2012年、初夏。
もう、おばばのKMVP助手はいつの間にか行かなくなっていた。
毎週金曜日の訪問診療だけでいい感じ。
これがおばばとの適度な距離なんだろうなって思っている。
おばばのおさらい。
右肺末期がん。昨年暮れくらいから年こして位にかけて来院したと思う。
初期の余命の予想は3月いっぱい くらい。
近所の大病院での治療(抗がん剤)は拒否してそのまま在宅みとりとなった。
だが、、、
余命を過ぎてもピンピンしており、月日は流れ8月に突入。
自分が病院でがん患者をみていたときはこんなに長生きしている症例は経験なし。
一昔前、まだ緩和ケアなんて言葉がない時代の末期がん患者は苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで死んでいくって印象しか持ってなかった。
以来10年以上「がんは苦しんで死んでいくもんなんだ」って刷り込みの下に仕事をしてきた。
あまりやりがいや楽しさも感じないので消化器内科とか外科はどっちかというならキライ。
まあ、もともと心疾患のみにしか興味が無かったから「がん」にたいしてのかかわりを避けてきたのもある。
適材適所。興味のある分野で積極的に学習したほうが楽しいし、辛いこともやっていけるし、何よりやりたかったことを出来るってことが嬉しかったからねえ。
末期の看取りは「がん看護」もしくは「緩和ケア」に興味のあるひとがやったほうがいいし、やるべきだと思ってた。
今の職場に来てから結構末期の症例に関わることが多くなってきて、がんで死ぬのは静かなもので、痛みさえなければ、最期それなりに受容して死んでいくってことがわかってきた。
後は(★その状態を見ての考察、おそらく ともいう)意識というか認識能力が保たれている場合、自分の体が自分の思ったように動かないもどかしさがあり、かといってそれを表現することがなかなか出来ない。不安は当然感じるだろう。
んで、せん妄ってよばれるものになるんだろうなあ。(前職場で「せん妄」についてのケースをまとめたから今になってそれが役立ってきた感じ)
そしたら、Sedationをかけてあげたらいいと思う。辛いと思うし。俺ならそうしてもらう。
今の職場にきて初回の在宅看取りをしたときに感じたことは、狭い部屋にベッドと少しの生活物品。モニターも輸液類も何もない。ただ患者がそこにいるだけ。ピンコラピンコラ アラームも鳴ってないし、隣りのヒトの息遣いが聞こえてくるよう。
正直 「もう終わり~?? これでいいの??」て思った。
ホスピスは知らないけれど、一般病院での最期しか経験してなかったから なんか あっけない それでいて あわただしくなくて 静かな最期だった。
さて、話はそれたが おばば 不死身な感じ。訪問診療毎に感じること。
「いつ逝くんだろう?」
訪問毎に 粋 な感じ。訪問するとたいていくわえタバコに「あいよ!!」って発語。
ベッドの上からマッチ棒みたいな足で 先生や俺に向かってハイキック。
きたねえ猫が数匹うろちょろしてる(*´∀`*)(注:自分は無類の猫好きです)
時々患部が疼くみたいだけれど、痰を切る薬と鎮咳薬飲めばそれもなくなり、うなぎは食うは、水分摂取も沢山してるわ。
うなぎなんて 俺は今年 口にもしていない。
恐るべしおばば!。
生きた伝説と言われも過言ではない。
と思った矢先に 今朝 オババから緊急コール。ってクリニックに電話がかかってきただけだけど。
おばば(だみ声で)「お~う。 昨日からよ~。昨日の夜6時くらいからよ~。食べたり飲んだりしたもの、みーんな吐いちゃうんだよ。(今はどう?)だ~め。まだ吐いちゃう。(薬も飲めてない?)いんや、薬は飲めてる。(午後往診時間だから行くよ。点滴しても大丈夫??)あ~い~よ。」
午後往診、相変わらず、くわえタバコ。パッと見た感じDry(ビールじゃないよ)。ツルゴールも低下。舌乾燥。頻脈微弱。血圧は触診で100/位。経口摂取困難、昨日から。部屋換気できているけれど暑い。
典型的な脱水の所見。とりあえず点滴した。
明日から訪問看護師さんに点滴依頼して、、、
さて、どっちに転ぶやら。
「まだ、死ねねえ」と言ってたけどね。
最近会うたびに おばばの顔から険が抜けて仏のように見えるのは気のせいだろうか?
大体みんな いや~な患者でも 最期が近づいてくるにつれて、仏のようにいいやつになって 本物のホトケになっていくんだよね。
静かに、でも確実に 終わりを迎えようとしているのは分かる。
本人が一番分かっているんだろうな。
自分が死を迎える時どんな感じになるのかが分かるのかなあ??
どんな感じなんだろう。
深いなあ。