![_mg_3064_1 _mg_3064_1](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/8c/087d5bc2397a0954a54d1fdea01a360b.jpg)
写真は先日、友人の農家から届いた桃です。
すっごい美味しかったです!!
ありがとう。
タイトルは昨日から読み始めた本の題名です。
まだ読み始めなんですが、この本の中で「無条件の愛」についての記述がでてきました。「無条件の愛」(無償の愛)についてはあっちこっちの本に出てきますよね。すっごい気になっていたんですが、どうにも宇宙の進化について行けてないオレとしてはピンとこなくて。。でも「ぅ…ぅわぁ…」と思ってしまった一文があったので、引用します。
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無条件の愛をあたえるさいに最大の障害になっているのは、あたえた愛が報いられないのではないかという恐れである。わたしたちは、自分がもとめている愛がうけとれるもののなかにではなく、あたえるもののなかにあることに気づいていないのだ。
うけとる愛の多募を測定し、評価しているあいだは、愛されているという実感をもつことはできない。いつも釣り銭が少ないことに不満を感じてしまうだけだ。測定や評価は、しょせん愛の行為ではないからだ。愛されていないと感じるのは愛をうけとっていないからではなく、愛を節約し、惜しみなくあたえていないからなのだ。
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だって。
以前このブログの「たましい的なお話。」(2009/06/06参照)で書いた「げげっ!」と思ってしまった事とは、このことなんですよ。与えても別に損はしないのに、与えなかったことを自分だけでなく相手の立場でも追体験するってことに相当ビビったワケです(笑)。与えなかったばかりか「かつて人にしてしまったり言ってしまった、あんな事やこんな事、あぁ、やめときゃよかったそげな事まで…」あるわけですから、たまったモンじゃありません。
とにかく、つべこべ言ってないで愛を与えなさい、っていうこのカンジは、歴代の偉人、変人の多くが同じことを言ってますよね。変人にはなりかけていますが、偉人には到底なれませんです。。
僕が「無条件の愛」を考える時に、ピンとこないながらに、これは伝家の宝刀だろうと思っていたのが「親の子に対する愛」だったんです。でも、上の引用した文章の一つ前にそれについても書かれていて、バッサリです。
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わたしたちが無条件の愛をみいだす数少ない場面のひとつに、自分の赤ん坊からの愛がある。赤ん坊はわたしたちの生き方のことも、お金のことも、仕事の成果のことも、いっさい気にしない。純粋無垢に私たちを愛してくれる。そんな赤ん坊にたいしてわたしたちは、笑ってくれたとき、いい成績をとってくれたとき、こちらがおもうとおりの人間になってくれたときにほめてやることによって、無垢の愛に条件をつけることを教えてしまう。(中略)ほんの少しずつでも無条件にこどもを愛する時間をひきのばしていったら、わたしたちはちがう世界を創造することができるかもしれない。
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もう、ひゃー…ってカンジです。。
いきなり「無条件の愛」を人で試すのは恐いから、とりあえず桃ちゃんで試しますか。
「とっても、とっても美味しかったから愛しているよ!!」
条件付きだね…(笑)。
食べる前に祝福を与えなくっちゃな。
っつーことは、愛=祝福=感謝???
ん?? つながったか??
桃ちゃん、スゲーよ!!!
「ライフ・レッスン」by エリザベス・キューブラー・ロス
この人は有名な精神科医です。2004年に亡くなりました。「ライフ・レッスン」は確か遺作ですが、その一つ前の彼女の自伝「人生は廻る輪のように」が以前から何回か読み返している僕の愛読書です。超お勧めです。興味があれば是非。
深すぎますね。
例えば親が子に「せめて生きて」と思うことすら、見返りを期待していることになる訳だから、それは「愛」ではないんですね。
確かに、キリスト教や仏教などで、救いを求めるものに「道を示し」はするけど、その後のことは特に気にしていないような気がする。
悪い表現かもしれないけど、「無関心」というような。
それが、「愛」であったり「慈悲」であったりするのかな。
この抜粋から俺が言えることは、「愛」と「愛情」は別物。
自分たちが普段「愛」だと思っているものは、「愛情」である。
ということかな。
ただただ存在してくれることに感謝・・・。
神は愛、これは真理だと思うなぁ・・・。
お勧めの本、読んで見ますね。
情(じょう)、情けはそれはそれで大事かもですね。
kuriさん。
存在だけで感謝無限大っすよね!!
と言うより、俺には「愛」と「情」を切り離すことは無理ですね。
悟りを啓いたわけでもないんで。
でも「馬鹿になれ」、という老子の教えもわかる気がします。(極論ですけど)