風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

904) 私的岩手通史の旅 第76回(前九年合戦 第21幕)

2011年03月11日 | 私的岩手通史の旅
 一昨日の午前中に岩手県南と宮城県北で強い地震がありましたが、江戸にある彷徨先でも揺れを感じました。奉公先は高層ビルの上部にあるのですが、2~3分揺れが続きました。新聞には「長周期地震動」という揺れではないかと載っていましたが、ゆらゆらという感じの気持ち悪い揺れでした。揺れに気持ち良いも悪いもありませんが。


第76回 前九年合戦 第21幕(盛岡市 厨川柵堀跡)

 今回は、厨川柵跡を内側から眺めてみます。盛岡駅前から北上川右岸沿いの道を北上し、館坂橋を右折せずに直進すると上り坂となり、右手に安倍館バス停が現われます。この一帯が前回遠望した厨川柵跡で字名は安倍館町です。道路と直角に堀跡が見えます。


(うっそうとした厨川柵の堀跡 -盛岡市安倍館町 2010/06/26-)

 1962(康平5)年9月17日、連合軍は火矢による攻撃を開始しましたが、風にあおられた火炎により柵の中は焦熱地獄と化しました。安倍軍の決死部隊が柵から出て突撃してきましたが、次々と討たれてしまいました。安倍軍の棟梁である貞任も敵の鉾を受けで重傷を負い、源頼義の配下から安倍軍に走っていたた藤原経清(ふじわらのつねきよ)と共に斬首となりました。前九年合戦の終結です。

 ところで前回も今回も「厨川柵跡」と言い続けてきましたが、発掘調査では安倍軍がこもった厨川柵を示す史跡は見つかっておらず、現時点では中世工藤氏の居館厨川城跡だったことしか確認されていません。

 柵跡とされる一帯は住宅街で奥に小さな公園があり、その先は北上川を見下ろす崖になっています。公園内には安倍貞任・宗任を祀った「貞任・宗任神社」が建っていました。その左隣には敵方の八幡神社も建っています。「炎立つ」の中で貞任と源義家は気心知れ合う中に描かれていますが、史実から見れば呉越同舟でしょうか?


(貞任・宗任神社 -盛岡市安倍館町 -2010/06/26-)


2010年03月11日の一品・・・669)岩手散歩 県道1号冬景色(西和賀町 雪あかり)
2009年03月11日の一品・・・お休みでした
2008年03月11日の一品・・・204)栃木散歩 日光市(金精峠と金精道路)

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