新緑で美しい4月の上野公園。久しぶりの晴れ間に行き交う人の顔に木漏れ日が当たります。
友人の油絵を見に東京都美術館に急ぎます。11時過ぎに到着し、1時間ほど鑑賞してから美味しいお蕎麦屋さんがあると聞きその店を探します。
「音音」という名前だけを頼りに上野の山を歩くこととなりました。来るときには気づかなかった人々に目が行きます。
こぎれいにしてはいますが野宿者です。ある人は背広をある人は作業服を、ジーパンを着るものでは見分けがつかないのですがそこは10年近くパトロールを続けた私です……いる、いる。あそこのベンチにもここのベンチにも……ざっーと数えたら20人。
まるで日向ぼっこに出てきた池の中の亀さんのようです。あり余る時間の中で、大勢の人ごみの中で、目立たぬように座っている彼ら…。
どの人も一人ひとり群れず、話もせず所在なげに行きかう人に関心を払うでもなく、公園に流れる南米の音楽を聴いているでもなく。それこそ上野公園という額縁の中の大きな絵の様に溶け込んでいます。
60年前小学校に上がるころ、私の家族が上野に住んでいた時に毎日のように見ていた光景です。
長い年月を経てもいる人々。戦後の混乱期に生きた彼らとは違うでしょうが景色は同じです。
嬉しくなって、つい横浜にもこんな場所があったらいいのにと思いました。
そのままでいいよ。見守っているよ。同じ時代を生きている仲間だよ。と声をかけたい衝動に駆られました。