Mon´の日記

アーティストMon“Design-NeT”の日記。
HALE to KE(ハレとケ)な日々。
時々広島弁。

(完結編)展覧会の絵

2010年06月21日 21時49分20秒 | Weblog
ずっと先に伸ばしてきました『展覧会の絵』の結末を、やっとこ書ける日がきました。
長いことお待たせしまして、ホンマにすみませんでしたm(__)m

『ビードロ』の絵について…で、話が止まっとったんですよね…。

そう…そうなんです。
『ビードロ』の事実は、当時高校生だったMon'には かなりの衝撃で、これを書くのには余裕がないと書けんかったんです。


『ビードロ』とは“牛車”
…と、大抵の解説書に書かれています。

NHK追跡ドキュメント番組の中でも、やはり“牛車”の絵を探していたので、『ビードロ』の絵を突き止める事がなかなかできんかったんです。

そんな時…
ーーある民家に『ビードロ』ではないかと思われる絵があるーー
との情報が入り、NHK取材班と團伊久麿さんがその家を訪れたところ、
『ポーランドの反乱』という題の1枚のスケッチ画が見つかったのです。


その絵は…全く“牛車”とは関係なく、衝撃的な絵でした。
ポーランド人がロシア兵に捕まえられて、まさに絞首台で処刑されようとしている絵だったのです。

この絵を目にした瞬間、Mon'の体中にバリバリバリーっと、物凄い電気が走るのを感じた。
ずっと鳥肌が止まらんかった。
涙も止まらんかった。

でも、この絵が『ビードロ』の絵かどうかというのは断定できん…ということを團伊久麿さんは言いよったんじゃけど、この絵がそうじゃないか…という考えにはいくつかの理由があった。


まず1つに、
『ビードロ』には“牛車”以外に、もう一つの意味があったのです。



そのもう一つの意味は…“虐げられた人々”。




ポーランド人は、歴史の中で長くロシアに虐げられてきたんですよね。


ーーー余談ですがーーー
ポーランドの有名な作曲家に、ショパンがいます。
彼の生きた時代は、まさにこういう時代でした。
その時代の中で、誰もが1度は耳にした事がある“革命のエチュード”を作曲したのでした。
また、彼はポーランド民衆の踊り“マズルカ”を数多く作曲しています。

ポーランド民衆の魂には“ツァル”という感情があり、ショパンはどの曲にも この“ツァル”という感情を持って作曲したそうです。
その中でも、“マズルカ”には“ツァル”が色濃く表れているそうです。

この“ツァル”とは、祖国ポーランドを追われたポーランド民衆の独特の感情で、
怒り…悲しみ…辛さ…
絶対に祖国を取り戻す!という思い…
とにかく、こういった様々な感情が混ざりあったものなのです。

ポーランドは、こういう歴史を辿った国なのでした。
ーーー余談終わりーーー

次の理由に、
ムソルグスキーがある会話の中で、
「『ビードロ』の意味は、ここでは“牛車”ということにしておこう…」
と、何とも意味深な言葉を残しています。
この事から、そうしなければならなかった時代背景…諸々…をほのめかしているように考えられます。


Mon'は、『ポーランドの反乱』という絵が『ビードロ』なんだ!…と思いたい。
今もそう思っとる。

皆さん一度『ビードロ』を聴いてもらうとわかると思うんじゃけど、
Mon'は中学で『ビードロ』を弾いた時、
「なんて重々しくて、悲劇的な曲なんじゃろう。少しの光もない。今から死が待っているような。未来には何もない…未来が見えないような。まるで足枷と首縄を付けられて、冷たい土の上を引きずられている人間のようだ…何も悪い事をしていないのに…」
こんな風に感じた。

でも、解説を読むと“牛車”とだけ書いてあって、
「はぁ!????」
と思い、バカバカしくて『ビードロ』を弾くのを止めた記憶がある。

しかし、この『ポーランドの反乱』の絵を見た時の衝撃はタダ事じゃなかったんです。
そして、「やっぱり!やっぱりそうだったか!」
と思ったんよ。

Mon'は、その自分自身の感覚も信じたい…と思う。


皆さんは、どう思いますか?

この絵に関して、学術的に認められたわけではなく批判もあるそうなのですが、Mon'は信じたいです。

このNHKドキュメントは本にもなって出版されたそうなのですが、見つからんのんよね(泣)

あ~~
是非、再放送して欲しいー(号泣)


続けて読んで下さった皆さん、ありがとうございました♪

『展覧会の絵』これにて完結でございます!



Mon“Design-NeT”
コメント
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