えっと、お腹空くっが、実はごはん食べよ!っの合図ではないことなど、とっくと言うかひゃくも承知のこと、闇が明けて、あさつきが上がるころ、ちょっと南の方角を眺め、前にちょこっと立ち寄るところ、
塩沢、牧之通り
当たりの、ええと、僕はいっちょ前振りなぜだか知っていないのに知っている風の輩が、この同じ塩沢、牧之通りにつき、ああこれ入っているのとはまあ逆に、僕はこの塩沢にある、牧之通り沿い、この通りの名前となっている、科の鈴木牧之の書く、「北越雪譜」この書が、元来と言うかまだ)雪には縁遠い遠く武蔵野界隈のもの、このものたちっが、’雪なるものを知らないっ()’っと言う理由っで、鈴木牧之っが、’っでは、一つ書いてみようではないかっ!’っと、一つ筆を持ったのが、この「北越雪譜」であったと言う。まあ歴史を振り返っても、武蔵野の台地っは、開くに一番最後であって、まあこの当時(江戸期)においては、まだ未開のまあ未開と言うは、女子的にまだまだこれから~ズ!っは、致し方ないっと言う未開の地、ここのものに対して書いた書物で、牧之の「北越雪譜」っは、あった。それで、、
まあ、この塩沢当たりの地っは、まあ土地が肥え、酒には恵まれるは言うまでもない。それで、この地にあるお酒で、
鶴齢
と言うお酒があり、前に僕はこのお酒を飲んだことを書いて’うまい!’っと、合ったことがある。それで、この鶴齢っが、まあ鶴齢酒造のホームページを開いてみて、まあ鶴齢酒と、何本か種類があり、見比べて僕は、こう、
さな:何本か並ぶ鶴齢の真ん中、ラベルが緑のものを中心に、左右の鶴齢、この言えば中央3本の鶴齢が主だったんだよねっ!
と、言う。まあこの鶴齢は、名ずけとなっている鈴木牧之っが、こう鶴齢と言って、お酒鶴齢となっているのだから、このお酒は(当然!)鈴木牧之のお酒っであると、こう分かる。まあ鈴木牧之など、大なる大番者であるから、この鶴齢酒造っが作る鶴齢など、村と言うか列島を代表する大酒に他ならない。うまい酒は、ブログに書いたけれど、その地の土に鍬を入れた回数だ!と、僕が豪語して、入っているように鶴齢酒っが、うまいのは土地の土をまあよーく耕しているからだ。!(まあおんなっぷりも良いわけだ)
それで、まあ出雲崎と言うか与板の地での良寛さんをみるような高名なお坊さんでも見るかのようなこの鈴木牧之さんの、立派なお酒(鶴齢)は、まあ仏さまが示すようなお釈迦さまに通ずる一等酒だ。
まあ、昔に飛鳥の時代があり、これは科の!聖徳太子っが、向こうから(自らの)仏教為る経典を持ち入れたときに、この飛鳥の聖徳太子さまは、このお村全土の大注目!一等賞なものだったわけである。鶴齢は、この聖徳太子が、持ち入ったそれは名高い高名な酒と一緒で、鶴齢は、聖徳太子さまを表すようなお酒だったりする。
同じ鶴齢を持つ青木酒造の他の酒、これに「雪男」と言う酒がある。面白いけれど、まあ見ればワンカップにその雪男のマークがついたラベルがある。
鶴齢が、この地の代表する鈴木牧之のお酒だとすれば、対する同じ「雪男」は、山を越え、お隣さんっがわざわざこの塩沢までやって来て、そのおんなのこ的な生業を覗きに来たかのような、お村ののぞき見隊!これがこの雪男の印が付く酒「雪男」の真相ではないか?!わざわざ、そう思い、僕はまあ代表とするかのような2つの、「鶴齢」と「雪男」を見る。
塩沢の前に、小出と言う駅があって、降りて向かいお橋()っを通ると、牧之が書いたかのような碑がある。(そうだったような・・)牧之っは、高名な坊さんだけれども、どこからかのお嬢さんと一緒になって、この地で暮らすものだったのではないか?鶴齢酒が表すような、うまい酒の主っは、向こうからやって来るお嬢さんに見つけられ、ともに暮らすこととなる。高名な坊様になるは、それなりの苦労(と快楽)が必要だ!いあ、この高名なる坊さんっとは、まあ世にある非常識な理屈っは、まったく通じない、女性的な生業を持った、常識者だからなり得る所以なわけだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます