NPO法人さなぎ達ブログ

横浜市寿地区や近隣地域を中心に社会的生きづらさを抱えている人々を対象としながら活動を行っているNPO法人です。

「さなぎ達」とは

日本三大寄せ場の一つである、横浜市寿地区、寿周辺地区を中心に、路上生活者及び路上生活に至るおそれのある人々が、自ら自立に向かいやすい環境を整える「自立自援」を主な目的とし、メンタルを一番大切にしながら「医・衣・職・食・住」の各方面で活動しているNPO法人です。

こんのくんとおばば-10最終回

2012年10月06日 | つくんこ
2012年、初夏。
 もう、おばばのKMVP助手はいつの間にか行かなくなっていた。
毎週金曜日の訪問診療だけでいい感じ。
これがおばばとの適度な距離なんだろうなって思っている。

 おばばのおさらい。
右肺末期がん。昨年暮れくらいから年こして位にかけて来院したと思う。
初期の余命の予想は3月いっぱい くらい。
近所の大病院での治療(抗がん剤)は拒否してそのまま在宅みとりとなった。
だが、、、
余命を過ぎてもピンピンしており、月日は流れ8月に突入。

 自分が病院でがん患者をみていたときはこんなに長生きしている症例は経験なし。
一昔前、まだ緩和ケアなんて言葉がない時代の末期がん患者は苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで死んでいくって印象しか持ってなかった。
以来10年以上「がんは苦しんで死んでいくもんなんだ」って刷り込みの下に仕事をしてきた。
あまりやりがいや楽しさも感じないので消化器内科とか外科はどっちかというならキライ。

 まあ、もともと心疾患のみにしか興味が無かったから「がん」にたいしてのかかわりを避けてきたのもある。
適材適所。興味のある分野で積極的に学習したほうが楽しいし、辛いこともやっていけるし、何よりやりたかったことを出来るってことが嬉しかったからねえ。
末期の看取りは「がん看護」もしくは「緩和ケア」に興味のあるひとがやったほうがいいし、やるべきだと思ってた。
今の職場に来てから結構末期の症例に関わることが多くなってきて、がんで死ぬのは静かなもので、痛みさえなければ、最期それなりに受容して死んでいくってことがわかってきた。
後は(★その状態を見ての考察、おそらく ともいう)意識というか認識能力が保たれている場合、自分の体が自分の思ったように動かないもどかしさがあり、かといってそれを表現することがなかなか出来ない。不安は当然感じるだろう。
んで、せん妄ってよばれるものになるんだろうなあ。(前職場で「せん妄」についてのケースをまとめたから今になってそれが役立ってきた感じ)
そしたら、Sedationをかけてあげたらいいと思う。辛いと思うし。俺ならそうしてもらう。

 今の職場にきて初回の在宅看取りをしたときに感じたことは、狭い部屋にベッドと少しの生活物品。モニターも輸液類も何もない。ただ患者がそこにいるだけ。ピンコラピンコラ アラームも鳴ってないし、隣りのヒトの息遣いが聞こえてくるよう。
正直  「もう終わり~?? これでいいの??」て思った。
ホスピスは知らないけれど、一般病院での最期しか経験してなかったから なんか あっけない それでいて あわただしくなくて 静かな最期だった。

 さて、話はそれたが おばば 不死身な感じ。訪問診療毎に感じること。
「いつ逝くんだろう?」
訪問毎に 粋 な感じ。訪問するとたいていくわえタバコに「あいよ!!」って発語。
ベッドの上からマッチ棒みたいな足で 先生や俺に向かってハイキック。
きたねえ猫が数匹うろちょろしてる(*´∀`*)(注:自分は無類の猫好きです)
時々患部が疼くみたいだけれど、痰を切る薬と鎮咳薬飲めばそれもなくなり、うなぎは食うは、水分摂取も沢山してるわ。
うなぎなんて 俺は今年 口にもしていない。
恐るべしおばば!。
生きた伝説と言われも過言ではない。
と思った矢先に 今朝 オババから緊急コール。ってクリニックに電話がかかってきただけだけど。
おばば(だみ声で)「お~う。 昨日からよ~。昨日の夜6時くらいからよ~。食べたり飲んだりしたもの、みーんな吐いちゃうんだよ。(今はどう?)だ~め。まだ吐いちゃう。(薬も飲めてない?)いんや、薬は飲めてる。(午後往診時間だから行くよ。点滴しても大丈夫??)あ~い~よ。」
午後往診、相変わらず、くわえタバコ。パッと見た感じDry(ビールじゃないよ)。ツルゴールも低下。舌乾燥。頻脈微弱。血圧は触診で100/位。経口摂取困難、昨日から。部屋換気できているけれど暑い。
典型的な脱水の所見。とりあえず点滴した。
明日から訪問看護師さんに点滴依頼して、、、
さて、どっちに転ぶやら。
「まだ、死ねねえ」と言ってたけどね。

 最近会うたびに おばばの顔から険が抜けて仏のように見えるのは気のせいだろうか?
大体みんな いや~な患者でも  最期が近づいてくるにつれて、仏のようにいいやつになって 本物のホトケになっていくんだよね。
静かに、でも確実に 終わりを迎えようとしているのは分かる。
本人が一番分かっているんだろうな。
自分が死を迎える時どんな感じになるのかが分かるのかなあ??
どんな感じなんだろう。
深いなあ。

こんのくんとおばば8.9

2012年10月02日 | つくんこ
2012/4/25 (水)
川崎さんとKMVP助手今野。

ノック。
教会の友達が来てくれたようで喜んでいた。

「あ~い!!」っと今日も元気だ。
でも、咳の回数が増えて、なんというか全体的に小さくなってきている印象だ。

「おじゃまします。久しぶり」と声をかけると。
おばば「ほら、これ食え!!」
と部屋に入ったとたんに、川崎さんと俺に向けて菓子パンを投げる。

いつもの場所に座る。
面会者が来ているのだろう。花がテーブルの上に飾ってあった。
ちょっとしおれているし。

看護師になって、今の職場に移ってから、在宅患者を多く看る事が多い。
そんななかで「環境要因」ってかなり重要。

病院では、病院で決められた環境の中で患者は生活するんだけれど、在宅だとまずその患者がどんな生活をしているのかってことが大事。

当たり前なんだけどね。部屋の気温や汚れ具合。


2012年5月18日 (金曜日)

KMVP川崎さんと待ち合わせ、いつものように訪問診療に向かう。
玄関のドアを開けるとタバコ臭い!!(-.-;)

まだ吸ってたんだ。元気ながん末期患者だ。

思えばおばばの看取りに入って早2ヶ月。当初の見込はというと桜の時期を迎えられないだろうと言われていた。
長生きしてる。もう5月も終わるぜ。猫もかなり懐いてきている。可愛くてしょうがない(*´∀`*)
先生が診察したり話しているときに、猫の頭なでたり、抱っこしたり、おばばより猫に会いに来てる感じ(職務放棄??)

抗がん剤治療を拒否したのはおばばにとって良かったのだと思う。
抗がん剤治療は両刃の剣だから。痩せこけた老婆には負担が大きかっただろう。闘病意欲もなくなり早くに逝ってたんだろうなと思う。

いつも誰かが面会に来てくれて、それなりに笑ったりばか話したりして過ごしている。慣れ親しんだ自宅で、好きな猫に囲まれて。

笑いは免疫を活性化させるんだなあ。詳しい話は知らないけれど、笑いでがん細胞がなくなるって聞いたことあるし。
俺だって、いまこれを書いている瞬間に体のどこかでがん細胞が出来ていて、免疫がそれを壊してるんだからなあ。
生産と消費の秩序が壊れてがん細胞が優位に立って無限大に増殖していくのががん細胞だから。
笑って免疫活性するんだったらそれにこしたことないね。

「もう末期」と言われて「とことん戦ってやる!!」と思う人もいれば「もういい、残りはゆっくり過ごしたい」と思う人もいる。

こうしていくことが正しいって線引きは出来ないし、本人の意思決定を尊重することができればいんだろうなあ。
たくさんの人の死にあたっているけれど、病院勤務のときに思ってたことと違うことは
いろんな亡くなり方をする人たちを見て、自分が死ぬときはこうしたいって「自分にとって理想的な死」を考えるようになったこと。
病院で誰が見ても何をやっても100%蘇生不可能な場合だと思っても、病院の立場としては「死なせてはいけない場所」だし、急変時どうするかの家族の意思確認が取れてなければ当然CPR(心肺蘇生行為)に繋がる。
CPRを否定してはいないけどね。助けられる命は全力をもって臨むべきだし、ダメな場合はダメな場合でそれはその人の運命・寿命だからしょうがないんじゃないのかなとも思う?

もう、静かに逝かせてあげたらいいのに。ってずっと思ってた。

今の職場にきて、看取りをして思ったことは、医療者が出来ることはあまりない。
患者が苦痛に感じていなければ、点滴も酸素投与も必須ではないし、
「あえてなにもやらない」という選択肢もあるんだと理解したのは、看取りを何例か経験してから。

医療者の思いでよかれとおもってやったことが結果として患者本人に苦痛を与えることになるんだ(だいたい、末期の患者に点滴しても体が受け受けないみたいでむくみになるだけ、皮膚トラブルの原因にもなるし)。
心電図モニターもないし(つける必要ないし)、点滴も、酸素もないし 静かなもんだ。これが自然な死に方なんだろうな。って思う。

緩和ケアの領域もまだ歴史が浅いしこれからいろいろ変わって行くんだろうな。

まあ、もうそれはいいや。

病院でやってた退院調整は在宅との乖離が思った以上にあることが多いってのも分かったし。
病診連携の大事さもよく分かったし。
それなりにやりたいことやったし、9月から病院に戻ろう。

さて、おばばの話に戻そう。
おばば は なぜかクリスチャン。
最近外国人が毎日見舞に来ているらしい。IKEAの服とかを見舞いにもらっていた。

「ほら、みてみなこれ。おれはこんなの着ないんだ。持ってけ」って黒いひらひらの洋服を先生に渡した。
それを見た先生が一言。

「お、これいいじゃん。喪服に(^o^)」

まったく、言うね先生。俺もまったく同じことを感じていた。
おばばは聞こえないふりをしてさらにもらった服を出して来る。

両腕が忙しそうに動く、末期のばばあの動きじゃない(-.-;)

先週来たときにはたんからみが多くて、予防的に抗生物質を出したんだけど、よく効いているようだ。
復活している。
帰るときにハイタッチもするし、足で蹴飛ばして来るし、おばばなりのもてなしのつもりなんだろうけど、これって、結構なエネルギー消費だぜ。

確実に落ちて来ているけれど、一体おばばの最期はどんな感じになるんだろう??


予想できません。一つ分かっているのは彼女は人生を全うしようとしている。と思う。それはそれでいいんじゃないかな。

こんのくんとおばば7

2012年10月01日 | つくんこ
2012/4/20(金)

訪問診療。
相変わらず元気。
いつも左向きでいるため、左の腸骨に褥創(床ずれ)あり。
創面は未だ浅いのでデュオアクティブを貼付している。
この日Dr山中が診察。創部周辺をさわると、「いて~な。コノヤロ!!」と眉間に皺を寄せてオババ逆襲が始まる。
バシバシ叩いて、オババキックも出た。
お約束な感じだ。
後で聞いた話だと、川崎さんに「今日はやってやる」位の意気込みを語ったそうな。


その後少し話しオババの家を後にした。
今野はいつも診察終了後「またね!!」とおばばとハイタッチする。

この日はいつもと違った。
ハイタッチは2回空振り。
しまいにゃ毛布の下から、枯れ木の様な足が出てきて俺の足を蹴ろうとしている。

そんな足をキャッチして、足の裏をくすぐる。
どうだ。俺を甘く見るなよ^^

すると おばば、すかさず反対側の足で俺のケツにハイキック。
おうおう。やるじゃないの。

食欲低下、活力も低下、でも訪問診療に来ている我々に対してもてなす気持ちはあるようだ。

末期癌の患者でこんなに元気な人は初めてだ。

こんのくんとおばば6

2012年09月20日 | つくんこ
この日今野はグループホーム訪問看護の日。

夕方にクリニックに戻り16時過ぎくらいから川崎さんとおばば宅へ。
少し弱った感じだ。

おばばの身の上話になった。
東京の浅草生まれ。3歳からお琴・三味線をならい東京の歌舞伎座というところで芸をしたこと数回。
兄弟は兄姉併せて5~6人。姉は障害持ちだった。
自分は15歳の時から親の変わりに昼間は食堂やって、夜はそのまま飲み屋をやった。
食堂の名前は「〇〇コ食堂」から「〇〇コ食堂」へ変更。自分の名前を冠したそうだ。
障害持ちの姉は何も出来ずに家に引きこもるだけだったが唯一できたのがおでんの煮付け。
それだけ店の手伝いとしてやらせてた。
自分でキリモリして、売り上げは全て親にあげた。

その後21歳くらいから寿へ。そこでも働いた。酒、タバコはもちろん博打もやった。でもちゃんと働いた。

「夜飲み屋をやっていたときなんだけど、酔っぱらって金をださねえ客がいるから、前払い制にしてちゃんと飲ませてやって、そいつが酔っぱらったら店から引きずり出して、タクシー呼んでやるんだ。」
と、稼ぎのコツを得意げに語る。
結構オラオラしてたんだな。


笑ったのが年齢の話。
「アタイこないだ○○○病院に入院したんだよ。その時にアタイのカルテを見たんだけどアタイ、今の年齢77歳なんだってよ!!
アタイずっと71歳だと思ってたんだよ^^」
と。
年齢重ねると、自分が何歳なのかたいした問題では無くなるんだろうね。
分かる気がする。自分も別に自分の年齢に興味ないもんね。

そういえば、アメリカに住んでいる叔母にこういわれたことがある。
「私、今でも気分は20歳よ!!(当時70歳前)貴方はいいわね。若くて。私が貴方の年齢に戻れたらやりたかったこと全部やるわ!!」って。
オババも叔母もそうだけど、基本的に女性の方が好奇心旺盛なんだなって気が何となくした。

もう一つはタバコについて。オババはハイライトが大好き。

「まあ、好きならいいんだけど、タバコ吸ってて苦しくないの?」と聞くと、すかさずこんな返事が来た。

「タバコ!?吸ってないよ。ふかしてるだけなんだ。肺に入れて癌になったら大変だからさ!!」

ちょっと得意になっている表情。

「ああ、そう、、、」

その時俺の頭の中にはある疑問が、、、

「あれ、オババ 肺がんじゃなかったっけ?告知していたよなあ、、、??まあ、そこのところは深く話してもしょうがない。今この時間を楽しもう。」

その後も色々話して、この日はトータル1時間以上話した。

帰り際、おばばはこう言ってきた。

「寂しいからよ。また来てくれよ」

大分弱って(素直になって)きている。牙が抜けてきた感じだ。


いろいろ話しながら、時々見せる笑顔。(前はそんなに見たことなかった。小さな変化ってやつだ)

近いのかなあ?って思う。

こんなにゆっくり関われることはないと思うので出来る範囲で関わっていこう。と思う。

こんのくんとオババ5

2012年09月06日 | つくんこ
2012年3月30日

訪問診療。

水曜日はいろいろあって見舞いには行かず。

いつものように訪問、「こんにちは~。おじゃましま~す」ってあがると遠くから「あ~い」っといつもよりは少し小さな声で迎えてくれる。

喫煙は続いている。この部屋はいつも紫煙に包まれている。

むせるぜ。マスクが必要だぜ。あんなに愛煙家だったのに今はすっかり嫌煙家。

オババにとってタバコとは人生の伴侶のようなものなんだろう。

しゃあない。寝たきり、楽しみはタバコと時々見舞いに来てくれる人たち。

毎日毎日 四六時中 布団に横になって天井ばかり見ていたら気が狂うだろうな。


もし自分がこの立場だったら?耐えられないだろう。思うように体は動かない、動くとしたら寝返りのみ。


俺15歳の時バイクで電柱に突っ込んで骨折して入院したんだけど、2週間ベッド上生活だった。まあ、手術してそのあとからは離床できたんだけど。2週間の間にいろいろ考えた。

「このままずっと歩けなくなるんじゃないか?」

「障害が残ったら・・・」

「あ~あ、とことんついてない。人生終わったって感じ」

置いていかれちゃった。って感じで、社会からの疎外感を感じた時、人って思いっきり心が折れる。

あっけないくらい、ポキッて。

無気力・無感情、自業自得だって自分を責めても後悔してみても、な~んにも変わらない。

結果が残るのみ。

なんて人生は無常なんだろうと思う。

呼吸音:RATTINGは消失。

訪問するたびに感じること。オババから牙(オラオラ感)がなくなっていく。

キューブラー・ロスという精神科医が昔いて「死の受容過程」ってのを唱えてた。経験的に全ての過程を通過することはあまりなくあってもその時間は個人によって長かったり、短かったり様々。

1週間もしないうちにいろんな葛藤を抱えたりしていつの間にか死を受容している人もいれば、初見の時から既に達観の域に達していると思っていたのが最後の最後で乱れたり。
人それぞれだ。

オババは元気だった時は「オレはもういつ死んだっていいんだ!!」って言ってたけれど、ちょこっと具合が悪くなった時に会った時は(杖ついてヨボヨボしてた)「アタイ、もうちょっと生きたいんだよ」って言ってた。

どっちも本音なんだろうね。その時のコンディションに応じた自分の本音。嘘ではない。粋がってもいない。

自分に余裕のあるときは他者に対して思いやりを持てる。でも、自分に余裕のないときは他者に対して思いやりを持てるか?なんていうとそれは難しいと思う。

「自分を犠牲にしてでもその人に尽くしても良い」ってなかなか思えないと思う。


さきほど話に出したキューブラー・ロスさんは自身の終末の時、悪態をついて死んでいったようだ。

知る人ぞ知る有名な話。誰も死んだことなんてないんだし、未知なものに不安を抱えるのは当然のことだと思う。

まあ、きっと呆けていたのもあるのだろうけれどね。

俺も看護師って名称をなんとなく名乗って早13年目。

死亡症例には数えてないけど、相当数経験してる。別に特別な感情なんて一切持ったことがないけれど。

そういうと「心が無いんだね」とか訳ワカンナイこという人に時たま出会ったりすることあるけれど、その人の最期に接する時ちゃんと看取っているよ。て思うこともたまにある。

いろんな人の最期を見ていて(病院、在宅限定)、ときどき思うことがある。

自分の死に様ってどういうふうになるんだろう???って。


この度 不思議なことに、興味が沸いたのでオババの事を日記にしているけれど、今はこれを書き止める余裕があるから書けるんだな。


何年か後に読み返したら、思い出がよみがえってきて楽しいんだろうね。
どうなんだろうね。
still I don't knowって感じ?

こんのくんとオババ4

2012年08月27日 | つくんこ
2012.3.21(水)

KMVP川崎さんと訪問。

いつものように見舞いに行ってきた。
「おじゃましま~す」と言ったら「あいよ~」って。
部屋に行ったら何となく影が薄くなってる感じ。いつものパワーを感じない。

いつもと同じく椅子を広げておばばの近くに座る。
「どう??」
と声をかける前に、今野の鼻から鼻水が垂れてきたので「ティッシ1枚ちょうだい」と声をかけた。
おばばは静かに頷く。

最近振り回してはいないだろう、ティッシュボックスから1枚もらう。
鼻をほじりながら(今日はなんの話をしてくれるのだろう?)と考える。

誰からともなく昼飯の話から始まる。

「前の亭主が42歳で死んだ。だ~れが悲しむか。「死ね!!」って言ってやったさ。最期、燃やすときも「ああ、もういいから早く焼け」って言ってやった。絶対に墓参りなんてやらないね。アイツに花束買ってやるのももったいない。そんな金があるならタバコ買うさ。」
と過去の話をする。おばばが若かった頃、稼ぎ頭がおばばで旦那は博打に明け暮れていたようだ。
朝から夕方まで働き、夜から朝まで働き、稼いだ金をぜ~んぶ旦那が捕っていって博打に使われ一銭も残らなかったようだ。
この旦那、どうしようもない奴だったんだね。因果応報って思った。

40年ほど前の寿は日雇い労働者がすごい数がいて、そんな中で女一人が働いて生活するって今の世の中では考えられない位過酷だったんだろうと思う。
だから、男勝りな感じのおばばになったんだろう。


猫の話。黒と白の三毛っぽい猫(名:ぴょんぴょん、妊娠中)が我々の周囲をうろつく。
部屋の外からはオールボスが様子をうかがっている。


「今日は眠くなっちゃったよ」とおばば。川崎さんが「さなぎの桜井さん知ってますか?見舞いに来たいといっているのですが今度一緒に来ましょうか?」と聞くと「桜井に言っとけ。タバコ3箱くらいもって見舞いに来いって。」
恐るべし。たばこラブなおばば。

帰り際「時々はこうやって様子を見に来ておくれよ。」とおばばが漏らす。

同居人はいるけれど、こうやって動けないで布団に横になっていると心は折れてくるだろうな。

おばばも過去を話し出してきたし、猫たちも少しずつ慣れてきている。
旅立ちは近い感じがする。


季節も春めいてきた。

桜が咲いたら、花見なんて出来たらいいかもしれないねえ。

出来るかな??

こんのくんとオババ3

2012年08月20日 | つくんこ
2012・3・16
訪問診療。Dr山中&Ns今野

「お邪魔しまーす」と家に入る。

「ああ、いらっしゃ~~い!!!」とおばば。
入室。


部屋にはオールボス(ネコ)がいた。警戒心120%。こちらは特に気にしていないが彼(オールボス)にとっては部屋から出るチャンスを覗っている。

我々がオババに注意を向けたその瞬間、ダダダッと部屋から走り去っていった。

「ションベンかけられなかった??」と問うと、

「あ~大丈夫」とおばばが返す。

うん、今日は元気そうだ。

と、オババがふいにこう問いかける。

「薬は?持ってきたのかい??もう全部なくなっちまったんだよ!!」

ああ、そうだ。電話くれてたねえ。


オババと我がクリニックは訪問診療24時間契約を結んでいる。

詳しい内容は知らないが、簡単に言うと、契約を結んだ患者が何かしらのイベントや気になることがあるとき、24時間体勢で主治医に連絡をつけることができる連絡体制をとっていることである。それによって患者はいつでも連絡できるという安心があり、クリニックにとっては保険点数でなにかの加算が取れる仕組みだ。
まあ、そんなことなので当然オババは主治医の連絡先を知っている。そして、早速今日の午前中先生の携帯が鳴った。

診察中だったので今野が応対。


「はい、今野です。おはよう。どうしました??」と話し始めると。

受話器の向こうから、、、
「く~す~り~!!  なくなったよ~~~!!!」とオババのダミ声。

「薬無くなっちゃったの?昼過ぎに往診に行くから待てます?待っててください」と話すと

「アイヨ」 プツ。っと電話が切れた。




そんないきさつがあった。さて、今日は何を話すかな?

オババは睡眠前に下剤を服用している。腸の運動を促す薬を2錠飲んだら、悲しいかな猛烈な便意に襲われてトイレにたつこともできず、そのまま大惨事に発展したという経験を持っており、その薬についてネガティブイメージしか持っていない。

ちなみにその薬は

「(便が)出ねえんだよお~」と訴える。

大惨事事件のあと酸化マグネシウム剤の服用に換えたのだが効果のほどは期待できないようす。

しかもオババは酸化マグネシウムを睡眠薬だと思っているようで「あの寝る前の粒の薬。アレを2錠飲むとぐっすり眠れるんだ」と話している。
これがまさにプラシーボ効果なのか?まあ、本人がそれで睡眠に関しては満足しているようなのでそれはそれでよいとして、問題は慢性的な便秘。
プルゼニドの内服はしたくないというし、訪問看護師さんにお願いするにも、今は本人訪問看護に対しては拒否しているし。

どうすっぺ??(´д`lll)

そのあと本人と話していると、「あの腹の下った、ピンクの薬、一つ試してみようか?」とオババから提案があった。

結果~酸化マグネシウムは継続、それにプルゼニド1錠を追加。



じっくり話せて本人と相談していろいろ対策を考えることが出来る。

オババ本人の選択を最大にくむことが第一だと思う。

ヒトは誰しも自分で考えて納得したものや事には、ちゃんと取り組む。

ヒトに強制されることはキライだ。自分で考えて納得して自分で行動する。それで結果が残念だとしても、本人なりに受容できると思うし、学習して次はそうならないようにしようと思うものだと思うから。


病院は、医療者 > 患者の図式が成り立たっている。

それは、救命、治療を行うにあたり大事なこと。わかりやすく言うと、病院の役割は「治す所」だから。

在宅は、病棟とはまた違う感じ。

療養生活がメインになってくる。

必ずしも医療が第一ではなく、本人の満足した日常生活(生活の質:QOL)を満たすのが大事なんだろうなあ。



その人の家にお邪魔するから、我々はゲスト。

無礼なことは出来ない。(しないけど)

さて、次回訪問は水曜日の午後の予定。

KMVPでございます。

どんな話が聞けるのだろうか。

つづく
と思う。

こんのくんとオババ2

2012年08月16日 | つくんこ
オババがポーラのクリニックに初診となったのは2011/12月のことである。
訪問診療の時、いつもセンターの階段あたりでハイライトを吸ってるのを見かけては、「おー、肺がんになったらみとってやっからよお-!」と声かけしてたら、本当に肺がんできちゃったのが初診である。
こんのくんはナースとしてではなく、ひとりの若者としてオババに興味を持ち始めた。
ナースではなくKMVPの一員としてオババ詣でを始めることになる。以下その記録である。(山中 修)

オババ 2



いつもの場所にいないので、「死んだのかな?」と思いながらいくつかの季節をまたいだある日、突然オババがクリニックに受診しにきた。
診断名 肺がん。
白内障まじりのその瞳はもう既に死を受容しているようにも見えた。


 2012/3/14(水)
この日、午前中で仕事が終わりなので午後はKMVPに参加。

ボランティア元締めの川崎さんと一緒に初回見舞い。



玄関をノックして開ける「こんにちは~」と声をかけると家の奥からから「誰だ~~!!」

と大きな声が聞こえる。

おうおう今日も元気だな。
スリッパ代わりのサンダルに履き替えておじゃまする。

「元気??遊びに来たよ」
と声をかけると嬉しそうな顔。今回ゆっくり話そうと思ったので折りたたみ椅子も持参。

ゴキブリ多いな。

一緒に行った川崎さんはすりっぱ無し、椅子も無し。
俺だけがゴキブリ対策完全な感じだ。

椅子に腰を下ろして、差し入れのウーロン茶を渡す。「あ~あ~、ありがとよ」オババは奪い取るようにお茶を手元に置く。
見た感じ、とても元気な感じだ。

オババの部屋は市営住宅の一角にある。あがるのは今日で2回目だ。部屋の大きさは6畳位か。古ぼけたたんすに布団を何枚も積み重ねた寝床に横になっている。サイドテーブルの上にはおやおやタバコ。そして灰皿。飲み終わった薬の空。
カセットコンロの上でヤカンが蒸気を出している、、、、加湿のようだ。
ふたを開けてみるとあれあれ殆ど水が無くなっている。やばいぜこれは。このまま放置してたらヤカンがバーンって爆発したりして(・∀・)ノ


今日の今野は医療人ではなく知り合いの見舞いな感じで訪問。

もちろん仕事用具は一切持たずに手ぶらで。

オババが前に言ったこと。
「あたいはよ!!先生に任せているからいいんだよ!!」
「住み慣れた家でバカみたいな話して死にたい」
「天井ばかり見てたら死にたくなる」
「誰かはなしに来てくれるやつ来てくれよ~」
「自分の体のことは自分がよくわかっている」
「話していると病気が和らぐ感じがするんだ」 などなど。

勝手な解釈かもしれないけど、いろいろ話を聞いていると「自分の死に際は自分で決める」って人なのだろう。

だから、ぶれてない。今の所。ハッキリしている。すごいと思う。


病気のことはある程度承知。誰かと話して病気のことを忘れたい。ってのがオババの希望なのだ。定期的に訪問診療もしているし。

寿にきて思ったこと。病気だから、必ずしも医療の手が必要だとは限らない。
要はその患者のニーズ、満足が満たされていけばいいのだ。

ケースバイケース。基本的に必要な治療はする。あとは個人個人に必要なことを模索していって混ぜる。今野はそれを「そいつの気に入るカクテルを作るように」と表現している(そのまんま)


やるべきこと、必要なこと(癌に伴う除痛など)は当然やるけれど、後はその人が満足できればそれでいいんじゃないかな。話したいなら話す。一人でいたいときなら一人にしてやる。


だから今日はボランティアのお手伝い。


そんなオババ、誰かが来るとうれしいみたい。
たまに笑うとタバコすって皺くちゃの顔が皺だらけになる。お茶目なオババだ。
今までも時々町を歩いているときに道端でタバコ吸ってる姿をたまに見かけて、たまに話すくらいだったから、これと言って話す内容なんてない。とりあえず話を聞くか。って思った。

「どう?調子は?」大分前、開口一番オババはものすごい勢いで訪問看護師について話し出した。
いろんないきさつがあったようで割愛するが結果を言うと訪問看護師に対し、ティッシュボックスを振り回して、「帰れ!!!」と怒鳴り追い出したそうだ。
「また月曜日に来るとか言いやがった。鍵閉めといて入れないでやる」といきまいてた(-_-;)



オババ、ヒーットアップしてむせ込んだ。顔を真っ赤にしながらも話続ける。


このまま、死ぬんじゃねえか?と思った。


落ち着いた後 床、サイドテーブルをうごめくゴキブリを見てオババがこんな話をした。

「もう、こんな体だから掃除も出来ない。だからゴキブリは諦めているんだ。こいつらにもお菓子をあげて「ほれほれゴキブリさん、これがあなたのご飯ですよ。だから私のおまんまには入らないでね」って話しているんだ」

そう言うと、オババは傍らにあったゴキブリの死骸を掴み後ろにポーンっと投げ捨てた。

オババの家には5匹の猫がいる。短いしっぽのトラ猫がおり、我々を警戒していた。そのことをオババに話すと「あ~あいつはうちの猫たちのオールボスでな。あいつがアタイの頭にションベンしやがるんだ!!そうそうこないだあんたのところ(ポーラのクリニック)に行ったときにそうだったんだ」と。

どうりで猫臭かったわけだ。今は週に1~2回デイサービスの風呂を借りて入浴している様だ。外にも出れるし、これが楽しみなんだろうね。


そんなこんなで、あっという間に1時間弱時間が過ぎて帰ることにした。

「じゃあ、また時間があるとき話に来るよ~またね。お邪魔しました」と部屋を後にすると後ろから「よう~!!」っとオババが呼ぶ。
「なんだい?」と声をかけると「アタイのことで先生やポーラに心配かけたくないから、今日の事をきかれても口うるさいババアだったよ、と伝えてくれ」って言ってた。

声がでかくて、気が短く、行動にも出すオババだけど、他者を思いやる心があるオババだ。

きっと威勢がいいのは照れ隠しなんだろうね。



さて、おばばが最期を迎えるまで何回遊びに行けるかな???


つづく


と思う。

こんのくんとオババ

2012年08月13日 | つくんこ
今野君は先月末でポーラのクリニックを退職した男性看護師(30代)。
通称「つくんこ」
山中は今野君が15歳の時からこんのくんを知っている。
准看護師→正看護師→大病院のICU/CCUナース→ポーラへ。
2年間勤務してくれた。
寿での在宅医療にもいっしょに関わってくれた。その間、視診、触診、聴診の方法と患者さんとの距離の取り方を徹底的にしみこませた。
来月からはまた、病院勤務へと戻っていく。
彼もポーラのクリニックにて“変えられた”若者のひとりである。
こんのくんが寿で一番好きだったのが オババ。
オババとの出会いからこれまでをメールに書いていてくれた。
こんのくんの許可をもらったのでシリーズもので紹介します。
まずは、出会いから。
(絵文字は省略もしくは文字化されてます)

オババ 1



2010年10月12日




オババ。

だみ声、タバコ(ハイライト)、なぜか声がでかい。

でも、目がおっきくてクリクリしてる。

きっと若い頃は可愛かったんだろうな。と思う。

クリニックでもオババは有名。意外と不良らしい。

こないだ訪問途中でオババに会った。

今野が挨拶すると、おばば「会いたかったよ~。アンタ(スリスリとつくんこの手をさする)」

話したそうだったのでちと話をきいてみた。

倒れちゃったこととか、最近元気がない。とか色々話した。
「なんか元気になることないかなあ?」と聞かれ、「俺の顔見て元気になったろ??」といっておいた。

オババ笑顔。

今日もバイクで訪問に向かってたら道端にオババ発見。手を振ったら答えてくれた。
クリニックに戻り「オババに会いましたよ」と言ってたら、院長「バイクのケツに乗せてやれ」ってさ。

「具合悪そうだから後ろに乗せてそのままここ(クリニック)につれてきましょうか?」と聞いたら、院長「いや、いい」ってさ。

皆(スタッフ)から愛されているオババの話。