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ジェシル、ボディガードになる 91

2021年04月17日 | ジェシル、ボディガードになる(全175話完結)
 会場は八面に仕切られ、それぞれに審判が付く。試合は八面で同時に行われる。出場が後の者たちは、自分の出番までは会場外の三階の通路で調整を行うか、八階の自室に戻って休憩するか、あるいは試合を観戦するかなど、自由な行動が許された。殆んどの者は通路で調整を行っている。
 ジェシルもノラを伴って通路に出た。広い通路のあちこちで、殺気立った出場者たちが黙々と調整を行なっている。ノラはそんな様子を見て妙に興奮している。
「ジェシルさん! みんな凄いですね! わたしまで緊張しちゃいます!」
「そう?」ジェシルはノラとは逆にうんざりした表情だ。「わたしには、面倒くさい雰囲気にしか見えないわ」
「そんな事を言わないで、しっかり調整しましょうよ!」ノラは言って一角を指差す。「ほら、ケレスさんも相当真剣ですよ」
 ジェシルが見ると、ケレスは太い筋肉質の手脚を素早く動かし、突きや蹴りを繰り出している。距離があるのに風を切る音がすぐ耳元まで聞こえる。その圧倒的な迫力に、ノラの喉がごくりと鳴った。
「ジェシルさん…… 大丈夫でしょうか……」ノラは不安そうな顔をジェシルに向ける。「ケレスさん、さっきまでと全然違う……」
「そうねぇ……」ジェシルは平然としている。「まあ、闘ってみなくちゃ、分からないわね」
「そうですよね!」ノラは明るい声を出す。しかし、表情には不安が張り付いたままだ。「昨日、あのベガを倒したジェシルさんですものね! ケレスさんも大丈夫ですよね!」
「まあ、頑張ってみるわ」ジェシルは言うと、大きく伸びをした。「まだ寝足りないみたいだわ。部屋に戻って休ませてもらうわ」
「え? そんなぁ……」ノラがあわてる。「たしかに、試合は無制限一本勝負だから、時間はかかると思いますけど、それでもいつ順番が回って来るのか分からないじゃないですか? だから、みんなのように、調整をした方が良いと思います」
「後でやるわ。今はとっても眠いのよ……」ジェシルはあくびをする。「……じゃあ、良いタイミングを見計らって呼びに来てね」
「そんな、ダメですよう!」
 エレベーターに行きかけるジェシルの腕をノラがつかんだ。
「ねぇ、マネージャー」
 ノラに背後から声がかけられた。ノラが振り返ると、ミルカがにやにやしながら立っていた。手には相変わらずカメラとコンピューターを持っている。
「お願いがあるのよね」ミルカは言いながら、手にしている機材をノラに差し出す。「わたしもそろそろ調整をしたいのよね。でも、そうすると、配信が出来ないじゃない? だから、わたしの調整と出番が終わるまでの間の撮影を頼みたいのよ」
「……わたしが、ですかぁ?」ノラは驚いた顔を見るかに向ける。「……わたし、こんな事はしたことがないし、部屋に戻るってるジェシルさんを説得しなきゃならないし……」
「ジェシルの出番は、わたしのずっと後だよ。わたしが終わってから部屋に向かえば良いよ」
「でも、ジェシルさんだって調整をしないと…… 相手のケレスさんも調整中ですし……」
「ケレスは調整というか、トレーニングが好きなだけよ。お酒飲みながらでもやっているんだから」
「でも、ジェシルさん、部屋に戻って寝るって言っているんです……」
「人それぞれだよ」ミルカは言うとにやりと笑う。「それにね、ジェシルはマネージャーのあなたを信じているから、安心して部屋に戻れるのさ」
「……そうなんですか?」ノラはジェシルに振り返る。ジェシルは大きくうなずく。ノラはジェシルの腕を放す。「……分かりました」
 ノラは言うと、ミルカから機材を受け取った。ノラが持つと、とても大きく見える。それに重たいようで、ノラは顔を真っ赤にし、額に汗を浮かべる。それでも、何とか踏ん張る。
「それで、どうすれば良いんですか?」
「別に何も決めちゃいないわよ」ミルカは真剣な表情のノラに笑う。「適当にあちこち映してもらえば良いのよ。でも、やっぱり試合は映した方が良いと思うわ。ジェシル程じゃないけど、そこそこ美人な娘も出ているから、そんなのを時々交えれば、男たちは大喜びよ」
「はい……」ノラは自身無さそうに答える。「……とにかく、やってみます」
「ノラ、しっかりね」ジェシルが励ます。「ノラなら出来るわ。視聴者数が激増は間違いないわよ」
「それじゃ、使い方を教えるわね……」
 ミルカがノラと話し始めた。
 ジェシルは二人に背を向けて、エレベーターへと向かう。エレベーターの前には調整をしている者はいなかった。ただ、通路の管理をしているらしい警備員が一人、手持無沙汰に立っていただけだった。その不慣れな様子から、臨時の雇われだと知れた。ジェシルは通路を振り返る。ノラは居なかった。会場に行って撮影をしているようだ。ミルカが真剣な顔で腕立て伏せをしている姿が見えた。満足そうにうなずく。
 それから、ジェシルは警備員に笑顔を向けた。一瞬身構えた警備員だったが、ジェシルの笑顔に緊張が解けたようで、笑み返してきた。笑顔のままジェシルは警備員に近づく。と、素早く手刀を警備員の首に打ち付けた。警備員は声を発することなく崩れた。ジェシルはそのからだを支え、通路脇へと移動する。警備員のポケットを探る。鍵を取り出すと、外階段に出るドアの鍵穴に差し込む。
「これからがわたしの出番よ。本当のね……」
 ジェシルはつぶやくとドアを開けた。


つづく

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