2時間ほど眠ったあとの、第一声はすっきり。
「こんなに眠れたのは久しぶりです。」
たかが、ボルタレン座薬50mg一個。
薬って、ホントにその人がそれを必要とするときに、タイミングが合えば、バッチリと効くんだ・・。
それとも、安心が効いたのかな?
痛みが緩和された彼に病状の説明を始めた。
ポーラのクリニックでは説明第一。
説明(せ)→理解(り)→納得(な)がなければ、「満足(ま)」にはつながらない。
「せりなま」は医療のイロハ。
ところが、寿ではこのイロハの通じないひとがけっこういる。
多くはケースワーカーから初診で往診を依頼される場合で、このタイプは暴言歴で近隣病院の受診禁止になっているヤカラが多い。
先週もそうだ。
訪問看護師から、「先生ちょっと褥瘡みて!」と依頼されて簡易宿泊所往診。
たいした床ずれではなく、その対策方法を本人にクダクダ説明しようとしたが、「もういいよ!!、もう帰れ!!二度とくるな。めんどくさい。」
と、こうなる。
医者に任せればすべて治してくれるもんだ、と、こう思い込んでる。
直ちに治らないと「ヤブ」呼ばわり。
ヤブは認めるが、おまえに言われる筋合いはない。
こういう患者は深追いしない。
今日はダメでもまた必要とされる日がくるわさ。
だって、寿で往診するのオレしかいないんだもん。
ということで、たとえ罵声を浴びても、
「オメエには選択の余地ないの!」
と、思うと腹も立たない。これもセカンド・ベスト。
幸いにも今回の彼はジェントルマン。
病状を説明してる時もおだやか、静かなまなざし。
おそらく、入院先で何度も同じことをきいたんだろうな・・・わりいな・・
と思いつつ、ホスピスの選択肢も含めて、今後の予想されることを伝えた。
その後の彼の答えはこうだ。
「住み慣れた部屋で逝きたい。」
「おかげで今日は歩いて帰れる。」
「ヘルパーさんが入ってくれるなら、一日一回お願いしたい。」
「それがかなわないなら、みとりの施設へ入る。」
よほど強い意志で寿で20年生き抜いてきた人なんだろう。
静かだが、強い眼力(めぢから)ではっきりとそう伝えられた。
「なんと、応援しがいのある患者だ・・」
Nケースワーカーへの電話のなかで、最近おつきあいを始めたN訪問看護、おもいやり熱血男性ヘルパー軍団のS介護を指定した。
さらに、万が一を考えて鶴見区H病院・ホスピス病棟へのケースワーカーと本人の見学を薦めた。
しかし、最近のホスピスは待たされるのが常。半年以上なんてザラ。
シュールな話だが、亡くなり逝くのに順番待ちで結局間に合わないことになる。
最近の急性期病院は治療方針が決まれば即退院。
老人保健施設では、責任取るのが厭でみとりをしない。
ホスピスは半年待ちで余命より長く待たねばならない。
在宅医療では家族の受け入れができない。
我々の死に場所はどこ?
その確保さえできてないこの国。
看取られ難民が流浪している。
「可能なうちは歩いて通院を、無理なら訪問診療へ切り替え」
「痛みのコントロールが山中では無理な場合は入院を」
これらを条件に、この患者さんをできる限り今の簡易宿泊所(○○館)内で看取ることに決心した。
しかしながら、新たな問題はすぐに訪れることになる。
→続く。
「こんなに眠れたのは久しぶりです。」
たかが、ボルタレン座薬50mg一個。
薬って、ホントにその人がそれを必要とするときに、タイミングが合えば、バッチリと効くんだ・・。
それとも、安心が効いたのかな?
痛みが緩和された彼に病状の説明を始めた。
ポーラのクリニックでは説明第一。
説明(せ)→理解(り)→納得(な)がなければ、「満足(ま)」にはつながらない。
「せりなま」は医療のイロハ。
ところが、寿ではこのイロハの通じないひとがけっこういる。
多くはケースワーカーから初診で往診を依頼される場合で、このタイプは暴言歴で近隣病院の受診禁止になっているヤカラが多い。
先週もそうだ。
訪問看護師から、「先生ちょっと褥瘡みて!」と依頼されて簡易宿泊所往診。
たいした床ずれではなく、その対策方法を本人にクダクダ説明しようとしたが、「もういいよ!!、もう帰れ!!二度とくるな。めんどくさい。」
と、こうなる。
医者に任せればすべて治してくれるもんだ、と、こう思い込んでる。
直ちに治らないと「ヤブ」呼ばわり。
ヤブは認めるが、おまえに言われる筋合いはない。
こういう患者は深追いしない。
今日はダメでもまた必要とされる日がくるわさ。
だって、寿で往診するのオレしかいないんだもん。
ということで、たとえ罵声を浴びても、
「オメエには選択の余地ないの!」
と、思うと腹も立たない。これもセカンド・ベスト。
幸いにも今回の彼はジェントルマン。
病状を説明してる時もおだやか、静かなまなざし。
おそらく、入院先で何度も同じことをきいたんだろうな・・・わりいな・・
と思いつつ、ホスピスの選択肢も含めて、今後の予想されることを伝えた。
その後の彼の答えはこうだ。
「住み慣れた部屋で逝きたい。」
「おかげで今日は歩いて帰れる。」
「ヘルパーさんが入ってくれるなら、一日一回お願いしたい。」
「それがかなわないなら、みとりの施設へ入る。」
よほど強い意志で寿で20年生き抜いてきた人なんだろう。
静かだが、強い眼力(めぢから)ではっきりとそう伝えられた。
「なんと、応援しがいのある患者だ・・」
Nケースワーカーへの電話のなかで、最近おつきあいを始めたN訪問看護、おもいやり熱血男性ヘルパー軍団のS介護を指定した。
さらに、万が一を考えて鶴見区H病院・ホスピス病棟へのケースワーカーと本人の見学を薦めた。
しかし、最近のホスピスは待たされるのが常。半年以上なんてザラ。
シュールな話だが、亡くなり逝くのに順番待ちで結局間に合わないことになる。
最近の急性期病院は治療方針が決まれば即退院。
老人保健施設では、責任取るのが厭でみとりをしない。
ホスピスは半年待ちで余命より長く待たねばならない。
在宅医療では家族の受け入れができない。
我々の死に場所はどこ?
その確保さえできてないこの国。
看取られ難民が流浪している。
「可能なうちは歩いて通院を、無理なら訪問診療へ切り替え」
「痛みのコントロールが山中では無理な場合は入院を」
これらを条件に、この患者さんをできる限り今の簡易宿泊所(○○館)内で看取ることに決心した。
しかしながら、新たな問題はすぐに訪れることになる。
→続く。