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荒木田みつ殺法帳 Ⅱ その二

2022年10月10日 | 荒木田みつ殺法帳 Ⅱ
 ぼたり、と、編笠越しに何かが当たる音がした。みつは足を止めた。
 ぼたり、ぼたり。音が続いた。
「……雨……」
 みつはつぶやく。その声に呼応するように、雨粒の音は間隔を狭め、強くなる。やがて本降りとなった。
 みつは街道沿いの林に入り、木の下で雨宿りをする。
「さて、これからどうしたものか……」
 みつは剣術以外の事には全くの無関心だった。この中山道がどこに通じているのかさえ関心が無かった。それ故に、坂田の家までの道筋を父三衛門に一筆認めてもらい、それを頼りに進んでいたのだ。途中で泊まる宿場も記されていた。「帰りはこの逆を辿れば良い」と三衛門は言った。みつはその通りにしようとしていたが、生憎の雨になってしまった。
 雨脚は強くなってきた。止みそうな気配はない。
「この調子では、今夜決めている宿場まで辿りつけそうもないな……」みつはつぶやく。「致し方が無い、次に通りかかった宿場に一泊しようか……」
 みつは木立ちの下に佇み、これも精神鍛錬の修行と割り切り、街道に出来て行く水溜まりを見ていた。しばらく衰えなかった雨脚が弱まって来た。これならば歩けそうだ。みつは街道に出ると、再び大股で歩き出した。
 歩いているうちに雨は上がり、傾き始めた陽が照って来た。雨の蒸発するむっとしたにおいが、土のにおいを混ぜながら立ち上る。
「やはり、次の宿場で一泊だな……」
 みつはため息交じりにつぶやく。早く戻って剣の修行にはげみたかったのに……
 しばらくすると、小さい宿場に出た。
 人気のない宿場町だった。多くの旅人はここを素通りするのだろう。みつは左右を見回しながら歩いた。不意に腹の虫が鳴いた。薄汚れた縄のれんの下がった一膳飯屋の破れかけた障子戸に「そば」の文字を見たからだった。
 江戸では、出稽古の帰りに寄る飯屋は決まっていた。食べるものも蕎麦と決めていた。みつは剣術以外には関心を持たなかったので、流行りの他の店に行こうとか、流行りの他の物を食べようとか言う心が無かった。
「蕎麦か…… そう言えば、坂田の家を出る前から何も食べていなかったな」
 みつはためらうことなく、その店へと歩を進めた。
 店の中は薄暗かった。古ぼけた床几が土間に、出入り口から見て縦三列に並び、店の奥には横並びに一列並んでいた。奥と、左右の床几には、柄の悪そうな男たちが幾人かずつ座り、蕎麦の丼ではなく徳利を幾本も並べていた。男たちは一斉に、入ってきたみつを見た。こんな所にお武家が来たと言った、好奇心の眼差しだった。
 みつは平然と、大小を腰から抜いて、空いている真ん中の床几に腰かけ、大小の刀は床几に立てかけた。それからおもむろに深編笠を外した。
「おおおっ!」
 男たちから声が上がった。むさ苦しい武士を想像していたのに、見目麗しい女性だったからだ。奥の床几に座っていた男の一人が徳利と猪口を持って立ち上がった。
「おう、ねえちゃんよお……」男は言うと、みつの隣にどさりと座った。吐く息が酒臭い。相当酔っているようだ。「一杯付き合いな。いや、一杯じゃなくて、一晩って感じかな?」
「ははは、文吉! 色男!」
 文吉のいた奥の床几の男たちが囃し立てる。左右の床几の男たちは苦々しげな顔をしている。
「もりそばをくれぬか?」
 みつは文吉を無視し、調理場へと声を張る。調理場から、いかにも田舎娘と言った感じの頬を赤くした化粧っ毛の無い小娘が顔を出した。
「へい、ありがとう存じます」
 娘は言うと頭を下げた。
「おい、おてるには声をかけて、オレには知らん顔かよ? え?」文吉は立ち上がると、みつを睨む。「オレを梅之助一家の文吉様と知っての事かよう!」
「……」みつは面倒くさそうに文吉を見た。「梅之助も文吉も知らぬ」
 みつのにべもない言葉に、左右の床几に座っていた男たちがどっと笑い出した。
「わははは! 文吉、ざまぁねぇな!」
「な~にが、梅之助一家だ! 新参者の弱小一家のくせにでけぇ面しやがるから、かかなくてもいい恥をかきやがるんだ!」
 奥の床几の男たちが怒り剥き出しの表情で立ち上がった。
「松吉、竹蔵のボンクラを親分と呼んでるおめぇらに言われたかぁねぇぜ!」
「何だとぉ!」
 左右の床几の男たちも立ち上がった。
 ……田舎者同士の勢力争いだな。有りがちな事だ。所詮はこんな田舎でしか通じないのだ、憐れなものだ。みつは思ったが、それ以上には男たちに関心がなく、調理場を見ながら蕎麦の来るのを待っていた。
「元はと言やあ、この女が悪い!」文吉はみつに手にした徳利で刺し示す。「侍の格好をしやがってよう! ふざけるのも好い加減にしやがれってんだ!」
「そうだ、そうだ!」奥の男たちが言う。「文吉兄ぃに恥かかしやがった、あの女が悪い!」
 みつはため息をつくと、立てかけていた太刀をつかんだ。
「なんでぇ、やるのか?」文吉が半笑いを浮かべる。「男の形をして、いきがっているだけだろう?」
 文吉は言いながら、ふざけたように手に持つ徳利を左右に振って見せた。
 一瞬、銀色の光りが走った。その後に、ちんと言う涼やかな音が続く。
 文吉以下、男たちは何が起こったにか分からず、動きを止めた。すると、文吉の手にした徳利の下半分が土間に落ちた。
 みつの電光の早業が文吉の持つ徳利を斬り落としたのだ。余りの滑らかな斬り口故、しばらくは落ちずにつながっていたのだ。
「さっさと失せろ……」みつは文吉を見つめる。「さもなくば、徳利の次はお前だぞ」
 みつは言うと、太刀の鯉口を切った。文吉は青い顔をして店を飛び出した。奥の男たちがそれに続く。
 みつは無言で、左右の男たちを見た。その男たちも店を出て行った。


つづく

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