幸せなら手を叩こう~と言う歌が流行った。私も少年時代に覚えた記憶がある。
・・・と思えば、上を向いて歩こう~という歌も聴いていた。今、思うと、困った時に神仏頼みで手を叩く方が多いんじゃないかなあ。・・・と思ってみたり、芯から悲しければ俯いてしまう事が多いんじゃないかなあ。と思ってみたりもする。前向きに感謝の謙虚さや受難の時に悲哀を乗り越える勇気の前向きな詩とは思いはするが、がむしゃらなエネルギーに変えて外へ頑張れば、道がおのずと開ける時代がはたして今、あるのか?
・・・知恵があるものは知恵を出せ。知恵の無いものは汗をかけ、どちらもなければ日々に感謝をすればよい。そういって商店街が軒を連ね、工場で油にまみれ、鍬を持ち、船をだし、冠の重さを自戒しながら、頑張って、世界はふたりのために~を又、こんにちは赤ちゃん~を聞き、結婚しようよ~てんとう虫のサンバ~花嫁~の歌を歌っていた時代。
神田川~イチゴ白書を・・・・~GS、フォーク、演歌、歌謡曲が喜怒哀楽のメモリーとして基幹媒体(TV、ラジオ)、サブカルチャー(演劇、週刊誌、漫画)と文化がカタルシスとしてほどよく明日への頑張りに共存していた。
今も皆、頑張っている。頑張るエネルギーが戻ってこない。手元に受け止める実感がない。投げたら、投げた先さえどっちだったか、ちゃんと飛んだはずの自意識さえ幻のようでもあり、逃げ水のような時代のような気がしてならない。エネルギー不変で形が変化してもありえるはずなのに、ブラックホールに吸い込まれたように頑張れば頑張るほど、あるいは温存させていようとなりゆきにまかせようともエネルギーのフィードバックが感じられないまま吸い込まれているような時代の体感がしてしかたがない。文明や科学力、知識が進めば人の暮らしも安心と安全が平和で豊かな方向に向かうはずなのに何が一体反比例の方向に向かせる原因なのか?不思議で仕方がない。以外に答えは単純だろうが見えないものだ。
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