韓国へ、
行ってきた!(って、またその手使うか?⇒自分)。
「高麗郡」とかつて呼ばれた地が、埼玉県日高市にある。奈良時代に高句麗より高麗王若光が渡来し、その菩提寺として創建されたのが聖天院である。↑の左右に建つ天下大将軍と地下女将軍は、朝鮮半島の国々の村落に見られる魔除けのための境界標、道祖神だという。
高麗郡について詳細情報を載せている日高市ホームページ↓。
堂々たる造りの山門は迫力がある。
↓は高麗王若光の墓。多層塔は若光の供養のために鎌倉時代に造立したといわれる。
庭園が見事に手入れされていてとても良い。韓国の国花ムクゲも咲いている。
ここからは拝観料(おとな一人300円)を払って見学・お参りする。受付の中門のところで、迫力満点の風神と雷神が出迎えてくれる。
↓は阿弥陀堂で、摩尼車(まにぐるま)がある。これを一回まわせば、お経を一巻読んだのと同じ功徳が得られるという!手前に回しながら、経文を唱えてください、とあった。「ギャーティギャーティハーラーギャーティハーラーソーギャーティボージーソワカ」(意味は分からない・・・)。右下の木造阿弥陀如来坐像は市指定の文化財となっている。
厳かな本堂。
真ん中に小さく写っているのは、市指定文化財の木造不動明王と木造観音・勢至菩薩立像。
高台にある本堂の前は見晴らしがよい。
ちょっとした低山に登った気分も味わえる。
この方が、高句麗王の若光。
在日韓民族慰霊塔は、終戦前に亡くなった在日韓民族無縁仏の慰霊・供養のために建立された。
檀君、広開土大王、王仁博士の石像。
こちらは、ソウルパゴタ公園の八角亭を縮小し、韓国建材で韓国人大工が施工した八角亭。むかしソウルで見たものとそっくりで、感激した。
聖天院を後にして、2キロ弱離れたところにある高麗神社へ向かう。ここでもまた、天下大将軍と地下女将軍に出迎えられる。
高麗神社も聖天院と同様、高句麗からの渡来人 高麗王若光を主祭神として祀る。
こちらは、神楽殿に飾られている高句麗の装束(再現したもの)。一番左:韓流古代装束、左から2番目と右から2番目:高句麗装束、一番右:飛鳥時代装束。どれも煌びやかだ。韓国時代劇で、きれいな女優さんがこんな感じの装束を身に付けていたなあ。
最後は、巾着田の近くを流れる高麗川へ。ここは、25年前、家族で遊びに来たところである。娘は8歳、息子は4歳であった。懐かしい。1999年の高麗川と今年のとを比べると、残念なことに水質と透明度の低下が分かる。人間が年をとって変わるように、川にも大きな変化があったのかな。
後日談:聖天院と高麗神社を参拝した翌日、仕事関係で良い知らせが舞い込んできた。前回、織姫神社で仕事面での縁結びをお願いしたときも良いことがあったし、なんだか運が向いてきたようで嬉しい!神様仏様ありがとうございます!そして、安曇野の穂高神社を始め、各地の神社仏閣巡りを企画してくれたQPさんにも感謝!
日高市高麗の大陸帰化人を祀る高麗神社は知ってますし、2,3回行ったことがあります。しかし聖天院というのもあるとはしりませんでした。神仏習合の影響を受けて?
こういう異国の文化がそのまま尾を引いて残っているというのは、単一文化日本では極めてユニークな感じがしますね。しかし、白鵬が博多の蒙古襲来慰霊碑を訪問したりして、「失われた時を求めて」的な、一部のひとには過去の歴史が今にも影響し残っているのでしょう。ニッポン人は忘れやすいですが。
高麗神社には、皇室が過去に参拝に訪れている記帳が公表されていたでしょう。あれなんかが、皇室のルーツに朝鮮半島人が関与していると囁かれる理由です。
以前、ある人が「歴史はhistory=his story」と言っていたのですが、
それを実感することが多いです。
高麗神社はよく知られているけれど、
聖天院は意外と知られていないみたいです。
建造物や文化財、そして高台からの眺めが素晴らしく、
多くの人に訪れてほしいところだとわたしは思いました。
機会があれば旅人さんも是非ご訪問ください!
コメントありがとうございました♪
遅ればせながら失礼致します〜
高麗王、若光様
心優しきお方だったようです〜
私は子どもの頃、参りました!
高麗神社
いつも冷静な静々とした優しい神社ですね⛩️
また、参拝したいと思います╰(*´︶`*)╯♡
いつもありがとうございます😊💕
ひいこ🥰💓
神社仏閣に詳しいひいこさん、やはりどちらも
ご存じで、参拝もされていたんですね!!
若光王は人々に慕われ愛されていたのだな、と
感じました。石像のお顔も柔和です。
コメントありがとうございました♪