白秋ながや文庫

日々の徒然。

格差社会について

2015年09月07日 | 日記

王様と乞食の物語を例にだすまでもなく、富裕層と低額所得層の悩みは人の欲の問題である。

勝ち組が躁状態であって負け組みが鬱状態かというとそうでもない。

窮鼠猫を噛む。ではないけれど社会的困窮者でも攻撃的に箍が外れて猟奇な行動に走る者もい

たりする鬱屈して歪んだエネルギーの解放である。やられた側はたまったもんじゃない。

たいして鬱々として自己喪失願望に走る者もいる。

ではピラミッドの頂点とは言わないものも20パーセントの富裕層はどうかというと、これも躁と

鬱の二通りいる。前者は躁状態のため自分勝手な振る舞いをし、思いやりがなくなる。

後者は鬱状態のため脅迫観念にとらわれ孤立する。

男女間、親兄弟間、職場を含め、まわりを見渡すといるよね。病んだ人たち。

基本は妬み、嫉妬、驕り、……いずれも区別ではなく、差別、逆差別のもとになり病んで行く。

ストーカー、暴走通り魔、孤独死、自殺……胸の痛む環境である。

思うに昔、テレビが一億総白痴化といわれた時代があった。

しかし、ウオークマンから始まった情報の多様化、または個別化がこのような事態を招いたよう

な気がしてならない。たとえばスマホを電話優先にしていてググっているときや音楽をきいて

いるとしよう。そんなとき電話をタイミング悪くかけようものなら躁状態の人間から一方的にまく

したてられ怒鳴られてガチャ切り。話したいことがあったのにソレは無いよと鬱に自分を攻め

る。たぶん相手も絶望感や不安感や不満を快楽や怒りで相殺しようと必死なのであろう。


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