水曜日の朝日新聞夕刊の記事
台湾総統選には、中国との関係に少なからず興味が
と、紙面に目を落とした瞬間に飛びこんできたのが
「沢田研二さん」の文字
台湾総統選になんで、我が愛する「沢田研二」さまが??
もうね、全く全然予想もしていないところに名前が出てきて
頭の中は大いに混乱、疑問符だらけ????
どういうこと??
国民党の集会で、ジュリーの「時の過ぎゆくままに」が流れた
ということね。
記者さんも驚いたらしいです。
まさか台湾で!ですよね~
ジュリーの「時の過ぎゆくままに」が、1980年代前後に、
中国で大ヒットしている、という話は当時から聞いていました。
(当時、中国にいたピー先生も、そう語っていたような気が?)
ジュリーが日本人として初めて、中国で公演を行うのでは?
という話も当時はあって、
私は少なからず期待していました。
ところが、日本人初の公演は去年亡くなった
谷村新司さん(1981年)でした。
な~んだと、ガッカリした覚えがあります。
(80年代前後に中国でジュリーの「時の過ぎゆくままに」が
ヒットしたという、記事はどこかにあったはずだけど
まだ、見つけられていない。)
いまだに中華圏で「時の過ぎゆくままに」が
忘れられずにいるわけはなんで?
今でも歌い続けられているのはなんで?
と、やっぱり不思議で・・
検索してみたら、台湾では映画の主題歌になり
カバーされているそうです。
台湾映画「愛你一萬年(一万年、君を愛してる)」にも使われています。
最近、伍百がまたカバーをしてヒットしています。
そうなんや~と、ようやく合点がいったのでした。
気になる情報として正月コンサートファイナルで歌詞の間違いや元気の無さがあったと。歌詞の間違いは慣れてはいるけど、MCで難聴と視力が落ちたと落ち込んでいたと。視力はバットニューニングのパフォーマンス時にかなりやられていて今まで持たしていたのかと思います。気になるのは難聴です。ジュリーが前に言っていたのは声と耳が大丈夫なら何とかなると。
何でみんな音痴になるか。耳が悪くなって音が聞き取れなくなるからや。だから僕は絶対イヤホンはしない。持たせたいからと。そうか。ベテランになって歌い方変わったり伴奏から遅れたり、音を外したりはそういう事だったんだと。村田英雄さんが後年、音痴になったのもきっと。ジュリーよりもずっと年下の山本譲二さんや氷室京介さん、徳永英明さんも耳がやられました。
生命線である喉と耳。喉は何とかなってるけど耳が悪くなってると聞いて。私も40年、現場の煩い職場で耳栓して仕事していて左耳が軽度の難聴になっています。ジュリーなんか60年近く、そんなのと比較にならないくらいの喧騒の中で仕事をして来ました。今まで持ったのが奇跡ですらあります。今年のツアー、期待と不安を胸に見届けようと思います。天才、鉄人の彼がどんな風に難局を回避して残照の風景見せるかを。
>『ナベプロのさじ加減で沢田研二は日本人歌手としてアジア制覇出来ていたと思います。』
そうかもしれませんね。でも、当時のジュリーは、わざわざアジア圏まで出てゆく時間がなかったのかも?
海外に出てゆくためには、反対に何らかの犠牲はいったと思います。プラスマイナス、どちらを取るかでしょうか。
>『気になる情報として正月コンサートファイナルで歌詞の間違いや元気の無さがあったと。』
ご覧になっていない方には、多くのネット記事は心配でしかないと思います。
私は、お正月コンサートは全部見ました。1回目の渋谷が、声もパフォーマンスも一番良かったと思います。
ジュリーも、もう75歳です。すでに若くはありません、昔と同じではありません。眼も耳も悪くなるのは年齢的に当然だと思います。
もろもろを鑑みて、お正月ライブは今のジュリーの最高のパフォーマンスを見せてくれていると思いました。
ジュリーは間違いなく鉄人です。春からのツアーを楽しみにしています。
フェスは9列目♥なかなか来ないラッキーな席
素敵でした。
フォーラムは開場前にコケてしまい
危うくシルビーに。(ならん)なるとこでした、😁一階の後の席で座って聴きました、
ジュリーは見えなかったけど、すごく良かった
ジュリーは調子よくないと言っていたけど
感動したもの♥
私の今年の標語
はやる気持ち落ち着かせ、コケないように歩きましょう
>『私はフェスとフォーラム観に行きました。フェスは9列目♥』
いい席でしたね~!!たとえ後ろの席でも、ジュリーと同じ空間にいるのは嬉しいのですが、やっぱりジュリーに近いのは席は格別!それも大阪フェスで
気持は50数年経とうが、いつもシルビーですわよ
>『はやる気持ち落ち着かせ、コケないように歩きましょう』
ライブに行くために、忘れないようにします!