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オモニの人生、日本の心を打つー話題の本「母ーオモニ」韓国版も

2011年05月07日 | 韓日関係関連消息
★ハンギョレの記事だ。著者の顔写真入りでわりと大きく扱われていた。明日購入して読んでみるつもりだ。N


オモニの人生、日本の心を打つ

出版10ヶ月で33万部を記録
姜尚中東大教授のノンフィクション

ハン・スンドン記者

日本の読書界に‘オモニの熱風’が静かに吹いている。 波瀾万丈だったあるオモニの生涯を淡々と描いた一冊の本が、出版10ヶ月目に販売部数40万に肉迫している。
集英社が昨年6月出版したこの本は、題名が<お母さんーオモニ>。 主人公は日帝末期慶南鎮海市郊外に住んだ‘ナガノ・ハルコ’. 彼女の実名は禹順南.

太平洋戦争が始まった1941年春、桜の花散る時期に1男4女の長女であった彼女は、口減らしで泣きながら故郷を後にした。 その時、年齢16才.


日本敗戦後、分断・戦火の祖国に帰る機会さえ失ったまま、当時26才の夫カン・デウ氏とともに九州熊本まで流れて行った。
それから30年が過ぎた。 見慣れない土地で闇市行商、マッコリ密造、豚飼育、廃品・屑鉄収集などで、生活の基盤を積み上げた。
やっと暮らせそうになった時、カン氏が先に逝き、2005年4月ついに彼女自身も逝った。

こんな在日同胞1世女性とその一家の話が、今日本で読まれている。 フィクションでなくノンフィクション、 だが小説的な一つの文学作品に仕上がった。
出版社担当編集者・落合氏は去る3日、<お母さん>が33万部以上を記録した、 在日同胞の話だから在日同胞が読むだろうと思われたが、“圧倒的多数の読者は日本人”といった。

お母さんを示す漢字‘母’、その下にカタカナで‘オモニ’と付けて表題とした。
<お母さん>は日本でも韓国でも、今は消えて行く在日同胞1世らの人生の記録であり、ザイニチの目で読んだ戦後日本の社会史でもある。
これはまた、在日二世が一世に捧げる献詩であり、自己のアイデンティティを訪ねる記録でもある。

著者 カン・サンジュン氏は
“10年前なら多分読まれなかった”としながら、それだけ日本社会も韓国社会も変わった、 高い自殺率と失業率などで表出された高度成長の挫折感を共に体験していることで、受け入れられたのかも、と話した。


話題の本<CIAブラックボックス>ービンラディン射殺作戦’背後にCIA

2011年05月07日 | 朝米関係関連消息
★ビンラディン死亡の報に、グランドゼロで歓喜する若者たちの映像が世界に配信された。そして、チェンジを約束したオバマは「正義が勝利した」とコメントした。
このアメリカの正義が、世界をさらなる混乱に! 憎悪は憎悪を呼び、復讐は新たな復讐と悲劇を生む。「アメリカの喜びは間もなく涙に変わる」とアルカイダは聖戦を宣言した。

韓国で以下の本が出版された。冷戦の落とし子CIAが華麗に復活したと結んでいるが…。N


ビンラディン射殺作戦’背後にCIA

<CIAブラックボックス>キム・ジェチョン著

米国政府にとって1941年真珠湾攻撃と2001年9・11同時多発テロは、決して消えることのない悪夢だ。
当時数多くの情報を持っていたが日本とアルカイダの米国侵攻を全く予測できなかったためだ。

真珠湾侵攻は1947年米国の中央情報部(CIA)創設の契機になり、9・11はソ連が解体された後消滅危機に陥っていたCIAがよみがえるキッカケになった。

キム・ジェチョン西江大国際大学院長が書いたこの本で最も関心を引くのは、2日午前米海軍特殊部隊によって射殺されたオサマ、ビンラディンに対する部分だ。
ジェロニモ射殺作戦と呼ばれた今回の作戦はCIAによって企画された。 9・11のために復活したCIAは結局ビンラディンを射殺し、この作戦を指揮したリアン パネターCIA局長は、次期国防長官に指名されるといのこと。 …CIAの華麗な復活だ。

この本には、アフガニスタンで展開された2005年までビンラディン除去作戦が紹介されている。
ウォーターゲート事件を特ダネ報道したボブ・ウッドワード記者は、ビンラディン除去計画はCIAが去る50年の間第3世界で繰り広げた秘密工作の典型だと話した。

CIAのこの作戦は、当時ビンラディンの逃走を助けているアフガニスタンのタリバン政府を転覆することだった。だが、ロシアをはじめ世界各国は米国が失敗すると予想した。 旧ソ連がアフガニスタンに侵攻して1万人を越える死亡者を出して退却した経験のためだ。 険しい山岳地形に死を恐れないタリバン戦士らのために米国はもう一度のベトナムを経験するという展望した。

しかし米国は2001年10月7日アフガニスタンを侵攻した後、たった一ヶ月で首都カブールを占領した。 タリバンの反対派の北部同盟を利用したCIAの工作が功を奏したのだ。
CIA要員らは数百万ドルの入ったカバンを持って行き北部同盟に伝達した。 アフガニスタン地形に明るい北部同盟は、CIAの要求のとおりに米国に代ってタリバンと戦い、結局タリバン政府を追い出した。