三蟠鉄道研究会

今はなき岡山の三蟠軽便鉄道の歴史を探り、後世に伝承していくための活動をしています。

多角経営で乗客数増加を狙う

2018-08-29 08:42:32 | 三蟠軽便鉄道の多角経営
三蟠軽便鉄道が取組んだ多角経営に焦点を宛てて、企業努力を振り返ってみよう。


三蟠鉄道の多角経営
短期間だった三蟠軽便鉄道の営業を多角経営と言う観点から見直してみよう。
鉄道は乗客が命、単に人や貨物を運べばよいという問題ではなかった。
多額な投資を伴う鉄道事業への進出は、投資に見合う収益体質は欠かせないので、創業当初から覚悟していたことではある。

三蟠軽便鉄道株式会社定款によると、次のように営業目的が、第2条に明確に書かれている。
第二条 当会社は軽便鉄道を敷設し一般の旅客貨物運輸の業を以って目的とす。
 前項の附帯事業として水運業桟橋業築港及び娯楽機関の設備を兼営することを得。
とあり、付帯事業についても言及している。この内、水運業は東児島と三蟠間の渡し舟であろう。東児島の住民が渡し舟を利用して岡山市内へ出るには児島湾を渡り三蟠から軽便鉄道を利用するのが自然であったようだ。
最初は旅客貨物運送業と水運業だけを意識していたようだが、娯楽については具体的なイメージを持っていたのか分からない。

しかし、乗客のニーズは単なる交通の便だけではなかったことに気付いていく。
乗ること自体を愉しむ為の、納涼列車を走らせたり、宮道には海水浴場を整備することで乗客の増加が図られた。 海水浴事業に注力するや、度々広告を出して、乗客誘致に奔走した。当然に海水浴場には「貸しボート」を整備したり、「うどんや、そばや」『カキ氷』『西瓜』『アイスキャンデー』など、会社直営の飲食業にも関わってくる。 これらを兼業とすることで相乗効果が上がった。

岡山市立中央図書館敷地内にある八角園舎に展示されている当時の宮道海水浴場の様子



海水浴場のイラスト


宮道では夏場はもちろん、春には貝拾い、秋には魚釣り、年間を通じての観光客や沖田神社への参拝客も多い。
高島にも海水浴場を開設するや、ここにも釣り客、観光客を誘致することで乗客増を図ったことが、当時の山陽新報にも記録されている。
三蟠港からは、小豆島の土庄港への連絡が図られることから、八拾八ケ寺参拝客への便宜を図るなど客集めが大きな命題となったのである。

昭和3年3月岡山市市制40周年を記念した「大日本勧業博覧会」が3月20日から5月18日迄、岡山市内三会場に別れて開催された。
 第一会場・・・ 練兵場、  
 第二会場・・・ 東山公園 
 第三会場・・・ 鹿田駅跡

東山地区の第二会場は、現在の岡山電気軌道東山終点の北側付近である。



岡山市主催の大日本勧業博覧会のポスターから


ここでは、竜宮城イメージの水族館が置かれると、大変賑わい、多数の入場者があった。


博覧会が終わると、三蟠鉄道は人気だった第一会場の水族館の払い下げを受けて、三蟠駅舎南に独自で水族館を開設して営業を始めた、かなりの入場者もいたが、維持費がかさんで大失敗となる。魚は生き物であり、にわかに水族館を経営することが出来るはずも無い。見通しは甘かった。結局このことが尾を引いて三蟠鉄道の経営にかなりのダメージを与えることとなった。

もとより本業の鉄道事業が、次第にバス事業に顧客を奪われることとなり、三蟠鉄道もこれに対抗して、バス事業部を設けて、鉄道事業の不振を補う策にでた。
昭和2年からはサクラ自動車が三蟠鉄道の路線と重なる路線で営業したことで、競合し、昭和3年には三蟠鉄道(自動車部)もこれに対抗し、激しいデッドヒートを繰り広げ、昭和3年9月には三蟠鉄道が、サクラ自動車を買収するに至った。

こうして三蟠鉄道が生き残りを懸けた営業努力を重ねたものの、発動機船が京橋まであがって来る様になり、次々と乗客を奪われることになった。







鉄道の日、岡山駅前広場に三蟠鉄道友の会が蒸気機関車を模した神輿展示

2018-08-27 11:50:56 | 岡山駅前で三蟠鉄道蒸気機関車レプリカ展示

JR西日本の岡山駅では鉄道の日に合わせて、駅前広場に於いて、鉄道に関係する多彩なイベントを繰広げています。
岡山駅は通勤通学客はもとより、観光客も多く、文字通り中四国の表玄関です。

三蟠鉄道友の会は2年続けてJR岡山駅の表玄関に当る桃太郎広場に於いて、
蒸気機関車神輿を展示する機会を頂きました。鉄道の日一日限りなので、
とても貴重な時間を頂き、大変名誉なことで、岡山で三蟠軽便鉄道が走っていたことを
広く周知することが出来ました。


鉄道の日の由来は明治5年10月14日、日本最初の鉄道が新橋~横浜間に開通した
日にちなんだものである。
平成29年10月14日鉄道の日の画像

岡山駅前広場、画面中央奥には桃太郎の銅像が、早朝テントの設営準備中


これなーに、説明を聞く親子連れ



写真を撮影する親子連れ



以下平成28年10月8日の展示

当時の電話も展示されている。






蒸気機関説明書
蒸気機関の動作を説明するための模型
ふいごで空気を送るとピストンと滑り弁が動く
18世紀のイギリスで、トマス・ニュウコメン、J・ワットらによって
実用化され、産業革命の一つの契機となったことはよく知られている。
(注)1ワットは毎秒1ジュールに等しいエネルギーを生じさせる仕事率
と定義され、現在も電力量の単位になっている。



この日を目指して展示を見学された方も、いらっしゃいますが、
岡山駅での乗降客が足を停め、感慨深く見学する姿が観られました。





運転席から顔を覗ける子ども達


まるで機関手になったみたい


神輿を撮影する親子連れか


友の会会長平田竹二さんご家族





こちらは前々日、就実・森の学校グラウンド内の作業場で
展示に備えて、お化粧直しされた蒸気機関車神輿











天満屋地下ギャラリーで三蟠軽便鉄道を偲ぶ資料を展示

2018-08-26 11:26:44 | 三蟠軽鉄資料の展示
三蟠軽便鉄道開通100周年記念事業の一環

平成27年6月3日から8日まで6日間


カトウ広芸さんのご協力を頂き、前日2日に搬入
<


100周年記念展示看板




会場風景1





会場風景2





会場風景3

三蟠軽便鉄道の役員構成と素顔、関係会社役員

2018-08-24 08:51:18 | 三蟠軽便鉄道の歴代役員と経歴
 三蟠軽便鉄道株式会社役員構成

大正時代、始発駅とした三蟠村から、平井村を駆け抜けて岡山市に到る鉄道敷設に思いを馳せ
具体的に動いたのは、鉄道沿線沿いや周辺の村長や議員、企業家等の有力者達でした。
ここでは、役員たちの経歴や素顔を紹介します。


三蟠軽便鉄道株式会社役員構成
      自            至
社 長 藤原譲太郎 大正 3年 2月 1日 大正 7年 7月15日
藤原元太郎 大正 7年 7月15日 大正14年 1月29日
藤原知道      大正14年 1月29日 昭和 6年 8月10日 解散

取締役 藤原元太郎 大正 3年 2月 1日 大正 7年 7月15日
藤原知道      大正12年 1月 6日 大正14年 1月29日
妹尾文七郎 大正 3年 2月 1日 昭和 6年 8月10日
長汐鉄太郎 大正 3年 2月 1日 昭和 6年 8月10日
佐藤槌太郎 大正 3年 2月 1日 昭和 4年 4月 7日 辞任
石原富次郎 大正 4年12月30日 大正14年 12月29日
福田常次郎 大正 3年 2月 1日 大正 4年 3月30日
玉島 謹      大正 3年 2月 1日 大正 4年 4月10日
近藤敬次郎 大正 6年10月28日 昭和 6年 8月10日
角道有太郎 大正15年 6月29日 昭和 6年 8月10日
山崎定太郎 昭和 4年 6月28日 昭和 6年 8月10日


監査役 2代目斎藤伝三郎 大正 3年 2月 1日
八田大三郎 大正 3年 2月 1日 昭和 6年 8月10日
穂崎八郎兵衛 大正 3年 2月 1日 大正 4年10月 1日
北村仲治      大正 5年 6月29日 大正 7年 2月13日
三宅作五郎 大正 9年12月29日 昭和 6年 8月10日
小山美登四 昭和 2年 6月20日 昭和 6年 8月10日



 役員の素顔と履歴

藤原譲太郎
生年月日 明治4年3月11日
没年月日 大正9年9月 2日

三蟠村収入役 明治28年5月~明治32年5月
三蟠村助役 明治32年5月~明治33年12月
4~9代三蟠村長 明治33年12月16日~大正9年5月19日
岡山県議会議員 明治44年9月26日~大正4年9月26日
岡山県議会副議長 明治44年10月9日~大正2年11月1日
三蟠軽便鉄道㈱社長 大正3年2月1日~大正7年7月15日


藤原元太郎  
生年月日 慶応2年1月10日
没年月日 昭和8年3月 6日

2~11代八浜町長 明治25年10月14日~大正14年2月10日(辞職)
明治30年1月1日玉井村八浜村に 明治34年2月6日町制施行
県会議員 明治31年2月~大正4年9月
県会議長 明治42年11月2日~明治44年10月9日
衆議院議員 大正4年3月25日~大正6年4月20日(辞職)
東児銀行専務 明治29年8月5日~大正7年1月1日
東児銀行頭取 大正7年1月1日~大正12年5月1日第一合同銀行に合併解散
備陽貯蓄銀行監査役 明治32年2月16日~明治38年1月1日
第一合同銀行取締役 大正12年7月25日~昭和5年12月31日中国銀行に合併
山陽商業銀行監査役 大正12年10月26日~大正15年9月1日第一合同銀行に合併
中国信託銀行取締役 昭和5年12月24日~昭和8年3月13日(死亡)昭和20年6月1日中国銀行に合併
岡山農工銀行取締役 大正14年1月24日~大正15年1月24日
岡山農工銀行頭取 大正15年1月24日~昭和3年1月24日
児島養貝合資会社副社長 明治23年10月~明治37年5月
児島養貝株式会社社長 明治37年5月~
金一醤油合資会社社長 明治32年6月~大正12年6月15日
金一醤油株式会社社長 大正12年6月15日~
下野紡績株式会社監査役 明治28年11月日~明治36年(倒産)
岡山県農会議員 明治32年4月21日~昭和5年3月
岡山県農会副会長 大正9年6月25日~昭和2年9月8日
三蟠軽便鉄道㈱取締役 大正3年2月1日~大正7年7月15日
三蟠軽便鉄道㈱社長 大正7年7月15日~大正14年1月29日
倉敷鉄道㈱発起人 (茶屋町~倉敷)
藤原元太郎ら7名の発起人により、大正12,2,6蒸気軌道敷設免許される。
同区間で競願となっていた山陽電気軌道を退けて免許。創立総会で原澄治を社長に選出し、
測量までは順調に進んだが、両端の茶屋町、倉敷駅で接続について
国鉄側の了承問題で数度の工事施行延期の後、昭和5年免許失効となった。


藤原知道
(譲太郎長男) 生年月日 明治28年3月6日
没年月日 昭和36年7月29日
10~11代三蟠村長 大正13年3月15日~昭和5年6月30日
岡山県議会議員 昭和2年9月26日~昭和6年9月26日
三蟠鉄道㈱取締役 大正12年1月6日~大正14年6月29日
三蟠鉄道㈱社長 大正14年1月29日~昭和6年8月10日(解散)
三蟠鉄道㈱清算人代表 昭和6年8月10日~昭和13年12月29日
三蟠乗合自動車 昭和6年6月30日~昭和12年3月
岡山バス㈱ 昭和12年3月~昭和29年5月
岡山電気軌道㈱支配人 昭和18年5月30日~昭和30年3月
岡山電気軌道㈱取締役 昭和30年3月~昭和36年7月29日(死亡)



吉田 茂
(旧称長瀬) 生年月日 明治5年5月6日
没年月日 昭和26年11月21日
岡山師範学校卒業 明治30年3月日
軽部小学校教諭 明治30年4月日~
西大寺尋常高等小学校 明治38年6月20日~明治42年5月22日
岡山師範学校附属小学校 明治42年5月日~大正2年4月日(休職)
 (富山小学校)
三蟠軽便鉄道㈱支配人 大正3年2月1日~昭和6年6月30日
14代光政村村長 昭和5年6月6日~昭和8年6月7日
16~19代光政村村長 昭和10年3月22日~昭和20年11月25日


石原富次郎
生年月日
没年月日
土木請負業 明治35年
三蟠軽便鉄道㈱専務取締役 大正4年12月30日~大正14年12月29日
岡山市会議員 昭和4年7月5日~昭和8年7月4日


妹尾文七郎
生年月日 明治7年1月30日
没年月日 昭和18年8月20日
平井村書記 明治31年~明治38年7月11日
平井村助役 明治38年7月11日~明治39年8月
6~8代平井村村長 明治39年8月9日~昭和6年3月31日(岡山市へ合併)
三蟠軽便鉄道㈱取締役 大正3年2月1日~昭和6年8月10日


佐藤槌太郎
(旧称 岡本)
生年月日 明治3年3月21日
没年月日 昭和36年8月1日
鹿忍小学校 明治25年10月日~明治26年12月日
上道小学校 明治26年12月日~明治33年4月日
高島尋常高等小学校 明治33年4月日~明治39年3月日
青年団長 明治39年4月日~明治43年5月日
7~12代操陽村村長 明治45年5月13日~昭和8年3月31日
三蟠鉄道㈱取締役 大正3年2月1日~昭和6年8月10日



長汐鉄太郎
(旧称 則安)
生年月日 慶応元年月日
没年月日 昭和30年4月
幡多村村議会議員
幡多村村議会副議長 大正元年8月21日~大正5年8月5日
幡多村村議会議長 大正8年1月日~大正9年7月日
9~13代幡多村村長 大正6年7月24日~昭和10年9月14日
三蟠軽便鉄道㈱取締役 大正3年2月1日~昭和6年8月10日




近藤敬次郎
生年月日 慶応元年9月7日
没年月日 昭和7年1月9日
玉龍、赤丸醤油醸造
岡山県醤油醸造同業組合組長 大正元年10月
東児銀行取締役 大正9年7月21日~大正12年5月1日
鉾立村村会議員
三蟠鉄道㈱取締役 大正6年10月28日~昭和6年8月10日



角道有太郎
生年月日 不詳
没年月日 不詳
岡山市市会議員 昭和8年7月5日~昭和12年5月11日(辞職)
三蟠鉄道㈱取締役 大正15年6月29日~昭和6年8月10日



山崎定太郎
生年月日 明治17年月日
没年月日 昭和27年1月27日
岡山酒造㈱社長 大正9年4月3日~
中国醸造㈱取締役 大正8年10月23日~昭和11年6月8日(解散)
山陽商業銀行取締役 大正12年1月16日~大正12年11月5日
岡山貯蓄銀行取締役 大正14年1月24日~大正15年10月1日(岡山合同貯蓄銀行へ合併)
岡山合同貯蓄銀行取締役 大正5年10月1日~昭和8年1月6日
三蟠鉄道㈱取締役 昭和4年6月28日~昭和6年8月10日
岡山市市会議員 大正14年7月7日~昭和3年7月19日



2代目斎藤伝三郎 本名軍平
生年月日 明治11年9月1日
没年月日 昭和19年9月11日
三蟠村村会議員
三蟠村助役 昭和2年6月日~
12代目三蟠村村長 昭和5年7月3日~昭和7年7月15日
中国醸造㈱常務取締役 大正8年10月23日~昭和11年6月8日(解散)
三蟠軽便鉄道㈱監査役 大正3年2月1日~


八田大三郎
生年月日 安政6年11月19日
没年月日 昭和19年5月26日
三蟠村村会議員
三蟠軽便鉄道㈱監査役 大正3年2月1日~昭和6年8月10日



北村仲治
生年月日 明治15年4月日
没年月日 不詳
三蟠軽便鉄道㈱監査役 大正5年6月29日~大正9年2月17日
三蟠村助役 大正9年3月日~大正12年3月日
昭和8年1月日~昭和8年5月日
吉備商業学校 大正12年4月日~大正14年4月日
昭和2年3月日~昭和6年4月日
13~14代三蟠村村長 昭和8年6月4日~昭和14年12月7日
上道郡三蟠村外二個所排水乖離用事業に保住
熊五郎(沖田村村長)、佐藤義一(操陽村村町)らと尽力する。



穂崎八郎兵衛
生年月日 不詳
没年月日 不詳
合資会社穂崎商店社長 大正6年4月20日~
 岡山市紙屋町、有価証券売買
岡山証券㈱取締役 大正3年8月~大正6年4月
三蟠軽便鉄道㈱監査役 大正3年2月1日~大正4年10月1日

三蟠運輸株式会社

本社 岡山市門田屋敷8番地
設立 大正12年4月13日 登記大正12年4月26日
解散 昭和8年12月30日 登記昭和9年1月9日
清算終了 昭和9年8月10日 登記昭和9年9月3日
資本金 2万円
目的 水運業

役員
社長 藤原元太郎 大正12年4月13日~大正14年12月1日
藤原知道 大正14年12月1日~昭和8年12月30日
取締役 藤原知道 大正13年12月2日~大正14年12月1日
藤原元太郎 大正14年12月1日~昭和8年9月6日(死亡)
近藤敬次郎 大正12年4月13日~昭和7年1月9日(死亡)
三宅作五郎 大正12年4月13日~昭和8年12月30日
石原富次郎 大正12年4月13日~大正14年11月30日
監査役 金田平六 大正12年4月13日~大正13年12月2日
谷川久五郎 大正12年4月13日~昭和8年12月30日
八田大三郎 大正13年12月2日~昭和8年12月30日


中国醸造株式会社

本社 岡山市網浜1340番地
設立 大正8年10月23日 (登記大正8年11月4日)
解散 昭和11年6月8日 (登記昭和11年6月19日)
資本金 50万円
目的

役員
取締役 山崎定太郎 大正8年10月23日~昭和11年6月8日
西原 寿吉 大正8年10月23日~昭和11年6月8日
斎藤伝三郎 大正8年10月23日~昭和11年6月8日
岡﨑俊太郎 大正8年10月23日~昭和11年6月8日
岡﨑賢二郎 大正8年10月23日~昭和11年6月8日
藤田恒太郎 大正8年10月23日~大正9年8月29日(死亡)
木村  斉 大正8年10月23日~大正13年6月27日(辞任)
岡﨑眞一郎 大正15年5月25日~昭和7年8月17日
高田栄次郎 大正15年5月25日~昭和8年8月27日(死亡)

監査役 高林孝太郎 大正8年10月23日~昭和11年6月8日
西原吉三郎 大正8年10月23日~昭和11年6月8日
(西原金十郎大正10年1月22日改称)
高田栄次郎 大正8年10月23日~大正15年5月25日
岡崎増太郎 大正11年5月25日~昭和5年6月3日(死亡)

三蟠軽便鉄道の路線が鳥瞰図で記録されていた

2018-08-18 20:04:04 | 鳥瞰図にみる三蟠軽便鉄道
三蟠軽便鉄道の路線が鳥瞰図で記録されていた

三蟠軽便鉄道が開通したのは大正4年8月11日でした。
大正時代は観光地の紹介などで、よく鳥瞰図が使われました。
当時はパソコンも無い時代 ましてやSDプリンターなど存在しません。
しかし、路線案内は、時刻表とともに、顧客誘致には欠かせません。
時はまさに軽便鉄道全盛時代でした。
 各鉄道会社は、競って鳥瞰図を広告に使っています。
三蟠軽便鉄道も、西大寺鉄道も鳥瞰図を取り入れた路線案内を製作して
 アピールしています。
鳥瞰図の裏面には各駅周辺の名所旧跡や車窓からの風景を取り入れて
沿線案内を掲載しています。


三蟠軽便鉄道と西大寺鉄道の鳥瞰図を紹介します




三蟠軽便鉄道の鳥瞰図は金子常光と中田甚吉の合作によるものです。
金子常光、中田甚吉2人の絵師のお師匠さんは、大正の安藤広重と呼ばれた
有名な鳥瞰図絵師吉田初三郎でした。
吉田初三郎の工房には前田虹映・金子常光・中田甚吉三人の名が特に有名です。


こちらは下津井鉄道・片上鉄道・井笠鉄道の鳥瞰図です



片上鉄道と井笠鉄道の鳥瞰図も金子常光と中田甚吉のサインがあり、
三蟠軽便鉄道同様に2人の合作です。
しかし、下津井鉄道の鳥瞰図には中田富仙のサインのみであり
 単独の作品になっています。中田富仙(なかだふせん)は中田金光の別名です。