いやっはや、今は僕は特に、(男系とし)
:音楽(学問)
に身を入れ、その精進を図ろうとし、町の午後に図書館へ行って本を借りようと思った。それが、途中
:古今和歌集
でも、借りてこようかと思ったので早速行って借りてくるのである。
家に帰って読むと、まあ筆者(選者)であるもののうちからこの
:春歌上
を読むと、こうあるわけだ!まあ、読むに(面白いけれども)最後の方で、(選者と話したいものだが、、あはは!)
:見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
こうあるわけだ!些かのものには、この素性法師の読んだこの句が分かりかねるだろうけれども、無論この僕が借り、古今和歌集選者のもの(紀友則等)からも無論僕とは隔たった見方をする如く、僕には、
さな編序:(春を)見渡すと(とある???と)柳桜をコキ混ぜて、都を春の錦の界隈となってしまった!
と、こう説けるわけである。僕が借りるこの本の見解では、
本の見解:遥かに眺望すると、緑の柳と紅の桜をしごき散らしてまぜ合わせて、この平安の都は、春の錦そのものであることよ!
こうある。
んー、なるほど!この倭国(日本)では、最初の古文書と為す
:古事記
:日本書紀
の、二篇が表すようなこの僕と古今和歌集の選者の見解の相違は、以下にいつでもある問いだ!まあ、ここは古今和歌集の選者の見方が最上位であるので、この句はその通り、
:柳の緑と桜の紅が、見事合わさったこの錦の世よ!以下に!!
と言う、選者の見解があるわけだ!
今方は、僕が長岡界隈では新潟方面へ抜けるまあ冨曽木の界隈で見るまあちょっと前の風が吹くような空き地で、僕が一人遊ぶ様子を見、世間は
’これが正しい世だ!’
こう感ずる。恐らく、この古今和歌集が為った平安と言う期も同様、僕と言う一存在が同様富曽木と言う舞台で一人遊ぶ風景と、もう一つ片方どこかで同じく遊んでいるおんなのこのこの同時進行となる世の中の同時刻性、これなのだ!
いやいや、古今和歌集の上の句は、おんなのこ事として上の様に、
:緑の柳と紅の桜
と言う二案件があり、界隈は見事に花が咲く(錦と為す!)と、こうあるけれども、今日に至っても丸でこの様子は変わらず、片隅の二辺同士で、やはり錦を飾る様に世間は秋頃に錦と為すわけだ!
いや、分かるだろうか?世の常とも言うべき、おんなのことしての由無し事をだ!!男女と連れて、武人と言う分かれ方があり、この古今和歌集はそのうち男女の光景を見る。
いやはや、この古今和歌集の選者から見て世は当然僕が書くように、見事に織り成す男女の光景を映し出す!
いやはや、おんなのことはこう言うものだ!
ではでは、天皇とは余り関係のないこの古今和歌集が言う男女の風情(生業)で、ここに一句記しておこう!最終の句では、この一句とは(丸で)逆のおんなのこにしては外下野扱いの最下位の句、これが入っている。当然この
:見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
と言う句に対しては、この織り成す様では全くない、蚊帳の外で一人咲く山桜これを指している。
いやー、おんなのこと言うのは斯くこうあるんだなぁ~!
では!