秋篠宮様の大嘗祭発言に付いて
「戦争責任…(2)天皇を利用し尽くした薩長政権」 で触れた通り伊藤博文を中心とする藩閥政治家達は国民統合の手段として「君臨すれども統治せず」、「皇国史観」 この基本方針に沿って天皇制を徹底的に利用する事を考え、天皇の神格化を図ったがその手段として、大嘗祭のもとになる新嘗祭等単なる皇室祭祀に過ぎなかった行事を華美で大規模な祭祀とし、大袈裟に国民の祝日としたのである。全ては天皇の政治利用が目的である。
大嘗祭も明治22年2月裁定の皇室典範11条に於いて始めて「即位の礼及び大嘗祭は京都に於いて行う」と規定されたが、昭和22年5月裁定の新皇室典範では「皇位の継承があった時は即位の礼を行う」とだけ規定し大嘗祭には一切触れていない。 又大嘗祭に関する政府見解として「大嘗祭は収穫儀礼に根差したものであり、その中核趣旨・形式等から宗教的儀式としての性格を有しており、態様に於いても国がその内容に立ち入ることが出来ない」として皇室の私的祭祀であることを認めている。
憲法20条に政教分離が明確に謳われ,国家神道は廃止されたのであるから、天皇が神道の神官として祭祀を執り行う際は、天皇家のプライベートな行事という扱いにするのが筋であって、国家予算をつぎ込むのは明らかに憲法違反である。
秋篠宮様のご発言はそもそも憲法の政教分離大原則に違反する可能性のある皇室の私的行事に対して「短絡的な前例踏襲」という安易な考えで巨額の公費で賄うことに疑義がある。天皇の公務削減という問題も含め、社会通念の変化を踏まえ主権者である国民の間でよく議論されてしかるべきではないか。大嘗祭は新しい皇室典範にも皇位継承の重要な儀式とはされて居らず,皇室の私的祭祀であるから、天皇家の私費に当たる「内定会計」の範囲内で「身の丈に合った儀式」にするのが本来の姿である、というものである。政府が皇室の私的行事に迄口出しをして、其の簡素化すら皇室は自由にできない、人間天皇に対する基本的人権の蹂躙以外の何物でもないだろうか。象徴天皇制は統治システムであるが、それを担うのは、自由意志のある人間であって、その思いは尊重されるべきことは言うまでもない。
昭和天皇の逝去の後、喪が明けた1990年11月、大嘗祭を行う費用は総額で約22億5000万円、その内2日後に取り壊された大嘗宮を皇居・東御苑に設営するのに14億5000万円余り掛かっている。当に国税(酷)の無駄使いの最たるものである。全国の知事を総動員して行う大掛かりな儀式に一体何の意味があるのか。東京五輪・大阪万博、明治維新150年等々国威発揚の旗印を基にポピュリズム政治の道具、政権の人気浮揚策以外の何物でもない。
政治の皇室利用は薩長幕藩政治以来今も変わるところが無い。
明治維新までは代々天皇家は質素を旨とし国民に寄り添う事を第一義としてこられた。今上天皇同様、宮様発言の根底にはこの考えが脈々と流れているのだろうと思う。消費税増税で集めた貴重な税は被災地や子育て、介護施設等其の配分を待ち望んでいる人が沢山いる、そちらに回したらどうかと仰りたいのではないだろうか。
この様な背景から、宮様のご発言は100%正しい。
原稿も見ず自然体で噛み締めるように話されたご発言内容は「現憲法に従って公務を行うことを再確認した」と言う重い意味を持ち、極めて説得力があり共感を呼ぶ。護憲主義を嫌い平気で憲法違反犯す現政権とは真逆の考えである。
このご発言に対する官房長官や宮内庁長官の木で鼻を括ったような誠意のない対応はどうだろう。ここに知性・人間性の落差の大きさを感じたのは私だけだろうか。
宮様は7年前の同じ会見でも「天皇にも定年制が必要になってくる」という問題の本質を突く鋭い発言をしておられる。天皇や・皇太子が言えないお二人の立場を慮っての事と推察される。
以前今上天皇が生前退位のご意向を表明されたが、前々から天皇は宮内庁にそのご意向を伝えていたにもかかわらず、宮内庁は受け入れなかった為、天皇はビデオメッセージでお気持ち表明するという強行手段に出ざるを得なかった。秋篠宮さまは生前退位にも賛成で、天皇をそういう状況に追い込んだ宮内庁に不信感を抱くようになっておられたと報じられている。
陛下からは皇太子殿下とよく相談するようにといわれたといって、暗に秋篠宮殿下の意見は陛下の意向に従ってあまり聞くつもりはなかったようなこともいっている。もしそうであれば善意に解釈すれば「融通の効かない子供の使い其の物の、全く血の通わない典型的な官僚発言」であり、悪意に見れば「官邸の意向を忖度し皇室軽視の平目高級官僚其の物」でる。何れにしても人間的にも能力的にも宮内庁長官の資格など無いと言わねばならない。天皇家の人の言うことに聞く耳持たずとは、それ自体が政治色の強い行動であることを失念している。
薩長テロリスト下級武士による明治維新により孝明天皇以降の天皇が辿った不幸な過去、とりわけ昭和天皇の苦悩や戦後の国民の苦しみを、今上天皇はま近にご覧になり、天皇制は現行憲法の価値観をベースに、国家神道とはきっぱり決別し、明治回帰・戦前回帰等国家主義的傾向の目立つ政権の「皇室の権威利用」を拒否するという毅然たる皇室全体の意思表示が見て取れる。国民的な人気のある天皇家を神格化し戦前回帰の国家をつくることに利用しようとする政権、古色蒼然たる日本会議や学者達には皇室をサポートし我々の厳重な監視の目が必要である。
この項続く(戦争責任…(7) 太平洋戦争 はその後で)
「戦争責任…(2)天皇を利用し尽くした薩長政権」 で触れた通り伊藤博文を中心とする藩閥政治家達は国民統合の手段として「君臨すれども統治せず」、「皇国史観」 この基本方針に沿って天皇制を徹底的に利用する事を考え、天皇の神格化を図ったがその手段として、大嘗祭のもとになる新嘗祭等単なる皇室祭祀に過ぎなかった行事を華美で大規模な祭祀とし、大袈裟に国民の祝日としたのである。全ては天皇の政治利用が目的である。
大嘗祭も明治22年2月裁定の皇室典範11条に於いて始めて「即位の礼及び大嘗祭は京都に於いて行う」と規定されたが、昭和22年5月裁定の新皇室典範では「皇位の継承があった時は即位の礼を行う」とだけ規定し大嘗祭には一切触れていない。 又大嘗祭に関する政府見解として「大嘗祭は収穫儀礼に根差したものであり、その中核趣旨・形式等から宗教的儀式としての性格を有しており、態様に於いても国がその内容に立ち入ることが出来ない」として皇室の私的祭祀であることを認めている。
憲法20条に政教分離が明確に謳われ,国家神道は廃止されたのであるから、天皇が神道の神官として祭祀を執り行う際は、天皇家のプライベートな行事という扱いにするのが筋であって、国家予算をつぎ込むのは明らかに憲法違反である。
秋篠宮様のご発言はそもそも憲法の政教分離大原則に違反する可能性のある皇室の私的行事に対して「短絡的な前例踏襲」という安易な考えで巨額の公費で賄うことに疑義がある。天皇の公務削減という問題も含め、社会通念の変化を踏まえ主権者である国民の間でよく議論されてしかるべきではないか。大嘗祭は新しい皇室典範にも皇位継承の重要な儀式とはされて居らず,皇室の私的祭祀であるから、天皇家の私費に当たる「内定会計」の範囲内で「身の丈に合った儀式」にするのが本来の姿である、というものである。政府が皇室の私的行事に迄口出しをして、其の簡素化すら皇室は自由にできない、人間天皇に対する基本的人権の蹂躙以外の何物でもないだろうか。象徴天皇制は統治システムであるが、それを担うのは、自由意志のある人間であって、その思いは尊重されるべきことは言うまでもない。
昭和天皇の逝去の後、喪が明けた1990年11月、大嘗祭を行う費用は総額で約22億5000万円、その内2日後に取り壊された大嘗宮を皇居・東御苑に設営するのに14億5000万円余り掛かっている。当に国税(酷)の無駄使いの最たるものである。全国の知事を総動員して行う大掛かりな儀式に一体何の意味があるのか。東京五輪・大阪万博、明治維新150年等々国威発揚の旗印を基にポピュリズム政治の道具、政権の人気浮揚策以外の何物でもない。
政治の皇室利用は薩長幕藩政治以来今も変わるところが無い。
明治維新までは代々天皇家は質素を旨とし国民に寄り添う事を第一義としてこられた。今上天皇同様、宮様発言の根底にはこの考えが脈々と流れているのだろうと思う。消費税増税で集めた貴重な税は被災地や子育て、介護施設等其の配分を待ち望んでいる人が沢山いる、そちらに回したらどうかと仰りたいのではないだろうか。
この様な背景から、宮様のご発言は100%正しい。
原稿も見ず自然体で噛み締めるように話されたご発言内容は「現憲法に従って公務を行うことを再確認した」と言う重い意味を持ち、極めて説得力があり共感を呼ぶ。護憲主義を嫌い平気で憲法違反犯す現政権とは真逆の考えである。
このご発言に対する官房長官や宮内庁長官の木で鼻を括ったような誠意のない対応はどうだろう。ここに知性・人間性の落差の大きさを感じたのは私だけだろうか。
宮様は7年前の同じ会見でも「天皇にも定年制が必要になってくる」という問題の本質を突く鋭い発言をしておられる。天皇や・皇太子が言えないお二人の立場を慮っての事と推察される。
以前今上天皇が生前退位のご意向を表明されたが、前々から天皇は宮内庁にそのご意向を伝えていたにもかかわらず、宮内庁は受け入れなかった為、天皇はビデオメッセージでお気持ち表明するという強行手段に出ざるを得なかった。秋篠宮さまは生前退位にも賛成で、天皇をそういう状況に追い込んだ宮内庁に不信感を抱くようになっておられたと報じられている。
陛下からは皇太子殿下とよく相談するようにといわれたといって、暗に秋篠宮殿下の意見は陛下の意向に従ってあまり聞くつもりはなかったようなこともいっている。もしそうであれば善意に解釈すれば「融通の効かない子供の使い其の物の、全く血の通わない典型的な官僚発言」であり、悪意に見れば「官邸の意向を忖度し皇室軽視の平目高級官僚其の物」でる。何れにしても人間的にも能力的にも宮内庁長官の資格など無いと言わねばならない。天皇家の人の言うことに聞く耳持たずとは、それ自体が政治色の強い行動であることを失念している。
薩長テロリスト下級武士による明治維新により孝明天皇以降の天皇が辿った不幸な過去、とりわけ昭和天皇の苦悩や戦後の国民の苦しみを、今上天皇はま近にご覧になり、天皇制は現行憲法の価値観をベースに、国家神道とはきっぱり決別し、明治回帰・戦前回帰等国家主義的傾向の目立つ政権の「皇室の権威利用」を拒否するという毅然たる皇室全体の意思表示が見て取れる。国民的な人気のある天皇家を神格化し戦前回帰の国家をつくることに利用しようとする政権、古色蒼然たる日本会議や学者達には皇室をサポートし我々の厳重な監視の目が必要である。
この項続く(戦争責任…(7) 太平洋戦争 はその後で)