昔使っていたパソコンの書類フォルダーを整理していたら、懐かしいものが見つかりました。
20年前(2002年)に書いた、29年前(1993年)の可笑しい話 (^。^)
当時、同級生が立ち上げた同窓会のHPに私が寄稿していたエッセイ(42編)の内の一編です。
このエッセイを書いたのは私が40歳の時で、
事件が起こったのは私が31歳の夏の話なので、ちょっとえっちな話題もお許し下さい!(^-^)ノ
今では ザリガニ♂を惑わすフェロモンはありませんから。<(*_ _)>
*当時のWord文書を貼り付け、語尾や改行などは書き換えました。
事件当時にデジカメは無かったので、写真はアルバムに貼っていたのを今日撮り直したものです。
左奥の抱卵しているのが♀、右手前が♂。
*写真当時 ↑ 長男5歳・次男2歳前。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夏になると今まで育てたことのあるいろいろな虫や生き物を思い出します。
その中で今日は、すごくえっちなザリガニの話を。
あれは9年前の夏。
夫の仕事の都合で、3ヶ月ほど早稲田に仮住まいしたことがありました。
早稲田大学のまん前にあるそのマンションは、家具つき電化製品つきではあったものの
生活感をまるで感じさせない不思議なアートな作りのマンション。
持ち込んだ私物は、最小限の衣類や身の回りのものだけ・・
当時まだ幼かった息子2人を抱え、
なんとなく生活しづらい息苦しさを感じていた私の慰めは、つがいのザリガニでした。
5歳だった長男が、割りばしにたこ糸とするめをつけただけの簡単な釣り道具で、
辛抱強く釣り上げてきた二匹。
餌をあげたり水を替えたり観察するのが私たちの楽しみでした。
クーラーをガンガンきかせてフローリングの床に布団を敷いて寝ていたある夜のこと。
ふと、太ももに不快感を感じて目が覚めました!
何かが私の太ももの内側を引っ掻く。そしてつままれるような感覚・・・。
撫でられたような気もする。
「はっ・・!何者っ?」と我にかえり意識が覚醒。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
叫ぶや否や、太もも近辺を這う物体をわし掴みにして闇に投げつけました。
驚いたのは夫と息子たち。
「どうしたんだよ?」と眠そうな迷惑そうな顔で電気をつけました。
「何かが・・・何かが・・・・っ、私に・・・・・っ!」
震えながら床に目を泳がせると
そこには、、そこには、、、、、
ザリガニのオスが一匹、カシャカシャと床を歩いている。
悠然と。知らん顔をして・・・・・!
あんなことをして、、、私に床に叩きつけられたというのに!
なぜなの?なぜなの?なんで私なの?
隠れ場用に置いていた水槽の中の鉢を足場にして、夜這いしてきたの?
横には夫や子供たちもいました。
子供たちの方がよっぽど柔らかそうだし、
おまけに短パンで寝ていて太もも丸出しだったはず。
それなのに、なんでよりによってワンピースの裾をめくってまで私の内ももに来るわけ???
「すんごいえっちなザリガニ!」と思いました。
・・そしてそれからほどなくして何と、、メスのザリガニが卵を産みましたヽ(゚o゚;)ノ
ある明け方、水槽がキィキィカシャカシャうるさいと思っていたら
卵を腹に抱えたメスがいたというわけです。@@!
なんとなく他人の気がせず?せっせと世話をやくことに。
ざりがにの卵を見るのは初めてだったし、これがちゃんとふ化するのか心配でたまらなくて。
図鑑を買ってきていろいろ勉強。
まるで、初めて私が子供を産んだ時みたいに。。
神経質に本に書いてある以上に完璧にしたい。
水が汚いような気がしてミネラルウォーターに。おまけに酸素ポンプまで取り付けました。
当然、オスは卵を食べてしまうかもしれないので違う水槽へ。
始終、お腹に抱えている卵を揺らしていなきゃいけないメスの為に、
餌の栄養バランスには今まで以上に気を配りました。
ああ、なんて神経質! あとで思えばおかしくてたまらないけれども、
「初めて」って、私にとってはなんでもいつもそういうことでした。
夫は「ザリガニがどんなところに住んでいるのか考えてもごらんよ。
汚いところでも平気なんだぜ。あ~馬鹿らしい!
なんでミネラルウォーターなんだよ!ザリガニが!」ってさんざん言われました。
だけど、初めての私にそんなことが通用するわけがありません。
「だって、塩素が~。」
苦労の甲斐があって、卵はふ化。勿論すべての卵がふ化できるわけではありません。
小さな、それでもちゃんとザリガニの形をしている赤ちゃんは可愛かった!
初めのうちは、お母さんザリガニのお腹近くにしかいなかった子供たちが、
少しずつ遠くまで遊びに出るようになる。
そして、脱皮しながら少しずつ大きくなっていきました。
生き物を飼うことは、生と死を見ること。
赤ちゃんザリガニの水槽の水替えは至難の業でした。
うっかりすると、何匹かが排水溝へ消えていき・・・・・。
また、公園に息子たちが持っていったある日。
息子達よりまだ幼い女の子がそのバケツをひっくり返し、
岩場にしていた石の下敷きになって死んだものも。
悪気の無かったその女の子に対して、
やり場の無い無念さを息子達が飲み込んだことは言うまでもありません。
子供たちが理科を勉強しはじめた時、
ピラミッド型の自然の生態系を少し理解してもらえたような気がしました。
100のうち育つのは1、だったり。自然淘汰される運命。
結局いろいろ考えた末に、秋の終わり頃まで生き残ったザリガニは、
捕まえた親水公園の川に放しました。
ちょっと悲しかったけれど、あのえっちなザリガニやまたその血をひいた子ザリガニたちは
冬眠を繰り返し、はたまた、するめごときの餌には釣られることなく、あの川で生き続けていると信じています。 (2002年7月)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
早稲田で暮らした、1993年の夏。
幼稚園が夏休みの間はまだよかったのですが、
幼稚園の送迎バス乗り場まで朝夕一日2往復、早稲田 ⇆ 西葛西 の地下鉄東西線。
しかも、おしめトレーニング中の次男を抱っこして・・@@
若かったからできた力技でした。
懐かしい思い出です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜