サスケの日曜日

小さな発見を楽しみに!

食べすぎ注意

2020-10-09 13:01:00 | 暮らし
ゴーヤ、今年の苗はちょっと変わったのを選んでみました。こんな形のがポコポコいたら面白そう! ただそれだけの理由でです。涼しい気候で元気を取り戻しよく育っています。




最近ハマっているのはコレ。安い桜えびチョピ足しの佃煮。
とっても美味しいですヨ❣️





#ゴーヤ 
#佃煮 
#食べすぎ注意

ラブラブ・マスクケース❣️

2020-10-07 16:36:00 | パソコン教室
やった〜❣️
パソコン教室の課題でお気に入りのマスクケースができました。
     

     

 

マムート階段

2019-10-13 20:22:01 | 景色

山登りにはちょっと知れているマムート階段を歩いてみた。

退職記念品

2017-04-09 11:45:02 | 暮らし
同僚から退職記念品に充電式電動ノコギリをいただきました。
記念品と言えば置物とか万年筆なのでしょうか?DIY女子の端くれとして欲しいものは?と聞かれたら即コレ!と答えました。
共に退職したもう1人となぜか偶然 緑の電動工具のケースを手に取った時はもうびっくりでしたが。笑
今日、注文していた予備用充電池が届いたので、早速収めてみました。

画像は昨日、パソコン教室のTせんせいに教えていただいたiPhoneの画像編集機能を早速使ってみました。
そして、このブログへもアプリから入る方法を授業の中で教えていただきお目々パチクリ!
出先からも投稿出来て良いですね💕

フラッグからミサンガへ、新たな繋がり

2017-04-08 19:30:00 | 東日本大震災


宮城県南三陸町、歌津の伊里前福幸商店街には全国のサッカーチームから多くの応援フラッグが届けられています。

商店街の周囲に掲げられたカラフルなフラッグは、現在では遠くから初めて訪れる人にとり目印となっている。


長い間強い海風にさらされたフラッグは、痛みは著しく更新するものも出ています。勤めを終えたフラッグを「ミサンガにして応援して下さったチームやサポーターの方々にお返ししては」と言う提案から新たな取り組みが始まっています。生地は痛みからとても脆くなっていますが、思いが実現出来れば、またそこから新しい繋がりが出来るのではないかとの思いから製作が始まったのは1年前のことでした。
生地が弱っているので作業の途中でちぎれてしまうこともしばしば。そこで、リボン、毛糸、ヘンプコード、レース糸などと共に編み込む事で補強するなどの工夫が加えられました。現地へ行けず遠隔地から支援する人達によりミサンガが編まれ、やがてサッカー選手やサポーターの手へ戻って行く事になりました。
[user_image 6a/5e/
8e5341a87e3cb23e23a701988c29a666.


震災から6年余りが過ぎ、商店街の皆さんのご苦労が実りこの4月にようやく本設の商店街の完成が実現へ。
これまで歌津の伊里前福幸商店街は、
〈ハマーレ歌津〉と名前を改め
いよいよ4月23日にオープンします。

国道45号線を気仙沼方向に車を走らせると本設の商店街でもカラフルなフラッグが出迎えてくれます。是非、皆様お近くへお越しの際はハマーレ歌津へお立ち寄りください。地元のたくさんの美味しい海と山の幸と共に商店街の人達の暖かい笑顔に出会えます。
ps 度肝を抜かれるイベントも年がら年中開催していますよ。笑&汗💦

岩泉での活動

2016-10-11 06:53:04 | わんこ
10月8日(土)より10月10日(月・祝)まで
神田交通・神奈川ボラバスチーム共催による岩泉町災害復旧支援活動に参加して参りました。

10月8日午後6時30分、県サポセンター集合7時出発。
今回の参加者は、ボラバスチームの2名のスタッフを含め総勢40名です。

バスは、東京駅八重洲口を経由し休憩を取りながら約10時間で岩手県岩泉町道の駅三田貝分校 へ到着。
気温12℃、小雨。その後雨も上がり作業し易い気候の中での活動となる。

道の駅は早朝で開店前のため、トイレのみ使用。
着替えはバス車内にて。軒下や車内で朝食を済ませ、現地ボランティアセンター前を通過し、今回の活動をコーディネートしてくださる遠野まごころネットの井上氏と落ち合う地点へ。
途中、岩泉町へ入ると町内の至る所に濁流で押し流された車両や家屋が発災後5週間を経過した現在も殆ど手付かずの状態なことがわかる。

この日作業をさせていただく所は中里地区と言う集落。この集落の6割が床上浸水などの被害を受けているとの事。
現在ライフラインは電気・ガス・水道の一部は復旧しているものの、家屋の殆どは床下の泥出し作業が完了せず、未だに住民の方々は連日届けられる冷たいお弁当を食べていらしゃるとの事。

現地ではちはち会の方々も合流し、ご依頼の内容に合わせたグループ編成を井上氏が準備してくださりお宅へ伺う。
はちはち会の方は、今週金曜日まで作業をされるとの事。
集落のどのお宅も一階の家財は殆ど運び出されている。引き取り期限が迫る中、残る家財の運び出しも予想される。

私が作業をさせていただいたお宅は、床下の泥出しが完了し、本日は庭の泥出しと屋内の清掃をとのご依頼。
庭の泥は約3~40㎝かと思われる。

ご依頼者立会いの下作業開始。2名は和室の清掃から開始。硬くコビリついた泥をあり合わせの木べらでこそぎ取った後、歯ブラシで擦り木目や板の目地から次々に土が剥がれ落ち、予想以上に時間がかかった。
土まみれの作業となり、マスク、ゴーグル、防塵など、防塵の装備は必須です。
どのグループも室内の掃除では泥の汚れに対し用具の不足からかなり手間取った様子だった。
ケレンの様な鉄製のものは木を傷つけてしまうので、竹べらや木の板、細かい角の土を取るためにカニ用のフォークをご自宅から持参された方もいた。
今回は二間続きの和室の半分程しか進まず次回に継続と言う形に。庭の泥出しは屈強なる男性陣6名の頑張りで完了した。

14時40分撤収準備。
15時バス乗車。

その後、龍泉洞ホテルにて1時間の入浴タイム。
館内には避難生活をされている方々もたくさんいらっしゃる。
皆様お疲れのご様子が伺える。その後盛岡市内のイオンにて夕食を摂り、8時出発。
渋滞も無く往路と同様東京駅を経由。
そのまま出勤される方もいてたくさん降車され午前6時前に横浜駅西口に到着。
荷物、機材を下ろし平塚へ。

今回の企画は初めてと言うこともあり、未知の部分も多くの、スタッフやボラバスチームの方々、そして神田交通の運転手のご苦労もいつにも増して多かったのではないかと思われます。

今回の参加費は1万円でした。夜行バスを利用して個人で参加するよりも低価格でした。

今後も同団体で計画が有ります。興味のある方はお問い合わせください。

便 名:岩手県岩泉町復旧支援便
出 発:横浜駅20:00(集合19:45)、東京駅21:00(集合20:45)
参加費:1万円
定 員:各便40名(最小催行人数30名)

主  催:神田交通株式会社神田ツーリスト
企画協力:いわてNPO災害支援ネットワーク
     NPO法人かながわ311ネットワーク
     かながわ災害ボランティアバスチーム

★第2便:10月21日(金)出発~22日(土)活動~23日(日)朝帰着
 申込受付期間:10月12日~10月17日

★第3便:10月28日(金)出発~29日(土)活動~30日(日)朝帰着
 申込受付期間:第3便 10月12日~10月24日

iPhoneから送信

花のリレー

2015-06-02 20:32:00 | 東日本大震災
iPhoneから送信

快晴

2015-05-23 07:54:13 | 東日本大震災
南相馬道の駅で朝を迎えました。今日はkfop(かながわ福島応援プロジェクト)の仲間と共に1日作業をいたします。

iPhoneから送信

八十ハ夜

2015-05-03 09:07:57 | 東日本大震災

昨夜は八十八夜だったそうで。

庭梅が何時もより早く色づいてきました。

東北の一部では、気温上昇の影響で、
例年行われる五月の連休の田植えを控えている所もあるようで、
絶えず気候と睨めっこの農業なんだと改めて気づかされました。

宮城の方のお話では、未だに風評被害の影響があり、
丹精込めて作った米も値崩れしているとのこと。

需要と供給の安定した関係は、
農業を守り、私たち国民の食卓も守ることになるんですね。


iPhoneから送信


誰もいなくなった町

2013-09-08 17:06:48 | 東日本大震災

間もなく東日本大震災から2年6カ月が経とうとしている。

安全神話とともに作られた原発。

地球上で起きる地震、その多くはこの日本で起きている。

そして、その上に建てられた原発。

これまで無関心、無頓着だった私たち国民の責任は否めない。

今は、何とかしてこの問題を終息させなければならない。

政府は早々と終息宣言したが、
また新たな汚染水漏れが発覚し、
何時になったら解決するのか。

「経済を立て直す」、そして
「東京は安全」と宣言し、
今朝、2020年のオリンピック東京開催も決まった、
だが、本当に安全なのか?

そして、福島の人達の生活はどうなるのか?

躍起になって諸外国へ原発を売り込もうとしている政治家の行動を
黙って観ているだけでいいのだろうか?

反原発集会が毎週のように開かれていることを
何故かマスコミは報道しない。

 



7月の終わり、仲間とともに第1原発の周辺を見学する会に参加して参りました。
参加者は56名。急遽大型バスに切り替えての出発でした。

     
     首都高を経て常磐道、廣野町へ到着。
     現地では、地元の方が待っていてくださった。

    
     
            <原発から 20キロ圏すぐ外側にある廣野中学校>



     除染後白い砂が復土されているも雑草の繁茂する校庭。校庭での活動は皆無。

     現在は、除染作業が終わり、
     安全が確認され、学校は再開されています。
     戻った生徒は震災前の約2割。
     遠く、いわき市などから通って来るそうです。
     ちょうど下校時と言うことで、校舎からスクールバスへ移動する生徒。
     屈託のない笑顔の生徒。

     更に北へ向かう。
     あの日、あの時、この地を逃れようとしていた人々に思いを馳せる。

     警戒区域に入る。

 

 


     
    
         < Jヴィレッジの表玄関 >

     嘗て 福島サッカー界の本拠地として利用された施設。
     現在は、原発で作業される方達の前戦基地として使われている。

     元サッカー日本代表専属料理長の西さん。ご自身も被災し、
     現在もこのJヴィッジに残り、作業員に美味しくヘルシーな食事を提供されている。

     西さん曰く、「復興とは?何を持って復興とするのか定義が見つからない。
」     除染に掛ける莫大な費用。 だが、果たしてその効果は。 」
     西さんは、静かに、淡々と語られた。だが、強い憤りが伝わって来る。

 

     20キロ圏内、富岡町。
     
     
       校庭には牛の群れが。 



     
     常磐線富岡駅 津波の被害を受け、駅舎は何も残っていない。


     
     線路は草で覆われて


     

      

 


     
                商店街は、津波の被害を受けたままの状態
     
                           

                         
 



   
     桜並木が続く

     
                   かつて行われていた富岡町の桜祭り(富岡町HPより)

 

 

     
     
     住宅街。

     
     道を境に右は立ち入り禁止区域
     立ち入り禁止区域は鉄条網と監視カメラが設置されている
     

     

 

 

     きれいな町並みが続く。
     けれど、そこは誰も住めない町
     帰りたい人々は今どこへ。



     
     私たちが住む日本にあるこの現実を、
     国民はどう受け止めて行くのか?





     先日、政府は、原発の事故処理を東電に任せる事はできないと明言した。
     これまで任せきりにしてきた政府に責任はないのか?

      
     
     震災による行方不明者の捜索は遅々として進まない。
     かつてこの町の人口は、16000人前後だった。
     町民は現在も各地で避難生活を余儀なくされている。
     帰還の見込みのない現在、
     福島県内の人口流出に歯止めは利かない。

     
     廣野中学校では生徒がようやく2割戻った。けれども、そのことをどう評価するのか?
     
     
     除染は進んでいる反面、
     人が生活できるレベルまで除染することは可能なのか?

     除染した土の行き場は未だ決まらず、
     2013年8月現在も、巨大な袋の山が地区内に堆く残る。

     都市部の繁栄のために犠牲になった福島。

     暴走したら手が付けられなくなる危険な原発を
     けれども手掛けたら最も儲かる原発を
     今後も推進しようとしている人々。

     今日の午後には、7年先を見越したコマーシャルが流れ、
     日本は、東京オリンピックまっしぐら。



     一昨日聞いた福島の人の言葉が心の残る。

     「原発の問題で苦しむ福島がある日本と、オリンピックムードに沸く日本は、別の国のように思えます。」

     
     
          
        
    
         
    ※富岡町
     福島県双葉郡の中心にある東京電力福島第二原子力発電所がある。
     平成23年(2011年)に発生した福島第一原子力発電所事故の影響  により、
     同年3月17日以降、仮役場を郡山市にあるビッグパレットふくしま内に設置している
                                                        (wikipediaより)