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金時鐘四時詩集より

2011年03月30日 | 南北鐵道関連消息
前回は「帰郷」を掲載した。その中で

故里が
帰り着くところであるためには
 もう一度ダムに沈む在所を持たねばならない。
故里が
帰り着く国であるためには
遠く葬る故郷をもう一度持たねばならない。

と言わしめた、在日一世の深く深刻な叫びを、二世である私は言葉を失う。
今回は「夏のあと」を掲載する。

    夏のあと

冬がくる。
きまってくるおまえに、ついに知る。
夏はやはり白昼夢だったと。
またも浮かれて春が来て
そうして一年が六十年にもなった。

夜来の雨にすっかりすけてしまった
柿の葉のかすかな放電。

わが尽きない夢の大地を
喊声は街の角を曲がったまま消えてしまい
渡ってくる風にも気配ひとつ伝わってこない。

待とうと待つまいと
おまえは来て過ぎていく。
待つ当てがないときもおまえは来て
長く居座る。

待ち侘びる誰がまだ
今もそこで生きていることやら。
疼くことさえ薄れてしまった
あの 夕日ばかりが美しい国で。

夜が深まっていくのは
星たちが感慨に耽りだすからだ。
私が時に夜空に食い入っているのも
疚しい半生が夜半ともなれば目をしばたくからだ。

六十年この方
私の不幸は、いや私にまつわる同胞の不運は
すべてが外からもたらされるものだった。
他者を断じて、この己が正義だった。

寛容さとはつまるところ
優位な己のひけらかしだ。
誠実とても、謙虚な自分がまずあってのものだ。
そうとも、忘れていたのだ。
はにかみは慎ましいわが同族の古来からの花だった。

主義を先立て主義に浸って
なにかと呑んでは時節に怒って
ああなんという埋没。
とおに蘇ったはずの国が
今もって暗いのは私のせいだ。
遠い喊声を漫然と待っている
私の奥の夏のかげりだ。

きまってくる冬がくる。
殊更に待つべき春の冬がくる。
待って過ごして、またもうだって
誰かがふっと周りから消えて

それでも待っている人々の国よ。
謙虚でなければ耐えることだってできぬのだ。
呆けず腐らず淫らにならず
素朴にいとおしんで先を譲ろう。
ついに知った、愚かな私の六十年だ。