白秋ながや文庫

日々の徒然。

タイタニック(1)

2008年03月29日 | インポート

 タイタニックが昨日から今晩まで再放送。1997だったか?ビデオまで手に入れ、何度も観た。

ティターン、タイタンと言えば、ギリシャ神話にでてくる巨神らしいが、浮沈、富と国力、格差の象徴のまさかの大惨事は、ジェームズキャメロンのエンターティメント映画でみごとな作品となった。

今の時代に、あらためて観るとさまざまな想像をします。

参考資料など、ウキィペディアより下記引用しました。さまざまな視点で多くの人たちに中立的に情報を引用したいとの念を持って、ことにおいて、資料寄稿の関係各者様に、ご理解と御礼尊敬申しあげます。  筆者 合掌

・・・以下 (ウィキペディア記事資料引用より)

タイタニック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

タイタニック(英語:Titanic)とは、

タイタニック号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

タイタニック号(1912年4月2日)
船歴
船籍 イギリス
所有 ホワイト・スター・ライン
母港 リヴァプール
発注
起工 1909年3月31日
進水 1911年5月31日
命名
処女航海 1912年4月10日
その後 1912年4月14日に沈没
性能諸元
総トン数 46,328トン
排水量
全長 268.8m
全幅 27.7m
全高
吃水
機関 スコッチ式ボイラー24基補助5基、
レシプロ4気筒エンジン2基、
蒸気タービン1基、50,000hp(37 MW)
推進器 混成3軸、3枚羽スクリュー推進、
速力 23ノット(42.6km/h)
定員 船客数:1等329人、2等285人、3等710人
乗組員数:899人
建造中のタイタニック号 船尾スクリュー
建造中のタイタニック号 船尾スクリュー

タイタニック (RMS Titanic) は20世紀初頭に建造された豪華客船である。1912年4月14日の深夜に氷山に接触し翌日未明にかけて沈没。乗員乗客1,513人(1,490人、1,522~23人という説もある)が犠牲となり、当時世界最悪の海難事故となった。

目次

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概要

タイタニックはイギリスホワイト・スター・ライン(White Star Line)が北大西洋航路用に計画した3隻の旅客船のうちの2番船であった。姉妹船にオリンピック、のちに病院船として運行されたブリタニックがある。トーマス・アンドリューズによって設計され、北アイルランドベルファストにあるハーランド・アンド・ウルフ(Harland and Wolff)で建造された、当時世界最大の客船である。タイタニックの正式名称は『R.M.S.(Royal Mail ShipまたはSteamer)Titanic』。

建造

元々の計画の発端は20世紀初頭に造船業としての勢力を保っていたハーランド・アンド・ウルフの会長であるピリーが、ロンドンのメイフェアの夕食会でホワイト・スター・ラインのイズメイ社長に3隻の大型客船の造船計画を発案したのが発端である。

ホワイト・スター・ラインは当時白熱していた北大西洋航路における「ブルーリボン賞」と呼ばれるスピード競争にはあまり関心を示さず、ゆったりと快適な船旅を売り物としていた会社であった。したがって、タイタニックもスピードより設備の豪華さに重点を置いて設計されていた。また、安全対策にも力が入れられており、防水区画が設けられていた。船体は喫水線(水面)上までの高さがある防水隔壁で16の区画に区分され、そのうちの2区画(船首部では4区画)に浸水しても沈没しない構造になっており、隔壁は船橋(ブリッジ)からの遠隔操作で即時閉鎖できた。そのためタイタニックは「不沈船」として喧伝されていた。実際、船の構造は現在から見てもかなり安全なものであるともいわれている。しかし完全密閉された区画でなく、上部のメインデッキで区画全てが吹き抜けでつながっていたことにより多量の海水が他の傷ついていない区画を次々と侵し結果的に致命傷になった。

先述したがタイタニックには1年先立って竣工した姉船のオリンピックと自身の沈没により大幅に造船が遅れた妹船のブリタニックが存在した。これは北大西洋を航海する際1隻ではまかないきれない為、最低2隻を常に交代させる必要があった為である。3隻の船の先駆けとしてオリンピックの造船が開始され、ほぼ同時期に2番船タイタニックが、少し遅れて3番船のブリタニックの造船が開始された。ブリタニックはタイタニックの沈没により大幅に安全面が見直され再設計されるものの、第一次世界大戦勃発により病院船として徴用、商船として一度も使われないまま沈没した。一方オリンピックは輸送船として徴用されるものの無事戦火を潜り抜け客船として復帰、1935年まで現役を勤め引退する(詳しくはオリンピック (客船)ブリタニック (客船・2代)の章を参照)。

タイタニックはオリンピックとはほぼ同時期に造船が開始された事もあって、大階段やダイニングルームの装飾、食事のメニューや客室サービスなど、その外観のみならず全てにおいて瓜二つであった。映画「タイタニック」では、まるでタイタニックのみが最も巨大な船であるかのように演出されていたが当時はオリンピックがその代表であり、タイタニック、ブリタニックという2隻の姉妹船を含め「オリンピッククラス」と呼ばれていた。その為、タイタニックの写真としてオリンピックが使われる事が度々行われていた。つまりタイタニックは二番煎じであり、当時はオリンピックの陰に隠れた存在であった。

しかし、先立って運行されていた一番船オリンピックの問題面や改善点を受けてタイタニックの設計は多少変更され、外観もオリンピックとは多少異なってきた。例えばAデッキの一等専用プロムナードデッキ(遊歩道)の窓がオリンピックは全体が海に対しベランダ状に吹さらしとなっていたのに対し、タイタニックは船首前半部がガラスが取り付けられた窓に変更された。これは北大西洋の寒い強風から乗客を守るために変更された為である。結果タイタニックはオリンピック号よりもスマートな印象になり、外観上で2つの姉妹船を判断する決定的な要素となった。他にもオリンピックはBデッキの窓際全体にもプロムナードデッキが設けられていたが、タイタニックの設計図からはBデッキのプロムナードデッキが廃止され、代わりに窓際全体に1等船室を新たに設けるように変更された。その結果、1等の客室数がオリンピックよりも比べられない程増え、オリンピックには無い専用のプロムナードデッキがついたスイートルーム(映画「タイタニック」のヒロインの婚約者の部屋)が2部屋設計される事になった。

タイタニック(黒地)と他の乗り物との比較


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