山田サトのブログ

なんでもありのブログ

黒船稲荷神社

2016-11-01 19:39:37 | 神社仏閣(寺社仏閣)
東京都江東区牡丹1丁目12-9 黒船稲荷神社にお参りしてきました。
応徳3年(1087年)に浅草黒船町(現在の藏前)に創建され、享保17年(1733年)、当地へ遷座しました。
四世鶴屋南北宅跡で、御祭神は宇迦魂命(ウカノミタマ)である。
四世鶴屋南北の狂言作品は『天竺徳兵衛韓話』『心謎解色糸』『謎帯一寸徳兵衛』『東海道四谷怪談』など。
宇迦魂命は、日本神話に登場する神で、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。
名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。
アクセス/門前仲町駅徒歩6分

良観寺

2016-10-28 22:59:03 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 布袋尊(宝袋尊) 良観寺
東京都葛飾区柴又3-33-13 良観寺 にお参りしてきました。
真言宗豊山派の良観寺は、弘誓山観音院と号します。
室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に念仏堂として建立されていたと考えられ、江戸時代初期に両観寺・了観寺となっている。
柴又七福神のうちの宝袋尊を奉っています。
良観の宝袋尊は、江戸時代初期に商人が都からの帰りに、山中で日が暮れ、民家の宿を借り一夜を明かしたが、民家と思ったのは大木のうろの中で、驚いてうろの中を見渡すと布袋尊がおられた。
尊像を店に持ち帰りお祀りしたところ、商いは大いに繁盛した。
この御利益を大勢の人々のお役に立てたいと発願し、宝袋尊と称して良観寺に奉納せられるに至った。
布袋尊は、七福神の中で唯一中国(唐の時代)に実在した禅僧です。
吉凶や天候などを占ったことから、仏教の弥勒菩薩の化身とも言われています。
長丁子と号した唐代末期の禅僧・契此をはじめ、宋の僧了明、棗陽の張氏の男など、四人が布袋和尚として伝えられています。 彼らはいずれも額が広く、巨大な太鼓腹に、体躯は肥って背低く、いつも半裸という風体。
杖と大きな布の袋を携え、袋の中に身の周りの持ち物を入れて、放浪生活を送っていました。
食べ物を施されると、少しだけ食べて残りは袋の中にしまっておくのが常だったといいます。
悠悠自適で笑って暮らスタンプ楽天的な布袋和尚の生き方が、当時の禅僧をはじめとした人々に「至福」の象徴として受け入れられたと考えられます。
中国ではこの布袋を本尊に祀る寺院が多く、不良長寿・無病息災・開運・良縁・子宝・夫婦円満・金運の神とされまています。
アクセス/柴又駅より徒歩6分

柴又七福神 福禄寿 萬福寺

2016-10-24 20:10:40 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 福禄寿 萬福寺
東京都葛飾区柴又6-17-20 萬福寺 にお参りしてきました。
曹洞宗寺院の萬福寺は、聖閣山と号します。
昭和3年に創建、この地から人骨数体が発掘されたため、地元の人びとの要望に基づくという。
境内には110体の弘法大師石像が安置されている。
柴又七福神の福禄寿を奉っている。
福禄寿は、道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したもので、宋の道士・天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもある。
アクセス/柴又駅より徒歩5分

柴又七福神 弁財天 真勝院

2016-10-21 21:24:21 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 弁財天 真勝院
東京都葛飾区柴又7-5-28 真勝院 にお参りしてきました。
真言宗豊山派の真勝院は、石照山真光寺と号します。
創建は大同元年(806年)と伝えられている古刹ですが、 たび重なる火災または天文七年江戸川を境に行われた国府台合戦の兵火により焼失されたが、その後何度か再建され現在にいたっている。
門内右側には万治3年(1660)柴又村名主済藤次良衛門等の造立した五智如来石像(葛飾区文化財指定)がある。
柴又七福神のうちの弁財天を奉っています。
七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されています。
ルーツは古代インドの水の神サラスヴァーティー、サラスは「水」を意味し、もともとは西北インドにあった大河の名前を指し、大河の自然としての偉大さ自体を神としたものらしいです。
さらに河がもたらす恵みから豊穣の女神となり、さらさらと流れる河の音が音楽を奏でるようだとの連想から、音楽の女神にもなりました。
さらには、言葉の女神ヴァーチュと同一視されるようになり、言葉(弁)の才に優れた神、弁舌、学芸、智恵の女神として信仰されました。
アクセス/柴又駅より徒歩5分

柴又七福神 大黒天 宝生院

2016-10-18 19:40:55 | 神社仏閣(寺社仏閣)
柴又七福神 大黒天 宝生院
東京都葛飾区柴又5-9-18 宝生院 にお参りしてきました。
真言宗智山派寺院の宝生院は、大黒山と号します。
寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近の創建、下谷谷中への移転を経て、明暦年間に池之端茅町へ移転したといいます。
関東大震災で罹災し、昭和2年当地へ移転しました。
柴又七福神の一つとなっている大黒天は、江戸期から信仰を集めていたと伝えられ、甲子(陰陽五行では、十干の甲は陽の木、十二支の子は陽の水で、相生(水生木)である。)の縁日には参詣者でにぎわいます。
大黒さまといえば、左肩に大きな袋を背負い、右手に打出小槌を持ち、米俵をふみ、いかにも福々しい姿や日本神話の因幡の白兎に出てくる大国さまを想いうかべるが、そのルーツは、サンスクリット語でマハーカーラと呼ばれるインドの神様である。
マハーカーラを漢字にすると摩訶迦羅となり、マハーは大、カーラは黒色を意味するので大黒天と呼ばれる。
この大黒と大国が同じ音から大黒天と大国主命が同一視されるようになり、日本での大黒さまは福の神というイメージに発展していきました。
アクセス/北総線新柴又駅より徒歩4分