最後に、運動施設と「スポーツ文化」について考えてみることにします。
自治体が運営する運動施設、たとえば東京体育館や市民プールは、公共性のある施設として維持費の一部に税金が投入されています。これは前述のとおりです。では、税金が投入されることは当然なのでしょうか。私は違うと思います。本来は運動施設でも採算がとれる施設であるべきです。民間が運営している施設なら、様々なイベント等を行うことによって赤字にならないようにするでしょう。自治体が運営する運動施設で、税金の投入が許される条件、言い換えると公共的施設になり得る条件はただ1つ、その地域に「スポーツ文化」が熟成していて、競技会場がそのための施設かどうかだと思います。
では、「スポーツ文化」とは何でしょうか。「文化」と言っても、下町文化や江戸文化など地域や歴史のまとまりを指すものや、食文化と言った人の活動を指すものなど様々で、一言で定義するのは難しい概念です。しかしながら、あえて定義すると、「人間が有史以来獲得してきた能力や慣習、さらにそれから発達した芸能、宗教、政治、経済・・・・そしてスポーツなどなど」でしょうか。
人間は、進化してきた過程で自然環境に適応する身体的特徴を失ってきました。たとえば、寒冷地に生息する動物は毛皮や厚い皮下脂肪があるなど身体的特徴がありますし、肉食動物は鋭い牙を持っています。逆に人間は、身体的特徴を切り落としてきており、その代わりに道具を用いたり服装や住居を工夫したりしてきました。これらが能力や慣習となり、結果として文化を生み出してきたと思われます。スポーツについても同じです。
人は生きていく上で「心と体のバランス」が重要となります。つまり、健全な心を維持するためには健全な体が必要になります。また、健全な体は健全な心が支えます。人は生きていく手段として体を酷使しなくなった後でも健全な体を維持するために体を動かす慣習を保持し、それが各種のスポーツとして発達してきました。そして、これらスポーツが地域の人々に慣習として根付いている状況こそが、「スポーツ文化」の熟成ということができるのではないでしょうか。
運動施設に税金の投入が許されるには、「スポーツ文化」の熟成、つまりスポーツが地域の人々に慣習として根付いており、さらに施設が、1)地域の人々に対して、生涯を通じてスポーツに参加(する、見る、支える)する機会を提供し(これは、たとえ参加していなくてもスポーツを身近に感じることを含む)、2)年齢を重ねてもその世代に応じて活動を継続できる環境を提供し、3)さらには、生涯を通じてスポーツが必要不可欠なものとして生活の一部を占める環境を提供できる機能を備えていることが必要です。
最初に戻ります。3競技会場が「負の遺産」にならないためには、東京において「スポーツ文化」が熟成しており、さらに自治体が有効性、効率性の高い施設として維持できるかです。まずは、その判断のための情報、たとえば初期投資額(建築費)及び毎年度どの程度の維持費がかかるかについて、東京都は都民に公表すすることも必要だと思います。