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まずは何をしよう

私の中の「かげろう本屋さん」 2024/07/07

私の中の「かげろう本屋さん」

本が降って湧いたように手元に届く
全て私の好みだ!
思わず頬が緩む
こんな素敵な本が読める環境は意図して造れる物ではない
生きてきた過程で自然と出来た物
そう
人間模様が造る
かげろう(陽炎)本屋さんの存在に
自分自身の歩みが跳ね返って見えた!!!


 「ひょうたんから駒が出る」と言う言葉があるが、まさしく、「私の中からかげろう本屋さんが出て来た」と言って良かろう。人生「還暦」が過ぎて何が起きてもおかしくわないが、こんな事が起きようとは想いもよろなかった。

 かげろう本屋さんから本が届く。それは、私の楽しい時間が届いたことになる。それだけなら街中にある本屋さんと変わりがないが、届けてくれる方がお金では雇えない魔女のようなお方なのが……
 そう、かげろう本屋さんの特徴で、世の中に唯一無二の本屋さんなのだ。

 届いた本は読んでお終いではなく、魔女と本談義をするのも楽しと、会話も弾む!この上ない読書環境に埋もれている現実に時間のありがたさを感じるが、
 「何より、私の歩みの中で”かげろう本屋さん”が出来るような人間関係の構築が出来ていることに幸せを感じた」このブログで言いたいことはこの一言に尽きる。


ー----- 目次 ー-----
本は何時から降って湧いてきたのだろうか?
魔女からの本はどんな物?
かげろう本屋さんは何処にあるの?
どんな魔女?
読んだ本の感想を共有出来ることは素晴らしい!
過去があるから今がある


《本は何時から降って湧いてきたのだろうか?》
 
 何がきっかけで始まったかは覚えていない
もしかしたら、新聞の連載小説の話題から始まったかも知れない……
知らないうちに、本と家庭菜園の収穫物が行き来するようになった!

 それでは、本が降って湧いてくる仕組みを説明すると

本が私の自宅ポストに投函される
または、週末バレーボールで会ったときに手渡される
(投函タイミングは魔女の揺れる瞳でなく気分次第となる)
魔女より楽しい魔法の時間を頂いた私は本の世界に入り込む
途中、魔女に感想をLineで流す
現実の世界に戻ったら、家庭菜園の収穫物と共に魔女のポストに投函
または、週末バレーボールで会ったときに手渡す
魔女と対面した時に、本のことで盛り上がる

と言うゴールデンタイムが繰り広げられる。

 家庭菜園の収穫物とは、
 楽しい時間を頂いたお礼として、週末家庭菜園で汗水垂らした時間を恩返ししている。野菜、柑橘類、漬け物……
 これは、まさしく、週末家庭菜園で汗水垂らした時間が (⇐今までの自分自身の歩みが)跳ね返っているよね!
 なんか
 実感して、自分の人生を満足したりして(笑い)





《魔女からの本はどんな物?》

 また、その本が、皮肉にも私の好みに合わせた物が送られてくる。「小憎らしい! こいつめ…… 」と呟いてしまう

 ストーリー性として、この程度の記述で良しとする





《かげろう本屋さんは何処にあるの?》

 魔女が住んでいる屋敷の書斎がそれに当たる。我が家から歩いて10分も掛からない位置にあるが、立ち入ったことがないのでかげろう(陽炎)なのだ





《どんな魔女?》

 本好きなので、両親が学校の教師をしていたところから英才教育をされていたのではないかと問いただしたことがあったが…… 
 あっさり、肩すかしを食らう

 一人っ子特有の性格をあらわに出しているが……
機転が利くところが好きだ!

 生き物が好きで・・・・・・・ ・・・ かげろう本屋さんのあらゆる所に生き物が存在するが、空飛ぶ箒だけは見たことがない

 送られてくる本の包装は和菓子のお店の物が多い…… 「ぺけぺけ堂」とか……。そう、魔女は和菓子が大好物なのだ

 脱線したようなので
本筋に戻すと、

冒頭で
「何より、私の歩みの中で”かげろう本屋さん”が出来るような人間関係の構築が出来ていることに幸せを感じた。」このブログで言いたいことはこの一言に尽きる。

と書いたが、本屋さんの主人が「魔女」⇐異性 と言うことが人間関係の構築の広さを2次曲線のように拡げて居るのではないかと自分なりに非常に満足している。これって、男バカとは違うと思う
「人間関係の広さを痛烈に感じます!」 笑い

 そして、私の歩みの中で家庭菜園が読書に繋がるとは……
想像付かないよね! 





《読んだ本の感想を共有出来ることは素晴らしい!》

 読んだ本の感想を共有出来ることは素晴らしいと思っている。読んで終わりではなく、コミュニケーションが続くところが良いよね!街中の本屋さんで手に入れた本では絶対に出来ないことだ!
 そう……
既に魔女の頭の中にストーリーが入っているから話が通じるのだ……





《過去があるから今がある》

 此処まで書き込んできたが、こんな人間模様をブログに書くのも悪くはないと感じてきた。一寸考えるだけでも

私の中の「ファインダー越しのあいつ」
 ファインダーを覗く私の耳に、大地を我が物顔で駆け巡る風の音と共に歓声が吹き抜けた! あいつが何かを言っている! シャッターを押す指先の集中力は、吹き抜ける風に載った歓声を追いかけているようだ……

 何か書き始めちゃおうかな?

 他にも、出て来る出て来る……

私の中の「我が儘な麦わら帽子」
私の中の「散らかし放題の看板屋さん」
……

 書いて見るかな……
「人間模様シリーズ」として!

 「良い友達に恵まれているな」とふと思ったときに、書き留めておこうかなと思ったのが始まりだ
 私の中の「かげろう本屋さん」を書くことによって、今まで生きてきた自分の人間構築(人間模様)を表現したかった。
 書き終わって、内容的に凄く満足している自分がいるが、実は、内容的に空回りしていて、自己満足で終わっているかも知れない。

 「それでも良いではないか」と、何処からか聞こえてきた……
今日7月7日は母の命日であるが、いつ何時でも母親のありがたさを噛みしめて生きている。私の中の緩い人間模様も母親譲りのお陰だろう……

「これからもよろしく!」
そして
「ありがとう」
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