・・・どうして? どうしてなの?
妖魔が汚したTシャツが腐臭を漂わせている。爪が喰い込んだ胸は痛い。吐くだけ吐いた口の中はごわごわとしている。確かに妖魔は葉子を襲ったのだ。しかし、死の恐怖、妖魔の恐怖よりも淫楽の火照りが体に残っている。
葉子は後から後から溢れて来る涙を抑える事が出来なかった。
・・・わたしの心の隙はこれなのかしら。幸久を、徹也を、今でも求めているのかしら。過ぎ去った過去をもう一度取り戻したいのかしら・・・
一人でいる寂しさは、どう誤魔化しても一人では埋められない。覚えた女の悦びは体の奥底で息を潜め、解き放たれるのを待っている。それらを直視した葉子は、自分が情けなく、許せなかった。
「何涙を流していやがるんだ! つまらない感傷に浸っているんじゃない!」
妖介は舌打ちをして言った。それから振り返り、葉子が深手を負わせた妖魔に近付き、その胸に『斬鬼丸』の青白い刀身を突き立てた。大きく開けた口からは、声にならない絶叫と赤黒い血が顎を伝って流れ出した。妖介はもがき苦しむ妖魔に冷笑を浴びせながら、『斬鬼丸』をさらに刺し込んだ。
「臭えんだよ、お前らは」妖介は妖魔の顔に己れの顔を近付けて言った。「とっとと失せろ!」
言い終わると、『斬鬼丸』をゆっくりと横に動かした。『斬鬼丸』を横に払い切ると、妖魔の胸がぱっくりと裂けた。妖魔は霧散した。
部屋の中は特に荒れてはいなかった。いつものように葉子の部屋だった。『斬鬼丸』はただの木の棒に戻って妖介の手の中にあった。陽光が何も無かったように部屋に射し込んでいる。
「いいか、覚えておけ」妖介は開かれている葉子の足の間に片膝を付き、腹立たしげな表情を近付けた。「これがお前の弱点だ。お前が淫乱を克服しない限り、妖魔はお前の淫乱を衝いて来る」
妖介は執拗に淫乱と言う言葉を繰り返した。葉子は聞きたくないと言う様に両手で耳を塞ぎ、目を閉じた。
「耳を塞いでも無駄だ」妖介の声が葉子の頭の中に響いて来た。目を開けると口をきつく結び怒りの表情を崩していない妖介がいた。声が響いた。「ヤツらを実体として感じ取っていながら、恐怖のあまり何も出来ずに泣き叫び、逃げ惑う。それに淫乱と言うおまけまで付いている。お前の恐怖と淫楽を少し刺激しただけで、その刺激が何倍にもなって戻って来る。妖魔から見れば、今のお前は格好の玩具なんだよ!」
葉子は無言の妖介を見つめている。
「ヤツらの行動の原点は、快か不快かだけだ。今が快であればそれで満足する。そのためには手段を選ばない。そのせいで次の瞬間に自分達がどうなろうと、全く気にかけてもいない。それに、ヤツらは霧散するその瞬間さえ快と感じている。どうしようもないクソどもだ! そのクソどもに、お前は堪えられない快感を与えた。その余波は常にお前に纏わり、それを感じ取った妖魔がまた快を求めて現われる・・・」
妖介は立ち上がった。冷たい目で葉子を見下ろす。
「いつまでそんな臭い服を着ているつもりだ!」妖介は声を発した。「立て」
妖介の命令口調に逆らう気力も起こらず、葉子はふらふらと立ち上がった。
妖介は腕を伸ばし、汚れて血まみれのTシャツの喉元を掴んだ。そして、一気に引き裂いた。
「あっ!」
葉子は前のめりになった。倒れまいと反射的に妖介にしがみ付いた。しかし「淫乱女、馬鹿女」と罵る妖介が心に浮かび、あわてて離れた。
引き裂かれたTシャツは葉子の足元にするりと脱げ落ちた。裸身に近い黒の下着姿が晒された。
「徹也との馬鹿な思い出はこれで終わりだな」妖介は皮肉な笑みを浮かべ、葉子をじろじろと見た。「だが、幸久はまだ終わらないか」
葉子はとっさに胸を手で隠す仕草をした。・・・痛っ! 手が妖間の作った傷に触れた。手の平を見る。乾ききらない赤い血が指を染めている。
「手をどけろ!」
妖介がきつい口調で言った。葉子はゆるゆると手を下ろす。妖介の腕が、また葉子に向けて伸ばされた。葉子は目を固く閉じ、顔をそむけた。
「馬鹿! 淫乱!」妖介の声がした。「お前の体になど触れる気はない」
不意に葉子の胸元に安らぎを与えてくれる温もりが広がった。ベッドの上で悪夢を見ていた時に感じたものと同じだった。イヤな事、辛い事が、すーっと抜けて行くようだ。
「お前、いつまでそんな格好をしているつもりだ?」
妖介の声で目を開ける。胸元を触ってみる。手の平を見る。血は付いていなかった。
「オレは妖魔の作った傷なら治す事が出来る」
「そうなの・・・ ありがとう・・・」
葉子は妖介を見た。何故かまた涙が溢れ始めた。しかし、今までの屈辱的なものとは違う。・・・この人、本当は優しいのかしら?
「下らない事を考えていないで、シャワーでも浴びて来い。傷は治っても妖魔の臭いが抜けきっていない」妖介は葉子から目を逸らして言った。「それが済んだら着替えろ。出かける」
「分かったわ」葉子は涙を手の甲で拭い、落ち着いた声で言った。あんな事があったばかりなのに、自分でも不思議だった。・・・信頼感でもできたのかしら? 「じゃあ、さっきのを食べて待っていて」
妖介は不機嫌な顔でテーブルを顎で示した。
葉子の作ったベーコンエッグは、葉子の吐瀉物で汚れていた。
つづく
妖魔が汚したTシャツが腐臭を漂わせている。爪が喰い込んだ胸は痛い。吐くだけ吐いた口の中はごわごわとしている。確かに妖魔は葉子を襲ったのだ。しかし、死の恐怖、妖魔の恐怖よりも淫楽の火照りが体に残っている。
葉子は後から後から溢れて来る涙を抑える事が出来なかった。
・・・わたしの心の隙はこれなのかしら。幸久を、徹也を、今でも求めているのかしら。過ぎ去った過去をもう一度取り戻したいのかしら・・・
一人でいる寂しさは、どう誤魔化しても一人では埋められない。覚えた女の悦びは体の奥底で息を潜め、解き放たれるのを待っている。それらを直視した葉子は、自分が情けなく、許せなかった。
「何涙を流していやがるんだ! つまらない感傷に浸っているんじゃない!」
妖介は舌打ちをして言った。それから振り返り、葉子が深手を負わせた妖魔に近付き、その胸に『斬鬼丸』の青白い刀身を突き立てた。大きく開けた口からは、声にならない絶叫と赤黒い血が顎を伝って流れ出した。妖介はもがき苦しむ妖魔に冷笑を浴びせながら、『斬鬼丸』をさらに刺し込んだ。
「臭えんだよ、お前らは」妖介は妖魔の顔に己れの顔を近付けて言った。「とっとと失せろ!」
言い終わると、『斬鬼丸』をゆっくりと横に動かした。『斬鬼丸』を横に払い切ると、妖魔の胸がぱっくりと裂けた。妖魔は霧散した。
部屋の中は特に荒れてはいなかった。いつものように葉子の部屋だった。『斬鬼丸』はただの木の棒に戻って妖介の手の中にあった。陽光が何も無かったように部屋に射し込んでいる。
「いいか、覚えておけ」妖介は開かれている葉子の足の間に片膝を付き、腹立たしげな表情を近付けた。「これがお前の弱点だ。お前が淫乱を克服しない限り、妖魔はお前の淫乱を衝いて来る」
妖介は執拗に淫乱と言う言葉を繰り返した。葉子は聞きたくないと言う様に両手で耳を塞ぎ、目を閉じた。
「耳を塞いでも無駄だ」妖介の声が葉子の頭の中に響いて来た。目を開けると口をきつく結び怒りの表情を崩していない妖介がいた。声が響いた。「ヤツらを実体として感じ取っていながら、恐怖のあまり何も出来ずに泣き叫び、逃げ惑う。それに淫乱と言うおまけまで付いている。お前の恐怖と淫楽を少し刺激しただけで、その刺激が何倍にもなって戻って来る。妖魔から見れば、今のお前は格好の玩具なんだよ!」
葉子は無言の妖介を見つめている。
「ヤツらの行動の原点は、快か不快かだけだ。今が快であればそれで満足する。そのためには手段を選ばない。そのせいで次の瞬間に自分達がどうなろうと、全く気にかけてもいない。それに、ヤツらは霧散するその瞬間さえ快と感じている。どうしようもないクソどもだ! そのクソどもに、お前は堪えられない快感を与えた。その余波は常にお前に纏わり、それを感じ取った妖魔がまた快を求めて現われる・・・」
妖介は立ち上がった。冷たい目で葉子を見下ろす。
「いつまでそんな臭い服を着ているつもりだ!」妖介は声を発した。「立て」
妖介の命令口調に逆らう気力も起こらず、葉子はふらふらと立ち上がった。
妖介は腕を伸ばし、汚れて血まみれのTシャツの喉元を掴んだ。そして、一気に引き裂いた。
「あっ!」
葉子は前のめりになった。倒れまいと反射的に妖介にしがみ付いた。しかし「淫乱女、馬鹿女」と罵る妖介が心に浮かび、あわてて離れた。
引き裂かれたTシャツは葉子の足元にするりと脱げ落ちた。裸身に近い黒の下着姿が晒された。
「徹也との馬鹿な思い出はこれで終わりだな」妖介は皮肉な笑みを浮かべ、葉子をじろじろと見た。「だが、幸久はまだ終わらないか」
葉子はとっさに胸を手で隠す仕草をした。・・・痛っ! 手が妖間の作った傷に触れた。手の平を見る。乾ききらない赤い血が指を染めている。
「手をどけろ!」
妖介がきつい口調で言った。葉子はゆるゆると手を下ろす。妖介の腕が、また葉子に向けて伸ばされた。葉子は目を固く閉じ、顔をそむけた。
「馬鹿! 淫乱!」妖介の声がした。「お前の体になど触れる気はない」
不意に葉子の胸元に安らぎを与えてくれる温もりが広がった。ベッドの上で悪夢を見ていた時に感じたものと同じだった。イヤな事、辛い事が、すーっと抜けて行くようだ。
「お前、いつまでそんな格好をしているつもりだ?」
妖介の声で目を開ける。胸元を触ってみる。手の平を見る。血は付いていなかった。
「オレは妖魔の作った傷なら治す事が出来る」
「そうなの・・・ ありがとう・・・」
葉子は妖介を見た。何故かまた涙が溢れ始めた。しかし、今までの屈辱的なものとは違う。・・・この人、本当は優しいのかしら?
「下らない事を考えていないで、シャワーでも浴びて来い。傷は治っても妖魔の臭いが抜けきっていない」妖介は葉子から目を逸らして言った。「それが済んだら着替えろ。出かける」
「分かったわ」葉子は涙を手の甲で拭い、落ち着いた声で言った。あんな事があったばかりなのに、自分でも不思議だった。・・・信頼感でもできたのかしら? 「じゃあ、さっきのを食べて待っていて」
妖介は不機嫌な顔でテーブルを顎で示した。
葉子の作ったベーコンエッグは、葉子の吐瀉物で汚れていた。
つづく
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