『Sharon Farm Diary』 シャロン農園日記

イダウワーチタバーリ(ようこそ)!ファームの情報、ニュース、舞台裏等・・・独自の感覚的目線で綴ってまいります。。

ウチワサボテン

2020年05月20日 | 自生する植物

ウチワサボテン

クヮーダキイシの陸地側一帯は砂丘であった。
かつては墓地と海岸との間に今のような道路はなかった。
今は漁港の一部になっているが、艀(はしけ)の離発着する小さな港があり、
そこから延びる護岸がウフインジュがの河口まで続いていた。
そして、護岸から墓地に向かっては防風林のモクマオ林があった。
その護岸を利用してでできたのが、今のミコノス通りである。

ミコノス通りには墓地の 法面を利用した大きなレリーフがある。
通りに因んだギリシアの街並の浮彫である。
その端から製糖工場の敷地内に折れる道があるが、
ちょうどその角に一塊のウチワサボテンが生えていた。
今、それに沢山の黄色い花が付がいていた。
そして今、鮮やかな黄色の花が、過去と現実を繋いでくれた。

もう一つの遺跡

2020年05月20日 | 自然


       クヮーダキ石(子どもを抱く石)

このキノコのような岩にもちゃんと名前がある。

私たちは「くゎー(子供)ダキ(抱く)石」と呼んでいる。
その名前にはちゃんとした由来がある。

コースタルリゾートができる前は、
茶花海岸(イチョーキ長浜)の波打ち際に位置していた。

なぜ「クヮーダキ」かというと、
この岩の下にのあるもう一ついの小さな岩があり、
子を抱いた親と子を連想させるもだったらしい。

三機のうちの一機が不時着し、
翼で子どもの岩石の方が砕け、今では目にすることができない。

他の二機は何度もその上を旋回し、仲間の無事を確認していたという。

暫くの間、「警防団「」と称する当時の青年たちがそれを見張っていたということだ。
飛行機を見たことのない島の住人達が大勢あつまっていたようだ。

定かでないが、話をしてくれる方から逆算すると80年程も前のことだ。
「自分が何歳の時」と断言できる誰かいないものだろうか。

そして、
島のあちらこちら、
他ににもっとこのようなストーリーの詰まった遺跡があるかもしれない。
小さなさな与論島に「ストーリー」は、まだまだたくさんある。
興味が沸き立つところである。