衆院選始末記―続
話は古くなるが、総選挙の結果を振り返ってみると、次の通り勢力図が大きく変わった。自民191(-65)、立憲148(+50)、維新38(-6)、国民28(+21)、公明24(-8)、れいわ 9(+6)、共産8(-2)で、自民は大きく減らしたものの、立憲を43上回ってトップの座は維持した。自公連立与党の獲得数215に対し野党・無所属は250。定数は465なので過半数は233となるが、裏金疑惑などが理由で、自民党非公認で選挙を戦った4名と与党系無所属の2名の計6名を自民党会派に戻すことを決めたので、与党は221、野党・無所属は244となり、与党が首班指名に必要な議席数は12人(233-221)が必要となる。立憲の場合は85人(233-148)必要で略不可能に近い。
裏金疑惑による自民党議席減の受け皿は立憲・国民・れいわがその役割を果たしたが、維新は政治資金規正法の取り扱い方法で自民寄りの態度をとった為、馬場代表のガバナンスに疑問符が投げかけられたほか、相次ぐ不祥事で支持を落とした。大阪の19小選挙区をすべて制したが、比例の近畿ブロックでは前回選挙から100万票以上減らしており、大阪の地域政党としか見られなくなった事や音喜多政調会長の落選もあって馬場代表の退陣に繋がった(現有38で立憲に次ぐ3位)。
公明党も惨敗と言えるだろう。代表の落選も含め議席数は32から24に減ったが、何よりも比例代表が600万を割り込んだ事が公明党の凋落傾向を示している。4半世紀に亙る自民との連立が自民(及び国政)を堕落させた原因だと国民が気付いた点と、支持母体の創価学会の衰退が止まらない事にある。自民党に引きずられ、『清潔な政治』、『平和』といった党の原点を見失った事も輪をかけた。今後じり貧は免れないだろう。
国民民主は7から4倍の28に増加し、現有勢力4位に滑り込んだ。その勝因は「103万円の壁撤廃の」公約を、党公式YouTubeチャンネルの生配信を通じてリアルタイムに若者を中心とする有権者と意見交換する、或いは支持者の作成した動画やコンテンツも画面上に取り上げるなどの巧妙なデジタル戦略が注目を集め功を奏したものと考えられる。
総選挙後の特別国会で行われる首相指名選挙で野党が結束し、野党第一党である立憲民主党の野田佳彦代表に投票すれば、野田代表を首相に担ぐ野党連立政権が誕生する。野党各党が第一回投票で自らの党首に投票しても、石破首相も野田代表も過半数に届かず、決選投票に持ち込まれる。そこで野党が結束して野田代表に投票すれば、自公政権は倒れるはずだった。しかし現実はそう進まなかった。総選挙で躍進した国民民主党も、総選挙で敗北した日本維新の会も、首相指名選挙で石破首相には投票しないものの、野田代表にも投票しない姿勢を早々に打ち出し、更には決選投票でも自らの党首に投票することに依って無効票とする事を明言したのである。
これにより、首相指名選挙は石破首相と野田代表が決選投票に進み、石破首相が過半数を獲得できないものの野田代表を上回って勝利し、「少数与党政権」として続投する方向が固まった。
立憲支持層には「国民民主党が野田代表に投票しないのは、政権交代を期待して自公を惨敗させた総選挙の結果を裏切るものだ」という声がある。しかしながら自公を過半数割れに追い込みながら、政権交代を実現させることができなかった最大の責任は、野党第一党の立憲民主党にある。
立民は「政権交代こそ最大の政治改革」と訴え、総選挙の「目標」として、①自公を過半数割れに追い込む、②立憲が比較第一党になる(自民の議席を上回る)事を挙げ、その結果として「政権交代を実現させる」と訴えた。しかし現実には10月9日解散時点で立憲公認候補は209人、全員当選でも単独過半数に届かない。公示日目前に駆け込みで比例単独候補29人を公認し、ほぼ全員当選でやっと衆院過半数の233を超え、単独でも政権を担える」(大串選対委員長)体裁を取り繕ったが、単独過半数を獲得する気構えが欠けていたのである。野田代表は総選挙で「政権交代こそ最大の政治改革」と訴えたが、野党連立政権樹立の為の準備工作は一切しなかった。立憲が50議席を増やしたのは、小選挙区で自民候補を落選させるため、立憲支持でなくても立憲候補に投票した有権者が多かったからだ。その多くは比例代表では立憲に投票せず、国民民主党やれいわ新選組に投じた。事実立憲の比例票は1156万票で、惨敗した前回総選挙から7万票しか増えていない。「自民も立憲もイヤ」という二大政党への拒否感が、国民(比例617万票、獲得議席は4倍の28)とれいわ(比例380万票、獲得議席は3倍の9の大躍進を生んだのだ。野田代表を首相に担ぐ野党連立政権の機運が高まらなかったのは、野田立憲には野党各党を束ねて政権交代を狙う野党第一党の責任をハナから放棄し、その熱意が不足していたのが大きい。自民党が公明党とタッグを組んで候補者を一本化したのと対照的に、野党陣営の戦線は最初から崩壊して居り、野党間で激しい戦いが繰り広げられる始末であった。その結果が東京24区で元経済産業相の萩生田光一の様な薄汚い人間を僅かな差で当選させる羽目に陥ってしまったのである。
最近の自民党の動きを見ていると、反省の色は全く見えない。矢張り政権交代こそ『真の政治改革』、参議院選に向って立憲・野田の本気度が問われる。
衆院選始末記―続2 国民民主の戦略へ