NPO法人さなぎ達ブログ

横浜市寿地区や近隣地域を中心に社会的生きづらさを抱えている人々を対象としながら活動を行っているNPO法人です。

「さなぎ達」とは

日本三大寄せ場の一つである、横浜市寿地区、寿周辺地区を中心に、路上生活者及び路上生活に至るおそれのある人々が、自ら自立に向かいやすい環境を整える「自立自援」を主な目的とし、メンタルを一番大切にしながら「医・衣・職・食・住」の各方面で活動しているNPO法人です。

NHKスペシャル「終の住処はどこに。老人漂流社会」を見て

2013年01月21日 | さなぎ達理事長 山中 修
新年早々、Tケースワーカーが一組の弱々しい老夫婦を寿へ送り込んできた。
二人とも不安げだ。
送り主のTは以前中区保護課に居た中年男性ケースワーカー。
仕事上、何人かの患者のみとりで共感・共振・意気投合したケースワーカーのひとりである。
ヌーボーとした長身であるが、仕事はてきぱきと熱血。
以来、ポーラのクリニックやさなぎをよく理解してくれている行政畑の支援者のひとりである。
数年前に中区からK区へ異動して、いまはK区の高齢者担当をしているが、困り果てると上手に寿とさなぎを利用するケースワーカーのひとりである。
今回もこの老夫婦の支援法によほど、困ったのだろう。
K区の福祉担当者や寿福祉プラザの担当者を引き連れてポーラのクリニックを訪れた。


夫は75歳。
高度認知症のため、長谷川式認知症テストでは野菜の名前を4種類しか挙げられない。
単身独居なら、間違いなく要介護1以上がつくレベル。
不安は認知症を招き、認知症はさらなる不安を招く。
自宅に戻れば、ひとり娘の暴力が待っている。
自宅に戻らず、1ヶ月のショートステイの後、寿へと運ばれてきた。
横浜市在住の彼にとっては、「寿町」=「危険の巣窟」「盗人のアジト」みたいなところ。
寿と聞いてそりゃ不安になるに決まってる。

妻は79歳。
ひとり娘からの連日の執拗なDVのため、左目失明。右目も視力低下して、スーパーに買い物にも行けなくなった。安全になったとはいえ、寿の町を老婆がひとりで買い物にいけるわけがない。

Tの采配で、夫婦とともに短期施設入所に入ったが施設の期限が来て出ざるをえない。
もとの住民票の住所に戻れば、また娘の暴力が待っている。
警察介入もできない。
そこで、寿。困ったときの寿。
これまでも何度かTケースワーカーが利用した手法。
娘に内緒で避難。
夫の認知症は進むし自分の視力障害は進行するし、そりゃ不安に決まっている。
老夫婦二人での“新年どや”不安生活が始まった。

当然、食うことにも、通院にも介助が要る。
しかし、助けてくれるヘルパーはいない。
これまで、二人は介護保険の存在も申請方法も、知らなかったのだ。
Tのアドバイスに従い、介護申請の医療評価のためポーラのクリニックに受診となった。

このクリニックでやることは、医療だけではなく、ケースワーキング的な仕事も多い。
むしろ、その方が多い。
医療だけ、看護だけ、介護だけ、保護費支給だけ、では高齢者や社会的弱者への支援はなりたたない。
支援を受ける側が安心できる包括的総合的なバランスのよい体制作りが必要である。
おばばのみとりやSヘルパーの自立など、これまでここで紹介してきたものは、その部分部分の切り口だ。その一つ一つに実は莫大な予算などが必要の無いことがおわかりいただけたことであろう。仕組みはできている。行政とNPOの二人三脚、この体制創りのうえに、各分野の医療者や介護者がちょっと手を拡げてつながれば「誰もひとりぼっちにはならない」のだhttp://kanachari.jp/yonyaoshi/。

昨夜NHKスペシャル「高齢者漂流社会」のドキュメンタリーをみた。
10年前くらいの寿の高齢者をみているようだった。
今は、介護会社の成長のおかげで、安心して看取られる人々が増えた。
安住の地と顔が見える継続的な医療と介護があると、不安が消えて認知症さえ改善する。この国の高齢者に必要なのは、決して難しい仕組みではないのである。
現存の社会資源を創意工夫して最大限に利用すればよいことだけなのだ。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2013年01月13日 | モトコ
(遅くなりましたが)あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。




さて、先週金曜日(1月11日)に「さなぎ達ワークショップ」を行いました。

当日は、理事、常勤職員、アルバイト、関係者 等々、総勢25名が集まり「さなぎ達の将来について」等、5グループに分かれワークを行いました。
互いに顔を合わせて意見や想いを話す、今回初めての試みでした。

まだまだ足りない部分や課題点も沢山ありますが、当法人が目指すべき点を改めて確認共有できた大変よい機会となりました。

ワークショップの報告は、後日「さなぎ達通信」や本ブログにて報告させていただきたいと思います。

これからも理事、スタッフ一同、精進していきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




先日「神奈川県内12団体」のNPO法人にさなぎ達が選ばれ、神奈川県ホームページ「かなちゃり」“世にゃ押し太鼓判プロジェクト”に紹介されました。是非ご覧ください。
応援したいと思ったら、是非「いいにゃ」を押していただけたら幸いです。

世にゃ押し太鼓判プロジェクト

それぞれのプライド

2013年01月07日 | ふらここ
 旧知のホームレス、A氏と久しぶりに会って食事をした。
 こざっぱりした服装。白髪交じりの頭はきれいに整えられている。
 いわゆるホームレスには見えないからレストランで食事を
していても違和感はない。

 初めて会ったのはおととし。大震災のあと。
 その頃、私達の共通の友人が、彼を社会復帰させようと試みた。
 が、彼はお坊ちゃま育ちで贅沢(?)。
 しかも自分はいい大学を出てるし、能力もあると自負している。
 人に使われるなんて絶対いやだと、友人の好意を拒否し、
いまもホームレス生活を続けている。


 だけど60歳を過ぎて、雨風をふせぐ場もない。
 寂しくないだろうか、心細くないだろうか……と思い、
「助け合うような仲間はいるんですか? ホームレスの」
と訊いてみた。
「いませんよ、そんなもの。僕は絶対にホームレスなんかと
付き合えない。あいつら、最低ですよ」
 言下に、彼は答えた。
「寿町の、さなぎ食堂を知ってます?」
「ああ、知ってるけど、寿の中にある店なんでしょ?
ちょっとねえ」
「清潔だし、安くておいしいですよ、さなぎ食堂は」
「そうかもしれないけど……」
「さなぎの家は?」
「知ってるけど、ドヤの連中とかホームレスが集まるとこは
あんまり近寄らないようにしてるんですよ。
 だってほんとに、どうしようもない連中だもの。
 汚いし、無知だし、挨拶ひとつできないんですよ」
 
 でも、あなただって、世間からはその連中と同じに
見えるんですよ、と私は内心で呟く。

 彼は続ける。
「僕が政治家だったら、あの連中、問答無用で
まとめてトラックに放りこむ。そんで風呂へ入れて
あとは施設に押し込みますね。外へ出さない」
「施設なら寿にもあるけど、そういうところで
他人と一緒に規則正しい生活をするのがいやだ、
という人が多いでしょ、ホームレスには。
 Aさんだってそうなんでしょ?」
 たまらず、私は言った。

「まあね、そうなんですけどね」
 でも、自分はあいつらと違う。育ちが良くてインテリだから、
と言いたげに、彼は顔をしかめた。

 A氏は生活保護も決して受けない。
「僕はそこまで落ちたくない」
 と言う。
 生活保護は黙っていてもくれない。役所へ「ください」と
「お願い」に行かなければならない。
 プライドの高い彼は、死んでもそんなことなど
したくないのだろう。

 プライドのありようというのは、人によって異なる。
 この寒い時期、図書館や、明け方までいられるマクドナルドが、
彼の命綱だ。
 だけどどこでも、彼がホームレスだということは
ばれているだろう。
「そろそろお席を……」と慇懃無礼に促されることもあるようだ。

 ホームレスになる前、ずいぶんと借金を踏み倒したらしく
「いまも逃げてる身なんですよ」と笑いながら彼は言う。
 何人もの人に迷惑をかけているわけだが、それを言う彼の
顔には、くったくなど見られない。
 申し訳ないことをした、というニュアンスもない。
 
 要するに、借金からは逃げたけど、生活保護を受けてる
わけじゃなし、自分はホームレスとしてちゃんと自活している。
 誰の世話にもなってない……というところで、
彼は自分のプライドを保っているのだ。

 常識からすればなんだか変だが、私はわかるような気がした。
 私だって、人から見れば「なんでそんなことを」と
思うようなところにこだわり、「だからなんなの」と
呆れられるであろうことを、自分のプライドにしている。
 それを後生大事に抱え込んでいる。
 そうじゃないと生きていけない。
 
 向き合ってハンバーグステーキを食べ、
「じゃ、またいつか」と挨拶して、A氏と別れた。
 新年の風は冷たかったが、まあこんなもんだろう、と納得した。
 冬だからねえ……。