三蟠鉄道研究会

今はなき岡山の三蟠軽便鉄道の歴史を探り、後世に伝承していくための活動をしています。

渋沢栄一と沼尻鉱山と三蟠鉄道

2021-03-31 11:52:28 | 福島県との不思議なご縁

三蟠鉄道が昭和6年に廃線になって、その後役目を失ったドイツ製蒸気機関車の

コッペルが沼尻鉄道に引き取られてたことで、福島と岡山は不思議なご縁が、いろいろ

とある。

昨年は古関裕而が主演の朝ドラエールで脚光を浴びている「高原列車は行く」の舞台がある。

先日、福島の「沼尻鉱山と軽便鉄道を語る会」事務局長から

、NHKの大河ドラマで放映が始まった「蒼天を突く」を応援してほしいと

お電話をいただたことに始まる。

この連続ドラマは、今も経営の神様とも言われている渋沢栄一のドラマで、

喜作は栄一のひとつ上の従兄に当たる。

渋沢喜作が沼尻鉱山区を取得し、次男(渋沢仁之助)に沼尻鉱山初代

の鉱山長(工場長)に据えた。

渋沢栄一の推薦もあったのかもしれないが、定かではない。

沼尻鉱山は硫黄の鉱石では当時日本一の採掘量を誇っていた。

ところが渋沢仁之助が鉱山長に就任後、僅か3年後の

1900年(明治33年)7月17日夕刻、突然鉱山のある安達太良山(あだたらやま)

が大噴火、一瞬にして、鉱山長以下、死者82名の死者を出す大惨事が発生した。

ほとんどが生き埋めだった。 

このことを悔やんだ渋沢喜作や渋沢栄一など親族は一周忌を迎えた際、

中ノ沢温泉に鎮座する湯泉神社の境内に供養碑を建立し、仁之助と従業員並びに

その家族たちの冥福を祈った。

 

又ひとつ福島県とのご縁を感じます。

 

 参考文献 続・懐かしの沼尻軽便鉄道 (歴史春秋社 出版)

 

 


三蟠軽便鉄道の三蟠駅舎も手がけた福島の江川三郎八

2018-08-04 19:38:35 | 福島県との不思議なご縁

 三蟠軽便鉄道の三蟠駅舎も手がけた福島の江川三郎八

福島県と岡山県にしか見られない江川三郎八の作品
しかも国の重要文化財級の建造物が福島と岡山にだけ残されているのか、不思議です。

岡山には江川三郎八研究会が、江川三郎八の偉業を後世に伝えようと活発に活動されています。
江川三郎八研究会のリーフレットから、その概要を見てみましょう。


江川三郎八について
会津藩士江川家の三男として生まれ、長兄は戊辰戦争で亡くなりました。
13歳で遠縁の大工棟梁へと弟子入りし,堂宮大工の技術を習得
明治20年に福島県に採用され、建築技師として活躍、そして岡山県からの招聘で
明治35年岡山県へ移住し、岡山県でも様々な建築を手がけました。
県会議事堂や郡役所、警察署など官公庁をはじめ、
学校・神社・病院、洋式橋など幅広い分野に及びます。
岡山県庁退職後も各方面からの委嘱を受け、
金光教本部の造営、天満屋などの商業建築や個人住宅の設計にも携わったといわれます。 
               (江川三郎八研究会の資料参照)

なぜ福島と岡山なのでしょうか。
 そこで、歴代岡山県知事(官選)一覧を調べてみると
第4代岡山県知事 吉原三郎(よしはらさぶろう)
   《自明治33年1月19日~至明治35年2月10日》、 
第5代岡山県知事 檜垣直右《(ひがきなおすけ)
   《自明治35年2月10日~至明治39年7月28日》  
共に福島県から移住して岡山県知事を務めた方です。
江川三郎八が岡山県からの招聘を受けたのは、まさに第5代岡山県知事 檜垣直右の時代
 であり、県知事が江川三郎八の建築技量を高く評価したということでうなずけます。

ここにも又、岡山県と福島県の古くからの不思議なご縁を感じざるを得ません。
三蟠軽便鉄道は沼尻鉄道との犬島が取り持つご縁で、廃線後、蒸気機関車一両が
福島へ転籍したご縁を思うとき、いままた新たに不思議なご縁が確認できました。
三蟠鉄道廃線後ばかりではなく、開業当時にも三蟠駅舎の設計に江川三郎八が
関わっていたことが分かったのは、まさにびっくりぎょうてんです。

なお、江川三郎八の建築様式の特徴のひとつとして「トラス構造」があります。
三蟠軽便鉄道開通当時の三蟠駅駅舎にも、その特徴が鮮明に残されています。




福島県と岡山県に建築された江川式建物の位置




福島県と岡山県に現存する主な江川式建築




旧 旭東小学校附属幼稚園舎(1908)




福島県師範学校




福島大林署カ (1901、のち福島市役所)




岡山警察署