かいぱん。

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「神の恩寵」と「世俗」。

2013-03-28 10:19:55 | インポート

ここ数年、障害者の作る新聞に関わる撮影を時々やっています。編集者たちも健常者のサポートもあるものの基本的には障害者たちです。障害者といってもタイプや程度は様々で、中にはちょっと話しただけではどこが障害なのかわからない人もいます。いわゆるグレーゾーンの人たちです。Yさん、男性、50代。いつも一緒に取材する彼もそんなふうに見える一人です。打ち合わせなどの会話も普通にします。困ってる仲間がいると「よーし、僕がやるよ!!!」的なボランタリーな精神をたびたび発揮します。損得勘定抜きで人に接しているように見えます。とても優しい心の持ち主です。あるとき健常者のスタッフに「Yさんのどこが障害なの?」と聞いてみました。そしたら「非常にグレーゾーンの人ですが、損得の勘定ができないんですよ。自分がこうしら得をするとか、これじゃあ損をするとかね。小さなお金の勘定はできても、大きなお金の勘定も苦手みたいです。」とのこと。そのままじゃん(笑)。

先日「ツリー・オブ・ライフ」という映画を見ました。その中の台詞で「人は神の恩寵に生きるか、世俗に生きるかを選ばなければならない。」というものがありました。ずいぶん極端だなとは思いましたが、神をどのようなかたちで信じるかは別として、だれでもその二つのバランスに悩みながら生きているのだろうと思います。

僕は輪廻転生を信じています。人はこの物理的次元に生を受けるときに、その人生の計画や状況を自分で決めて生まれてくると思っています。人生という絵を描くにあたって、48色の絵の具と沢山の筆を用意して生まれるか、白と黒の2色の絵の具だけで生まれるか。しかし、その人生という絵をどう描くかは、人生を過ごしながら決めていくように思います。

今の人類で、普通の認識力を道具(絵の具や筆)として備えて生まれると「世俗を生きずに、神の恩寵に生きる」ことはとても難しいように思います。お金がとても魅力的に見えるし、いいお家もいい車も魅力的ですからね(笑)。しかしもしあるスピリットが「今回の人生では[神の恩寵]の為に[普通の認識力]を持たずに生まれてみる。」と決心して生を受けたとしたら…そんな人生もアリかもと思いました。

そう考えるとYさんのスピリット、ひょっとしたらスゴいことにトライしてるなと…ふと思いました。

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