三蟠鉄道研究会

今はなき岡山の三蟠軽便鉄道の歴史を探り、後世に伝承していくための活動をしています。

福島県猪苗代町から沼尻鉄道保存会の三人来岡で三蟠鉄道路線跡を案内

2023-11-03 20:16:35 | 福島県との不思議なご縁

福島県猪苗代町から沼尻鉄道保存会の三人来岡で三蟠鉄道路線跡を案内

                令和5年10月26日(木)

当日は来訪された3人も最終日を迎えて、時間的にはタイトになると自覚していた。そこで、本日三蟠鉄道研究会のメンバー4人が

午前8時と、早めにお迎えに行く。 最初に向かったのは桜橋駅近くで、岡山瓦斯株式会社岡山工場への、引き込み線があったところを

通過し、一路三蟠鉄道発祥の地がある、平田釣具店前広場に到達。

最初に見ていただいたのは、明治18年に、明治天皇が上陸なされた記念碑がある場所だ。地域の方は、この地を誇りに

思い、ここを始発駅とした由来がある。

 平田釣具の奥様が出てこられ、福島の3人と、挨拶された。

明治天皇上陸記念碑

 

このあと、今年7月31日に除幕式をした記念碑「三蟠軽便鉄道発祥の地石碑」も見ていただいた。

このあと帰路には、①はまなか駅のあった場所を視て、平井に戻り、アバット跡と砲台跡を案内し、

②続いて、復元しているレール、トロッコの展示場所を案内して見学は終えた。その画像はない。

 このあと、三蟠鉄道研究会会長宅にて、石碑建立の画像や、テレビ画面でのDVDも鑑賞いただいた。

正午前には、福島の3人を岡山駅まで送っていくが、途中山陽学園大学の正門前を通った。

安部なかさんは三蟠軽便鉄道開通100周年の際、記念式典にご参加いただいたことがあるからだ。

 岡山駅の改札口で、お別れすることとなったが、これからも交流を続けていくことを誓い合った。


福島県稲苗代町の沼尻鉄道保存会の来訪で古墳など見学

2023-11-03 18:25:25 | 福島県との不思議なご縁

福島県稲苗代町の沼尻鉄道保存会の来訪で古墳など見学

沼尻鉄道保存の会との交流 二日目 その3

 総社市に入って、古墳を見逃してはならない。造山古墳は有名だが、先に千足古墳へ

千足古墳は、令和5年4月30日に公開されたばかりの古墳で、石室が見える古墳としていきなり有名になった。

福島の皆さんは、古墳に上がるのは初めての様で、とても楽しい良い機会となった。

  

  石室が上から目の前に見えている。 

  

  造山古墳ではまず資料館を見学。造山古墳を上から見た画像も展示されていて、陪塚周辺の遊歩道の位置や

  左上には、先ほど見た千足古墳も載っていた。

  

  いよいよ造山古墳に登ろうとみなさん意気込む。頂上の円墳部分から方墳を見下ろす位置で

  シャッターを切った。

  近年相次いで観光客に備えて改修も行われてきていて、中央部分は一部

  コンクリートで歩きやすくなっているが、古墳にはなじまないという声も。 

  左側の「つくりだし」部分は 欠けているが、近年の豪雨で崩れた後だと言われている。 

  

  造山古墳から降りる福島の2人

  

   かつての調査で方墳部分には、石室にあった棺の部分が展示されているのも見学できた。

  

  

   何故こんな大きな古墳ができたのか不思議なものの、真相は不明。最近の調査結果で

  前方後円墳は天の神様から見て手鏡の様だという。鏡は三種の神器の一つ。筆者もその説

  を支持していた。前方後円墳のような巨大な古墳は誰が造り、被葬者は誰かと言う話は

  尽きないが、ユダヤの三種の神器の一つ、マナの壺という説も有力。

        近年になってユダヤ人だと言う説が有力になりつつある。

  

  

  

 

  


福島県の沼尻鉄道保存会の来岡で観光地など案内して交流

2023-11-03 15:08:41 | 福島県との不思議なご縁

福島県から沼尻鉄道保存会の来岡で観光地など案内して交流

 令和5年10月25日(水) 交流二日目 その1

  今朝9時には宿泊ホテルの岡山プラザホテルへ三蟠鉄道研究会の会長内田武宏以下仲間6人が出向く。

   予約していた岡山交通の運転手含む、10人乗り観光タクシーと合流。昨夜の歓迎会で盛り上がった中、

  沼尻鉄道保存会の安部なか事務局長以下3人の賓客は、疲れも見せず、互いに元気よく朝の挨拶を交わした。

  運転手はこれまでに岡山県内の観光案内の経験豊富で、とても気さくで明るい方だとお見受けし、予定通り

  今日は、まず瀬戸大橋を案内することとした。

  鷲羽山の上から、眼下に広がる瀬戸大橋と島々を案内

  最初に案内したのは、鷲羽山レストハウスで瀬戸内の島々を眼下に一望できる名所だ。運転手は、福島の3人にも

  気さくに声をかけ、明るい声でガイドしてくれた。

  

  瀬戸内海をバックに運転手が集合写真を撮ってくれた。

  

  名残惜しいが展望台から階段を下りて観光タクシーに戻る。

  

  このあと観光タクシーは、再び高速道路の瀬戸中央道に入り、トンネルを抜けるとそこは別世界の様。

  前方に見える瀬戸中道道の大きさにみんな目を見張るが、左右の島々も飛ぶように観光タクシーは走る。

  

  与島で下車し、下から見上げる瀬戸大橋の大きさにも感動。鉄道併用橋としては、世界一の長い橋である

  ことなどユーモアたっぷりに語る、運転手のガイドに皆さん感謝。

  与島の展望台にもエレベーターで上がり、列車が通るのも見て感慨ひとしお。朝が早くカメラは逆光で 

  画像がピンボケで残念。

  

  興奮冷めやらぬ中、観光タクシーは倉敷の美観地区へと走らせた。

 

  

  

 

 


岡山日日新聞にもとりあげられた江川三郎八

2022-01-26 11:37:42 | 福島県との不思議なご縁

岡山日日新聞(平成21年10月24日付)の「古写真でめぐる岡山」の一面に擬洋風建築家江川三郎八」特集記事の掲載が見つかった。

記事の中には、古写真などで確認できる江川三郎八の関与した建築物の中に三蟠軽便鉄道の三蟠駅と国清寺駅舎の名前も見られます。

私としてはとても誇らしい気持ちになりました。

江川三郎八の建築物を研究されている上田恭嗣名誉教授(ノートルダ女子大女子大) が寄稿された記事でした。

 


三蟠軽便鉄道の株主にもなっていた江川三郎八

2022-01-23 10:48:33 | 福島県との不思議なご縁

江川三郎八をご存じですか?

大正時代に擬洋風建築で一躍名を成した福島県会津若松出身の江川三郎八。

福島県と岡山県だけに重要文化財級の多くの建築物の設計と建築に携わった方で、国重要文化財として保管されている建物の多い建築技師です。

建物については岡山県の建築業界では、余りにも有名ですが、三蟠軽便鉄道株式会社の株主となっていることは誰も気づいていませんでした。

ところが開業当時の株主名簿に江川三郎八の名がみつかりました。

国清寺駅まで延伸する三蟠軽便鉄道が、用地買収など急ぐ中、江川三郎八が優先株発行にも応じていたことが分かりました。 

江川三郎八研究会の会長である難波好幸先生とお話をする機会があり、近く発行予定の三蟠鉄道記録集には、大きく掲載する予定です。

このことから、開通時点の三蟠駅舎と国清寺駅舎の江川三郎八との関係も掲載したいと思います。