物差し、これで図ってものを言う(あるいは経験を積む、僕はこれで、虹コンのメンバー凪ちゃんのその努力ゆえの今のアイドルたる立ち位置にある、これをこう立ち回って入っているわけだ、っと、こう入っているわけだ!これは、今の現代人には不要に立ち入れずにいる未だない相手のものとの、
コミュニケーション(会話等
に寄る、コンタクトをどれだけ取ったのか、と言う有無これを言う。(なんでも、お馬鹿は自分ばかりの主張を繰り返す。
ドラクエっで、僕はこの重要アイテムっでよく出す、
アイテム:魔法のじゅうたん
このアイテムの取得に合って、”教会裏の隠し扉を開けよ!”と言う金輪際の決め手で動く世の常をよく知る。馬鹿が、上辺だけの表玄関ばかり気にし、綺麗に整えて、あとは知らぬふり、こんなのは実は正義ではなく悪、これであり、今の話しで、自分ばかりを頼りに、他者を顧みることなどなく、自分の主張を追い掛けるばかり、と言う話しと同じ。実は、今ある横のお村界隈(アメ、の持つ教会と言う落とし穴っは、まさにこれなのである・。教会とは、表向きの看板(玄関)ばかりを気にしている悪で、厳密に申せば教会裏にある世相これが全くわからない。ものの世は、この教会裏の隠し扉にこそあるのに!!
まあ、ドラクエ教会裏の隠し扉を開いて出て来るは、魔法のじゅうたんと言う行きのいい!これは、晴れの良良アイテムだ!さっきの、与板の城山の話し、ここで僕が言い悟る、板階段を上るときにも分かる、その山上に至る上り道のあり様、上からの気配に、僕はドラクエ教会裏の隠し扉、これを抜け、拾う魔法のじゅうたんに軍配が上がる、っと言うものの如実な!、!善悪対決!、正義が必ず勝つ!と言う瞬間を見る!
まあ道すがら、裏扉(裏出口、ここに合って表向きの飾っているばかりの看板君に、ものは全く逆の針路を指し示す。あの、旅館を思わす佇まいのところ、あのところに至っても、本当は”裏口”となる、裏玄関の装い、これが本当ではないか?やはり、上辺看板玄関ばかりに気を使い、核心ではないあのところに自らの重心を置くとは!(大間抜け
いやいや、ものの大所を突くようである!
やはり!僕が先に書いていて、
さな:善悪と言う構図、これが分からないのではないか?っと、称し、
1、自分
2、周り(世間)の中にいるその一員としての自分!
と言う、2方面っで、悪は、
2、周り(世間)の中にいるその一員としての自分!
この自分(立ち位置ともいえる!)これが、わからない!!
ではでは、!外国聖書の範疇に偲ぶ、本聖書っとキリスト教たる教えの書(所謂新約と入っている書、この両範疇に、ものの答えもあり、自分とは、この2つ、
1、自分
2、周り(世間)の中にいるその一員としての自分!
この2方面に習い、動かしていく自分であらねばならない。馬鹿は、このうち、
1、自分
のみ!っの、!!相手、
2、周り(世間)の中にいるその一員としての自分!
これが分からない!!(あほ
と言うわけで、ものの見事!っに、!僕が出す本聖書っと、キリスト教と入っている(後の新約っと言うキリストの教えっとでは、!本聖書の一本勝ち!っっは、当然、!それが分からなかったキリストの言う、本なる自分を大切にするのだ!っ的な、為り振り構わない他者への言動っは、勿論慎まねばなるまい。自分とは、!
1、自分(のみ!
っでは、あらないのだ!!
わはははは(さなの勝ち!