海を渡るシブタ

5年10ヶ月に渡るシブタの足あと~アジア・アフリカ版~

〈3〉チャーDiDi ~男尊女卑社会で強く生きる女性

2006-12-17 12:59:10 | 海を渡るシブタ活字版オリジナル
 チャーDiDi(ディディ)はチャイ屋の姐ちゃん(didiはベンガル語。舞台のオリッサ州の言葉ではNaniだが、私はベンガル語で通していた)という意味だ。私がチャーDiDiと呼ぶ、その彼女には本名も町での呼び名も別にある。なのに何故、私が彼女のことをチャーDiDiと呼ぶかというと、ほかにチャーDiDiがいないからだ。

 インドでも貧しい部類に入るオリッサ州。

 貧しいということは、昔ながらの風習が今も生きているということで、プジャー(お祈り)の仕方については勿論、日常生活の行い(歯磨きとか食事とか全ての行い)の細部にいたるまで、細かい決まりがびっちりある。それに従わない者は、「ぱごろ」「ぱごり」(共に馬鹿の意)「ばっとまーす(悪者)」呼ばわりされ、村八分にされてしまう。

 女が一人で外出するなど考えられないことである。ちょっとそこまでの買い出しでさえ、弟でも小供でも連れて出る始末である。バザール(市場)では、野菜を買うのも奥さんのサリーを買うのも、専ら男の役目だ。

 女が外で働くなどもってのほか。女房に働かせるなど、その家はよほどの貧乏(低カースト)か、さもなくば旦那が甲斐性なしである。どうしても奥さんが店番をしなければ成らない時もあるが、大抵は旦那の補佐だ。

 そのオリッサ州の小さな町で、チャーDiDiはひとりでチャイ屋を開業して生計を立てている。いや、ひとりではない。チャーDiDiの娘(姪と称する場合もあり、真相は今もって不明)の「シャンティ(ベンガル語で平和、静か、の意)」も子供ながら店をきりもりしている。

 「女性の営業する店」だけあって、ナメてかかる客も多いようだ。代金を払わない、こっそり盗む、卑猥な言葉を投げかける、よからぬ事を企む・・・。そういう輩には、強行に対応する以外にない。ツケは認めない、時には高くふっかける、相手を見て釣り銭をごまかす、店の迷惑になる客には強気で抗議する・・・。
 
 チャイ屋というものはどこも常連客というのがついていて(あまり酒を飲まない印度人は、御猪口の様な小さなグラスに入れるチャイを一日十杯ぐらい飲むのが普通)、大概は常連客同士がグループになり、たまり場のようになっている。チャーDiDiの店の常連グループ(私もその一員)には、幸いチャーDiDiに楯突く客はおらず、店は平和が保たれていた。何か問題点があるとすれば、そう、それはチャーDiDiその人なのだ。
 
 女手ひとつで店をとりしきるだけに、チャーDiDiには噂が多い(当然、正体不明の私についても噂は多いのだが、ここでは省く)。曰く、昔は娼婦だっただの、ビスケットを仕入れている男はチャーDiDiの従兄弟ではなく恋人であっただの、常連客の一人はチャイ代をおまけしてもらう為に、チャーDiDiに言い寄っているだの、気にくわないことがあるとシャンティに折檻するだの(この話だけは本当)・・・噂だけでなく、謎も多いのである。
 
 実際、私も通い始めの頃は、チャーDiDiの口から出る卑猥な冗談に参った。でも毎日顔を合わせていくうちに、彼女の素朴な優しさ、明るさが大好きになり、家へもよく遊びに行った。
 
 彼女は、がめつい割には数字を知らない。
 
 途方もなく大きな金額を突然言い出す反面、月々の支払い計算には疎い。
 
 ボランティアで按摩をしてまわっている私に、チャーDiDiは彼女なりのアドバイス―――誰それは悪い奴だから按摩はするな、誰それは金持ちだから沢山ふんだくれ、等々――をしてくれる。
 
 こんな事もあった。昼食におよばれして、チャーDiDiの家に行った日、おかずはシャンティが作った、ゆで卵のカレーだった。チャーDiDiはゆで卵を一つ掴むとそのままべちゃっと手で握り潰し、ふたつにして片方を私の皿に、もう片方を自分の皿にのせた。うわっ・・・。流石に私も面食らった。が、これが印度の、田舎の、食事スタイルなのだ。よその家にお呼ばれしたときはこんなことはなかったが、ともかくもそう自分に言い聞かせてその卵を(もちろん印度式に手で)食べた。食べ終わると、なんとチャーDiDiは〝もうひとつ〟ゆで卵を鍋から取りだし、再びべちゃっと潰してふたつの皿に分けたのであ。
 
 ――二つあるなら最初からひとつずつくれよっ!
 
 流石にその時は叫びが喉まで出かかってしまった。が、しかしご馳走される立場上、どうにかその叫びを心の中に押しとどめたのであった。
 
 食事が終わり、自分の宿に帰り、夕方になってほかの印度人の友人に訊いてみた。あの「ゆで卵潰し」は、「普通」の印度の食事スタイルなのか。答えは否。その友人も目を点にして、首を傾げていた。

 思うに、あれはチャーDiDiの、彼女なりの愛情表現だったのだろう。
 チャーDiDiは、やはり並の印度人ではなかったのだ。

 その町を再び訪れたのは、一年九ヶ月後、アフリカ横断をした帰りだった。町は少し大きくなり、新しい建物も増えていた。町の子供たちも大きくなり、チャーDiDiのところのシャンティも今や思春期真っ盛り、大分、大人びていた。
 
 結婚した友人もいた。
 亡くなった人もいた。
 
 チャーDiDiは結婚していた。
 
 サリー姿の雰囲気は少し変わり、身につけているアクセサリーも既婚女性のものになっていた。
 
 成長したシャンティに全面的に店を任せている為(それでもよく怒られているが)、チャーDiDiは以前より少しふっくらとしていた。印度女性にとっては、太るイコール裕福であるというプラスイメージがある為、チャーDiDiは美人になったといってよい。
 
 チャーDiDiが結婚した相手は、町中に好印象をもたれている、ベンガリダーダ(ウエスト・ベンガル州出身のおじさんの意)だ。ベンガリダーダの妻子はカルカッタに住んでいるのでは・・・?ダーダは一人でこのオリッサ州の隣町で仕事をしているんだよ・・・お金もたくさん持ってるポイシャわら(金持ちの意)だからさ・・・チャーDiDiにお金をあげて、週末だけチャーDiDiのところに泊まりに来るんだよ・・・相変わらず、町の人の間では噂話が絶えない。

 チャーDiDiが幸せなのかはわからない。
 でも一年九ヶ月前よりは幾分幸せになっている様に思う。

 今、チャーDiDiが持っている夢といえば、シャンティをお金持ちの外人に嫁入りをさせることだ。

 印度では嫁の側が多額の結婚持参金(ダウリーと言う)を払わなければならない
とか、身分違いの結婚は夢のまた夢であるとか、ましてや田舎のチャイ屋の娘にすぎないシャンティ(シャンティは英語どころか、ヒンディー語もベンガル語もまずしゃべろうとしない)と外人をあわせようという破廉恥な考えが、どれほど非現実的なものであるかとか、チャーDiDiは一向に意に介さない。

 彼女も周りの印度人同様今を生きるのに必死で、夢は神様が与えてくれるものであり、夜寝てるときに見るものなのだ。

 今日もかの地で日が暮れる。
 そしてまた明日が始まる。

 かの地で生きる人々にとって、全ては「たくるいちゃ(オリーヤ語で神の意思)」である。

 私がいつかかの地に戻るのも、その時、何が私を待ち受けているのかも、全て〈たくるいちゃ〉である。
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