禁制!)北花園さな競馬ブログ

競馬日記です!!難易度高いかも知れません!

笑う話し(北さなちんがいれば馬鹿もいるって話し

2020-07-15 18:45:02 | livelove日記

玄関先の、郵便受け皿に、チラシで

日蓮大聖人の仏法

なるチラシ(日蓮宗系、顕彰会

の、チラシが入る。まあ寄って笑い話しのタネにしかならないわけだけれど、この顕彰会の執行者浅井君に寄れば、、(まあ日蓮大聖人はどう言う方かと言う方っで、

日蓮ちん:日蓮はこの汚れた世界を、根底から塗り白く帰らせるちょーの付くお台役さまっで、あらせられる(用は、お救い下さる

と、こうある。まあお人間さまの頭では、まあこの腐れた世の中を根底から洗いざらして綺麗に掃除してみせる!なんて芸当は、できっ子なく、いわば日蓮大聖人は、道横にあるお地蔵さん、本おっしょさんである!

と言う、当然の周知の事実これを殊更ここに始め記し、この顕彰っのチラシを言えば、この代表浅井君っは、まあここいら辺っが妥当の恥たる性分もの、ここいらが見える。それは、日蓮(だから)言う、生きる上での性分っとは、仏と為るためだっ!っと言う一連の仏教思想を言い、それは、人間さまでは到達不可能な領分、

人間から仏さまへ

と言う、これは犯してはならぬ人間の過ちを正すべき、これは花から仏さまのお身分である日蓮さまであるから問うお自分のご所存これであり、この日蓮さま意外には到達できやしないので、多分に人間さまはこの日蓮教に足を深入りさせてはならぬ!と言う掟がある。(まあ仏教を深入り、足を踏み入れていると近所の番張りもの(雷おやじ等)に、怒られることあり。まあ、はっきり言い、この日蓮のもの言いは日蓮と言うお釈迦さまだから案ずれるもので、お人は深入りしてはならぬとは先入(言)った。それで、深入り禁物のこの日蓮さまのお言い分に、あほ立ち入りあほ立ち進めば、必ずこうなり、

:仏法は、空理・空論ではない!必ず、証拠を持ち合わせている!

と、こうなる・。日蓮が、(本おっしょさん(釈迦))知っているから仏法はあるのであって、本おっしょさん(釈迦)ではない入っこの人さまが論ずれば、それは日蓮さまでは決してないわけだから、この言葉(まあ禁句

・証拠

こうなって、現れ出るは致し方のないことだ!(真実を語る日蓮さまのお言い分に、人さまが証拠あり!っと、本末転倒のたまうは滑稽なり~、だが、ここいら辺っが、人さまの限界

それで、本末転倒なお自体と休する顕彰の浅井君っは、(もはやぶち壊れる辻褄を合わせようと!、さすれば”人間が仏になるのだ!”っと言う、お人が辺路の脇地蔵になるかのようなもの言いに陥り、あるまじき

人間さまから仏の身分へ

なる、人さまにはあるまじきご法度を犯してしまう。これではもはやダメなのだ。

 

日蓮教の一派顕彰っは、この一大大過ちを犯してしまい、どうも僕が先に言う、

証拠

と言う言葉を用いてしまい、何でも事わらに’証拠’を持ち合わせねばならない丸で天地が逆さまになってしまった科のような自体に陥る。万事は休しているわけだけれど、この全ての事象に

;証拠

を、用いなければならなくなった顕彰っは、もはや物事の辻褄っは当然合わなくなり、先も言う’辻褄合わせ’な、あほう道先を辿ることになってしまう。本心、人が

’生きるには?’

を、論じたいに、本文は何やら末法的な、’死に際をどうするか’であるとか、どうも死と言うものに直結するもの言いが合って始終するお自分のあり用になり果ててしまう。この、果て筋が通らなくなった自分のあり様に苦悩するだろうが、自業自得のゆえ、この顕彰会は、破滅の道を進むわけである・・。

 

日蓮さまのお言いは、正しいのである。それは、仏さまである日蓮さまであるから正しいのであり、そうではないお人と言う身分者には、あろうご法度の立ち入っては本来ならない道なのである。自分の過ちか、この日蓮さまに救いの手を求めるか、浅井君のこのチラシのもの言いはある。けれど、日蓮さまが地に根を張るが有り用の人さまに無論手を差し伸べると言うは、矛盾であり、日蓮さまは日蓮さま本人のあり用をこの日蓮お台紙(立正安国論か)に述べてあるのであり、過ちを犯す本人の正す方向は、無論人としての常識で

罪を償う

これなのである。

行くとこまで入って、この日蓮教(顕彰)は自分の馬鹿下たあり様っが丸でこの列島全てに巣くう病巣のようにもの言い錯覚し、大きなおお崩れが全てに起っているような面持ちで、’全ての人が救われるは、日蓮大聖人さまのご慈悲が必要’っと、馬鹿おっしゃる。(未だ、他人のふんどし)このお人(浅い)の用は世も末で、列島(あるいはあろぅ全世界のお人々は!)この日蓮教に帰依する、全国民顕彰化!などと言う愚痴をいいしゃる!(んなわけあるかー!

 

と言うで、こんなあほぅもわらわの遥か遠くか(いないか)、あろうとするこちらのまあ高名な)おっしょさんとなる北さなちんに対すれば、まあ遥か後方にはこんな出鱈目級のでくの坊さんもいたるわけで、流石にここいら万全、言う天地の差(開き)っは、いい他所ではない(当たり)わけだ。


おなごの道っは、!京丸にあり!っ、っは知っては入るけれど!、、左様の言い分は今は通じず!新おなご)理論!

2020-07-15 17:04:11 | お読みもの

鞍馬と言うはあり、京の方の一個の地方を指すとは知っていて、まあ競馬のステークスで’鞍馬S’と言うのもあるように、お村の代表的な道標、僕はこのお村のまあ以前の常識で

京丸(京都)

っが、おなごの総本山であったと言う過去の話しをして、本題まあ今と言う時期、時代を論じてみたいと思う。はや、おなごの事情でこの京丸地方っが、お村の行方だとする向きは、まあとっく変わっている。

 

まあ、よーく世を見渡せば、おなご(おんなのこ)と言う存在に架け、一方の方向はおなごの事情を顧みれば分かる。それで、簡単に歴史を振り返り、丸で、!

奈良時代(平城時代

京都時代(平安時代

この2つの入り組み合わせっで、世は(まあ分からない人はこの辺の実話は理解がしがたい・・(あほ))大分の方は、(おなごが入り用っであるを知っているわけで、!

京丸(京都、あるいは奈良丸も、

この地方を、本山とし、おなご信仰を集める形で出入りしようとする。まあここで、お村のお女子では全く関係のないいわば、!青年(少年)こうにはこの際出て入って貰う、、けれど(当然)京と言う地方が、

おんなのこ

と言う一辺倒の立場における総山と言う意は、まあ当たっているはそうなのである。しかし、時代は合って今どきは、それが通じないわけだ!(ここいら辺通じず、事情通に寄って話しを聞かねばならないだろう

世は、おなご(女子)っが主体っで入れば良いか?っと言えば、そうも言い切れない。場合に寄っては、とある主役の様相に寄り、この場合

女子

男子

この行き準っが、逆に入れ替わり、相と男子たるおなごのことなどお見通し!のものっが、一手先を言うことがある。(青年は関係ない! 実は、世は不思議なもので、、女子たる性別と男子たる性別、この両方を行き来するものがいたり、両方を同時持ち合わすものもいるわけだ。それは、この、

女子=光

男子=闇

と言う2方向理論から見て、光っがありきと言う世の真相に合って他方の闇と言う在りかっがある時に、実は世が、女子たる光一辺倒のもの言いっが終わりを告げ、新しく光(女子)闇(男子)っが、両面からもの言う時代っが訪れることがある!っと、僕はいいたいわけだ。それは、時代と言う物差しで、実は、時代っが女子(光)男子(闇)と言う2方向を持ち合わすと、上の僕が言う

”京丸(京都)っが、おなごの総本山っで、お家はこの京に従えば良い!”

なる前時代的な思想っは、消え失すことになる。それは、天変地異っが引きおこるような大事変かもしれないが、用は合って、その内実は新しい、

おなご(光)

おとこのこ(闇)

と言う、両混用の新しい物差し、これが必要になる。これで、自体っは決す。

 

世に、真新しい

おなご(光

おとこのこ(闇

と言う両兼用の時代がやって来て、新しい総本山っが表れているとすれば、どうお考えに申すか。おなごの象徴っで、本山の京丸は今は姿を失せ、新たな新時代にあり用の本地これが、姿を現すのなら、どうお考え(お感じ)になるか。用は、そこである。

 

 

ドラクエと言う名ゲームがある。パート3っで、主人公一向っは、黄金の国ジパングを旅し、そこでお村の

ヤマタノオロチ

これと決戦する。そうすると、主人公は”くさなぎの剣”これを手に入れ(当たり前、進むと自体っはヒミコがおいるおなごの間へ進み、もう一度(オロチだと言う)ヒミコと決戦する。出でいる姿は、ヤマタノオロチで、主人公っはもう一回ヤマタノオロチ(大蛇)と決戦するわけだ!

 

この辺の妙は、少し達者になって図り得なければ、おなご特有のおお化け風呂敷を見せられて、見当がつかなくなる。ヤマタノオロチっがあり、その正体っはヒミコっだ!っと言うとき、これが世の真実でありながら、左様の

ヤマタノオロチはヒミコだ(あるいはヒミコはヤマタノオロチだ!

と言う世の真実(道標)から、僕らはどうこれを受けるべきか?ここに、おなごの新事情っはある。

 

ヤマタノオロチは、この列島(オノゴロ)そのものの大蛇であるのは意図当たり前である。それがお村のおんな総領ヒミコと言えば、列島と言うはヒミコで合って、ヒミコが受け渡す(宝箱パープルオーブ)っは、前の

くさなぎの剣

と、

パープルオーブ

と言う、女子系では最必須アイテムの2子、これが受ける新しい(まあ見方っは前の時代的だけれども、)おなごの出合いなのである・・。(つまり、ここはおなごに化かされたかのような錯覚を持つと言うなら、世の真実と言う常識ここに照らし、真相を見ねばならない。ヒミコっが、真相っで、上の

くさなぎの剣

と、

パープルオーブ

を、渡す(これが分かれば!

 

僕は、時代はおなごの時代で本山を京丸に置くような時代(前時代)は終わったと言っている。されば、新しい(いつもの事情に戻る、これが本心の)おなごの総本山っは、どこにあるか?と言う新たな問いっは、まあ見ればお分かりの

おなご(光

おとこのこ(闇

この2方向っが指す先、これである。(実は、羅針盤とし、京丸より下がおなごの時代(前時代)だったわけである。まあ隠れて見えずらいと言うは合ったかもしれないけれど、実は(当然!)京丸(京都のことだ!)寄り、上は合って、それは僕は教え正す京よりも、右方向、さすれば直の敦賀(今で言う滋賀当たり、から真横に行きう、三国や長野、福島、それで、北の方へ向かう、東北連中が集っている地域、この辺が実はおなごの事情に合う京丸よりも上の(レベルが高い)新時代の

おなご(光

おとこのこ(闇

の時代(世間)の幕開けであった。それで、よくよく京より下で、京あるいは奈良より下(まあ列島南地方、東海道やその先箱根越えの最終地武蔵野台地、ここいらは今はお役御免の旧時代的なお顔を持つ、一つ時代遅れの地、これなのである・・。

 

と言うわけで、新しいおなごに係わる新常識っが揺れ動く中で、まあ月~金と用事はなく、土日に競馬(お村祭)が開催されるだけ、と言う今のお村の事情を乗っけておこう!

さよならー!