岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

07 業務命令「世界で一番怖いホラー映画」を作れ

2023年02月28日 23時56分29秒 | 業務命令「世界で一番怖いホラー映画」を作れ

 漫画喫茶での一万、そしてマッサージでの三千円。もうすでにこんな無駄遣いをしてしまった。そしてこの今乗っているタクシー代も……。

 それよりも目立たないよう心掛けていたのに、ここへ来てその鬱憤が一気に爆発してしまった。誰かに現場を見られた訳ではないのが幸いだ。しかし、こういった突発的な感情の出し方にはもう少し用心しないといけない。これも日頃のストレスが蓄積してきている証拠なのかもな。

「出せと言うから出しましたが、どちら方面まで行けばいいんですか?」

 タクシーの運転手が声を掛けてくる。

「次の駅まで行ってくれ」

「次の駅って…、所沢からどちらへです? 東村山ですか? それとも航空公園ですか?」

 東村山って確か都内だよな…。あまり人がいないほうが理想である。

「航空何とかってほうへ頼む」

「かしこまりました」

 下から精子の淡い匂いがした。射精してそのままパンツを履いたままだっけ。一度ホテルを取ってゆっくり洗ったほうがいいな。

「あ、運転手さん」

「はい、何でしょう?」

「その近くにあるビジネスホテルへ行ってもらえるかな」

「駅の近くですね、了解しました」

 運転席の横にあるメーターの数字に目が行く。深夜だからって三割り増し…。この不景気な時代なのに、タクシーの料金は変わらない。いや、むしろ以前よりも値上がっている。本当にふざけた商売だ。

 苛立ちが増すと頭を支配しようとする破壊衝動。罪もない運転手の後頭部を見ていると、先ほど使用したナイフでそのまま刺し殺したくなってくる。

「今日は遅くまでお仕事だったんですか?」

 ワシがそんな事を考えているなんて知らず、運転手は呑気な質問をしてくる。

「ああ、まあそんなところだ」

「サラリーマンの方って本当に大変なんだなって思います。どのようなお仕事をされてるんですか?」

 この男…、人が黙っていりゃあペラペラと気安く話し掛けやがって。

「普通のサラリーマンだよ」

「事務職の方ですか?」

 この野郎…、人が大人しくしていると思って、図に乗って質問ばかりしやがって。

「いいから黙って早く目的へ行ってくれ。疲れているんだ」

「あ、すみません」

 神妙な空気が流れるが、それからワシたちは黙ったままホテルまで到着する。

 チェックインを済ませると部屋まで行き、早速湯船にお湯を張った。熱い湯に浸かり、今日の仕事の疲れを癒そう。待っている間、目がトローンとしてくる。朝から会社に行き、まだ休んでいないのだ。そろそろ限界だった。

 ワシはお湯を出しっ放しのまま、いつの間にか寝てしまう。

 

 名も知らぬ女が、ワシに向かって何かを叫んでいた。

 誰だ、この女?

 どこかで見たような気はするが……。

 気に留めず真っ直ぐ歩いていくと、今度は別の方向から違う女の姿が見える。

 またも知らない女。

 何故か泣き喚いている。

 無視を決め込んで進む。

 すると次々に違う女が現れては、様々な感情を隠そうともせずに何かを訴えていた。

 全員が全員とも名も知らない奴ばかり。

 しかし共通するのが、どこかで見たような気がという点だけ。

 やがて朧ではあるが、男の姿が見える。

「ば、馬鹿な……」

 その正体は、ワシが止めを刺したはずの今は亡き父親だった。

 すっかり成長し、中年になったワシを恨めしそうに見つめている。

 その視線に薄気味悪い何かを感じた。

 もう一人、その横に立つ影が見える。

 シルエットから男なのだと分かった。

 一体何だ、この空間は?

 ホテルに行ったはずじゃなかったのか?

 疑問を感じつつも、不思議と前に進む自分の足。

 近づくにつれ、そのシルエットが同僚の先日事故で亡くなったばかりの鈴木だと気づく。

 父親に鈴木…、みんな死んだ奴ばかりじゃないか……。

「あれ、外山さん…、まだ気付いていないんですか?」

 鈴木が笑顔のまま口を開く。

「気付く? 何に対して?」

「嫌だなあ~、外山さんはトボけちゃって…。ここにいる人たちは全員死んだか、もしくはあなたに強引に犯された女性ばかりじゃないですか」

「何だとっ!」

 その瞬間、どこかで電話のコールが鳴る音が聞こえた。

 

 薄っすら目を開く。眩い光が見える。こうこうとついた部屋の明かり。周囲を見ると自分が取った部屋だった。さっきのは夢だったのか? それにしても何故あんな夢を……。

 ベッドの横にある電話のコールが鳴っている。これか、現実に引き戻してくれたのは。受話器を取り、電話に出た。

「フロントです。大変恐縮ですが…、お客様のお部屋の水道がずっと使われているかと思うのですが…、何かありましたでしょうか?」

「水道…? あっ! 申し訳ない。湯船に湯を張ろうと出しっ放しのまま、疲れて寝てしまったみたいです。すぐ止めますので」

 電話を切ると慌てて風呂場へ向かう。中は熱気とモクモクの白い水蒸気に包まれている。大きく手を動かし水蒸気を掻き分けながら進み、湯を止めた。こんな熱湯じゃ、すぐには入れないな。

 部屋に戻る。時刻は夕方の五時になっていた。馬鹿な? あれから十数時間も寝てしまったというのか…。そんなに寝た記憶などないが…。そうか、部屋の時計が狂っているだけかもしれない。携帯電話での時計も確認してみた。間違いない…、夕方の五時……。

 テレビを点け、意味もなく画面を眺める。

 昨日今日といつもと違う気がした。あの漫画喫茶のせい? それともあのイカサママッサージのせいか?

 違う……。

 あの先ほど見た妙な夢のせいだろう……。

 死んだはずの父親に同僚の鈴木。それに出てきた女すべてワシが犯した女? だからどこかで見たような気がしたのか。ここにいる人たちは全員死んだか、もしくはあなたに強引に犯された女性ばかり…、そう鈴木は言っていた。つまり、これまで犯した女たちの中で、自殺をした奴もいると言いたいのか? 全部がワシのせいだと……。

 ふざけるな、ワシはただ犯しただけ。死ぬのは本人が勝手にその道を選んだだけの話に過ぎん。だいたい父親の命を奪ったのはワシじゃが、鈴木の奴は事故死。こっちとはまるで関係ない。馬鹿馬鹿しい。

 精神的に疲れているから、あんな夢を見るのだ。

 熱い湯に浸かり、それから時間を気にせず寝よう。待てよ…、十数時間も寝ておきながら、まだワシは寝ようというのか?

 いや、眠ければ好きなだけ寝ればいいんだ。ここはワシが取った自分の部屋。夜まで特にする事など何もない。それまでゆっくり何度だって休み、英気を養おう。幸い土曜の夜中から日曜の夜まで部屋は取ってある。

 また横になり、目を閉じた。一時間も経てば、湯船の温度も自然と下がり入り易くなるだろう。

 これまで霊という存在など否定したいたワシ。それが先日の会議で見た鈴木の霊? あの一件からおかしな事が増えた気がする。

 もちろん人間は死ねばその人生が終わるだけの話で、霊や魂、そして生まれ変わりなどない。鈴木を見たというのは単なる目の錯覚に過ぎん。あの場所にいた全員が目の錯覚? みんなが同じ人間を見たという事実。ワシが見たものは霊だと言うのか……。

 再び起き上がり上半身を起こす。

 時刻は夜の十一時二十三分になっていた……。

 おいおい、今ちょっと横になっただけで何故そんな時間が経っている? いくら何でも時間が経つのが早過ぎる。携帯電話の時刻を確認すると、同じく夜の十一時二十三分。

 おかしい。不可解だ……。

 そんな寝た覚えなどないし、変だ……。

 まああと少しすれば計画に実行できる分、自分にとってはいい事になるのか。

 やる前に周辺を下調べする必要がある。外へ出ていい場所を探索するか。ひと気のいないところを。

 鏡を見ながら付け髭をつけメガネを掛ける。水性スプレーで髪を茶色に染めようとして思い留まった。ホテルを出る際、フロントの人間に姿を見られる事になってしまう。ここはいつも通り通過して、外で変装したほうがいいか。いや、いちいち人の顔など覚えていないだろう。ワシがフロントの人間の顔を思い出せるか? どんな面をしていたかさえ、覚えていない。当然向こうもそうだ。

 丹念に髪をスプレーで茶色に染めていく。よし、これで変装完成。懐へナイフを忍び込ませる。

 部屋を出てエレベータへ向かう。フロントの前を通過する際、意識して顔を見せないよう外を眺めるふりをした。

 外に出て、辺りの探索を開始する。実行時間は夜中の二時頃。二時間ちょっと時間を掛けてベストポジションを探せ。駅やホテルの周りは避けたいところだ。

 元々この近辺は寂れているせいか、活気のある場所がほとんどない。それに伴って人も少ない。好都合ではあるが、肝心の女が通らないと意味がなくなるな。時間帯などあまり気にせず、気に入った女が通り掛かったら状況を見ながら襲ってしまおう。

 三十分も歩き回った頃、対面から一人の女が歩いてくるのが見えた。

 おやおやお嬢さん…。暗い夜道に女手一人歩きは大変危険な行為ですぞ、ヒヒヒ。これは人生経験として体に教えてやらないといけないな。なかなか端正で綺麗な顔立ち。胸がいまいちないのが気に食わぬが、この際贅沢など言っていられない。女の進む百メートル先には小さな公園があった。そこまで来たら背後から口を塞ぎ、一気に連れ込んで犯してしまおう。

 対面から来る女とすれ違い、しばらくそのまま歩く。そしてゆっくり振り向いた。女はワシの事など気にも留めない感じで普通にスタスタ歩いている。進行方向を百八十度変え、忍び足で女に近づいて行く。抜き足差し足忍び足。あと少しで公園に差し掛かる。

 ワシは後ろから女に襲い掛かり、声を出されぬよう口を手で塞ぐ。暴れ出す女。構わず強引にそのまま公園の中へ連れ込んだ。

 乱暴に地面に押し倒し、懐からナイフを取り出す。ゆっくりと相手の喉下まで近づけると静かに口を開いた。

「騒ぐな…、これが目に入らないのか? 喉元を掻っ切るぞ」

「……」

 女の目を見ている内に不自然な事に気付く。何故この女、こうも冷静でいられるんだ? 突然襲い掛かられ最初は抵抗をしていたが、ジッと変装したワシの顔を見つめている。その視線には何故か強い意志が感じられた。

 ナイフを顔まで僅か数ミリ単位のところまで近づける。

「おい…、脅しじゃないんだぞ? 綺麗な顔に傷をつけたいのか?」

 それでも女は震える様子も怯える様子もない。何だ、コイツ……。

 その時背中に強烈なダメージを感じ、ワシの体は地面を転がった。慌てて身を起こす。すると一人の男が仁王立ちして、こっちを睨んでいる。その男は懐から黒い手帳を取り出して静かに言った。

「警察だ。婦女暴行の疑いでキサマを逮捕する」

 押し倒されていた女は平然と立ち上がり、服についた土を手で払っている。それからワシを見て「残念だったわね。最近この辺りで変質者が多いという苦情があったので、今日は調査していたの。警察官に手を出すなんてね」と不敵な笑みを浮かべた。

 一体何だ、この展開は……。

 ワシは持っていたナイフをメチャクチャに大きく振り回し、公園から走って逃げた。

 

 何も考えず全力疾走でただ道を走った。疲れたとか息がとかそんな言い訳など通用しない。今は全力で逃げる事しか頭にない。

 運がいいのか悪いのか、たまたま一台のタクシーが通り掛かる。ワシは手を大きく振り車を停めさせると、すぐ乗り込んだ。

「どちらまで?」

「早く出せっ! とにかく出せっ!」

「は、はい……」

 すごい剣幕にたじろぎつつも車を発進させる運転手。あのホテルにバックを置きっ放しのままだし、まずはホテルまで行きたいところだが、この状況でここいらにいるのは非常にマズい。あとで連絡を入れ、金なら払うから後日取りに行くと伝えればいいか。

 それにしてもまさかあの女が警官だなんて、何たる失態だ。変装をしておいて本当に良かった。いきなり蹴りを入れられた背中がズキズキ痛む。あの男…、ワシを足蹴にしおって。いつの日か寝首を掻いてやる。

 背後を確認してみた。あれでパトカーがつけてきたら、ワシは一巻の終わりだ。突然の逃走に警察もそこまで考えていなかったのか、あとをついてくる車はない。しかしこのタクシーナンバーを見られた可能性がある。一度駅まで行って車を変えたほうがいいかもな。

「所沢…、いや…、東村山だっけ? 次の駅は?」

「え、あ、はい…、そうですが」

「そこまで頼む」

「かしこまりました」

 そういえば土曜に鈴木の通夜をするとか会社で行っていたな。ワシは元々参加などするつもりなかったからどうでもいいが。しかしこんなハメになるぐらいなら、形だけでも参加しておけば良かったな。

 東村山の駅に到着する。ワシはポケットから財布を取り出そうとして愕然とした。

「ば、馬鹿な……」

 財布がない……。地面を転がった際、あの公園に財布を落としてしまったのか? だとするとかなり厄介な展開になってしまう。

「お客さん、どうしたんですか?」

 まずは金を取りに自分の住まいへ。

「悪いがやはりここでなく、日暮里まで行ってくれ」

「日暮里? えっと都内の日暮里ですよね?」

「タクシー的には儲かるだろうが! 文句を言わず早く行けっ!」

 財布の中には自分の身分証明書の相当する類が入っている。すぐワシの素性など警察の手によって割れてしまうだろう。人生初めての窮地だった。

 どうする?

 どうしたらいい?

 すぐ日暮里のところにも警察は来るだろうし、いずれ会社にも……。

 これまで積み上げてきた人生にストップが掛かったと判断していいだろう。ならば貯蓄した金を一刻も早く出さないとマズい。幸いキャッシュカードは部屋に置いてある。それを取って金を引き出さねばならない。

 あの会社はオジャン。逃亡生活になるだろう。それでもワシにはこれまで貯めた金がある。それでひっそりと今後の人生を楽しめばいい。

 待てよ…、どうせあの会社とはこれでオサラバなのだ。月曜の朝には上野駅で撮影をするが、警察もまさかそこまでは現状で分かるまい。ならばずっと抱いてみたかった同僚の澤井知世…。あの女をうまく撮影中誘い出し、犯してから姿を消すのも悪くないな。

 

 

~八章 現実~

 

 無事同僚の鈴木の通夜を済ませ、翌日の日曜日も部屋でゴロゴロする俺。あれは一体何だったのか色々考えてみたが、やはり彼の霊を見たという事になるのだろう。

 そして金曜に川崎の紹介で出会ったバーのマスターの香田という男の話。その事実には計り知れない衝撃を覚えた。あまりの気分の悪さに同席した川崎や澤井には何も言えないぐらい薄気味悪いものだった。

 以前俺が執筆した初ホラー作品の『ブランコで首を吊った男』。始めの話に出てくる主人公は亀田という冴えない中年男性であるが、ヒロイン役として作ったキャラクターが香田静香というものだったのだ。あの香田の亡くなった妻の名も静香……。

 同姓同名なだけならいい。しかし息子をも亡くした香田。その名を聞いたところ、隆志と言った。俺は『ブランコで首を吊った男』のキャラクター設定で、静香の子供として隆志という人物も登場させていた……。

 まさか自分で作り上げたキャラクターがリアルに存在している…、いや、存在していたという事実。自分で書いた作品が、こうまで偶然が重なるなんて事あるのか?

 俺の幼少時、ブランコで首を吊った男がこの作品を書かせたと、あの先生は言った。すべて自分の頭の中でキャラクターを作り上げ、この小説はこう書こうと思って一気に書き上げたつもりだったのに。

 何故あとになって、こうも奇妙な出来事が俺に圧し掛かってくる? 確かに作品の中で俺はヒロイン役の香田静香とその息子の隆志を死亡させた。それが現実でもリアルに存在し、設定通り死んでいたという事なんてあるのか? 作った話が実はどんどん現実味を帯びていくという連続。

 やはりあんなホラー映画作りになんて、参加しようとした俺が間違っているのか? あの先生はそういったものは呼び寄せると以前忠告された。それでも仕事だからと割り切っていたつもりだが、そんな事などお構いなしって言うのかよ……。

 それでも明日になれば、上野駅周辺で朝からテスト撮影がある。断るには会社を辞めるしかない。せっかく苦労して決まった会社をそんな理由でまた辞めなきゃいけないのか。

 確かに今の仕事環境に対し、ワクワクしている自分がいたのを否定できない。

 だからって本当にこんな薄気味悪いものが自分に押し寄せてくるなんて願った事などなかった。自分では分かったつもりになっていただけで、本当はもっと恐ろしい事が起きるのでは……。

 さすがに現在執筆中の『出会い系の白馬に乗った王子様』の筆が止まる。頭が非常に混乱し、何一つ文字を打てない。

 俺は今後、身の振り方をどうしたらいい?

 出した小説の印税は未だ入らない。かといっていい給料の勤め先が保障された訳でもない。また金のない惨めな生活に入れって言うのかよ……。

 こんな心境など知らず、好き勝手に罵倒してくる家族。金が無くなれば離れていく知り合いたち。そして裏切り行為……。

 あの時は精神異常をきたし、自殺寸前までいったというのに……。

 今の会社で生涯をだなんてそこまでの気持ちはないが、生活が安定し、人並みの生活が送れている事だけは事実だ。

 知り合いからはよく何でもできるからいいなと言われる。しかしあくまでもそれは傍から見た姿だけであり、実際の俺は器用でも何でもない。不器用に一つの事にしか専念できない人間だ。

 とにかく同僚の鈴木の死の件もある。今、俺まで会社をそんな理由で抜ける訳にはいかないだろう。

 どちらにしても、明日は会社へ行く。じゃないとまた惨めな生活が待っているだけなのだから。

 人間は生きている限り、腹だって減るし喉も渇く。必要最低限の金は必須だ。誰もが現状に満足をしている訳ではない。不満を感じつつ、もどかしさを感じつつも、毎日同じ時間に会社へ向かい、金を稼ぎながら時間を過ごすのである。

 一時期うなるような個人の遊びでは使いきれないような金を稼ぎ、どうでもいいくだらない使い方をして金をなくした。周りからは何だこの馬鹿と思われただろう。

 しかしそのせいである程度人間の本性というものが見え、また地元で商売を始めた結果、人間というものがいまいち信用できなくなった。

 現在はこれといった目的意識がハッキリと定まらない状態で、日々を過ごしているだけ。

 これ以上余計な事で傷つき、騙されるのは嫌だった。

 いけない、いけない…。どうも考え込むと、ネガティブな方向へ行ってしまう。本題に戻ろうじゃないか。

 まずは同僚の澤井知世についてきたという白い女性の正体と起因。それは香田の勤めるバーへ行った事がきっかけだった。同じく同僚の川崎道子が香田から情報を聞き出し、それを探る。白い女性の名は香田静香。マスター沢田智典の亡くなった妻であり、俺の書いた『ブランコで首を吊った男』にも出てくる同姓同名の女……。

 謎の部分、それは何故静香の霊が、無関係の澤井知世の元へ行ってしまったのかという点に尽きる。

 あの時はショックでそれ以上の会話ができなかった。今にして思えばもうちょっと突っ込んだ質問をしておけばと後悔がある。

 現在川崎のマンションに泊まっている澤井。川崎のところに来てから彼女は静香の霊を見ていないとは言っていたが、果たして本当の事なんだろうか? 普通に考えれば、バーに行ったから澤井に憑いてきてしまったと考えるべき。ならば住まいを一時的に川崎の元変えたぐらいで、そんな簡単に現れなくなるものなのか。

 俺自身が作り出したキャラクターじゃないか、香田静香は…。何かしらの因果関係って思いつかないのか? いや、ただの同姓同名って偶然なら、俺は関係ないのかもしれない。

 この日はいくら考えても名案など何一つ浮かばなかった。

 

 翌朝になり再び一週間が始まろうとする。俺は起きるとシャワーを浴び、スーツに着替えた。

 家を出て東武東上線川越市駅まで向かう。電車に揺られながら池袋駅へ到着。ここから山手線へ乗り越えだ。歩きながら、またあの北口にあるジンギスカン屋へ行きたいなと思い出す。

 さらに混み合った車内に乗り、上野駅へようやく辿り着く。

 確か不忍池口に集合って言っていたよな。その方向へ歩いていくと、酒巻や数名のカメラマンたちの姿が見える。酒巻の奴、亡くなった鈴木の代わりに場を仕切ろうと張り切っているからな。まあ何を言われても、あの先生を紹介する事はないが。

 片隅で澤井と川崎の姿を見つけたので声を掛けてみた。

「おはようございます」

「あ、神威さん、おはようございます。仕事だから知世も嫌々こうして現場まで来ましたが、キャスター役には他のエキストラの方を使うとか考えてほしいものです」

 後輩の澤井をかばうような川崎の発言。彼女の思いやる気持ちはよく理解できる。

「酒巻さんがちょっと走り過ぎってところはありますよね」

 陰で愚痴を言い合ったところで撮影準備は着々と進む。今日はテスト段階なのだから、澤井を無理やりにはと強く言えるタイミングではなかった。

 そういえばあと一人、外山の姿を見掛けないが……。

「はい、じゃあ澤井さん、まずはそこに立っていただいてと…。さっき渡した台本の台詞は暗記しましたよね?」

「は、はあ……」

「では、撮影に入りますよ。準備はいいですね?」

「はい……」

 カメラが回り、澤井知世の顔がアップで映し出される。彼女は覚えた台詞をゆったりとした口調で喋り出す。

 俺や川崎はただその光景を見守る事しかできない。

 冒頭の短いシーンなので撮影は無事終了し、澤井は少しの間解放された。

「お疲れさま、知世。結構遠目から見ている分にはなかなかしっかり撮れていたと思うよ」

「緊張で今もドキドキしていますよ」

 女子社員同士の会話を聞きつつ、周囲をグルリと見渡した。今日は社長って来ていないのか。結構張り切っているように見えたけどな。

「ん?」

 アメ横の方向から外山の姿が見えた。あの人、遅刻でもしてきたのか。やる気を元々感じないような人だったけど、撮影初日から遅刻ってどうなのかな。

 横断歩道を渡り近づいてくる外山。近くになって表情を見た時、俺は愕然とした。僅かこの土日を挟んだだけなのに、どうも顔色がおかしい。いや、やつれているといったほうが適切か。

 彼は俺の横を通り過ぎるのに視線すら合わせようとせず、黙ったまま澤井や川崎のいるところへ向かっている。朝から嫌な感じであるが年上だし上司でもある為、感情を出さないようにした。

 外山は澤井に何か話し掛けているようだ。聞き耳を立てながら近づく。

「澤井さん…、ちょっと会社が呼んでいたので至急来てもらえるかな」

「え、会社って…、誰がです? 社長がって事ですか?」

「そうそう、社長が何でも用事あるみたいだから至急呼んできてくれって」

「はあ……」

 ここから会社まで十分も掛かる距離ではないし、外山の言い方は何もおかしくない。しかし何となく引っ掛かるものを感じた。

「川崎さん、ちょっといいですか」

 俺は川崎に声を掛けた。

「はい、何ですか?」

「外山さんの言い方自体問題じゃないんですけど、撮影しているって分かっているのに彼女をわざわざ会社へって不自然な何かを感じたんです」

「あ、神威さんもですか? 社長なら知世の携帯電話番号ぐらい知っているだろうし、直接電話で言えば済む話ですからね」

 話している間にも、外山は澤井を連れてどんどん先を進んでいる。

「念の為、俺がこっそりあとをつけますよ。川崎さんはここで待機していてもらえます?」

「ええ、そうですね。よろしくお願いします」

 外山らは横断歩道を渡り終えたところ。俺は見失う訳もいかず、慌てて追い駆ける。

「キャーッ!」

 少しして澤井が大きな悲鳴を上げた。

 その声のデカさに、俺や川崎だけでなく、酒巻やカメラマンたちも振り向いたほどだった。呆気に取られた外山。一人でその場から走り出す澤井。

 一体何があったんだ? 俺も急いで彼女のあとを追い駆けようとすると、川崎が肩に手を掛けてきた。

「ね、ねえ…、神威さん……」

「ちょっと離して下さいよ。澤井さんを追い駆けないと。尋常じゃない様子ですよ」

「そうじゃなくて…、あそこ……」

 そう言って川崎は外山がいる辺りを指差す。

「え……」

 指された方向を見ても、外山の姿しか見えない。

「川崎さん…、あそこって何かあるんですか?」

「バーから憑いてきたっていう香田静香の霊が、あそこに立っている……」

 呟くように彼女は言った。

 外山のいるところを見ても、彼の姿以外誰も見えないが……。

「え、どこにです?」

「外山さんの目の前にいるじゃない……」

 川崎には見えて、逃げ出すようにして走り出した澤井にもおそらく見えたはず。しかし俺にはまるで見えない。霊感があるないの違いでなのか?

 いくら目を凝らしても静香の霊が、俺には分からなかった。

 しばらく眺めていると、向こうから数名の制服を着た警察官が見える。ボーっとしている外山の元へ、近づいているようだ。そして何かを話し掛けられていた。職質でも受けているのか? そう思っていると、いきなり外山に襲い掛かるようにして道路に捻じ伏せだした。

 何かを大声で叫ぶ外山。しかし何を言っているのかまでは、こちらに聞こえない。やがて警官は手錠を取り出して外山の右腕にはめようとしていた。

 おい、いくら何でもそりゃちょっと横暴過ぎるだろ。俺は外山の元へ走る。一瞬だけ振り向いて川崎へ「川崎さん、澤井さんを追い駆けないと」と怒鳴る。

 横断歩道を信号無視で渡り、彼のところへ行く。そして警官に向かって声を掛けた。

「おい、お巡りさんよ、ちょっと酷くねえか」

 俺の言葉に睨む警官。

「何だ、キサマ?」

「キサマ? 口の利き方をもう少し勉強してから話したほうがいいんじゃねえのか、おまえは」

「この男とどんな関係だ?」

「同じ会社の上司だよ。いきなり目の前でそんな乱暴な真似見たらよ、さすがに見過ごせないだろうが」

「この男は婦女暴行の容疑がある。それを知ってまだ止めるつもりか?」

「え……」

 警官の言葉に対し、俺は固まってしまうだけで何も言い返せなかった。少ししてサイレンを鳴らしたパトカーが到着すると、手錠を掛けられた外山は両脇を抱えられるようにして中へ連行される。

 うな垂れたまま状態の外山。逆らう気力すらない様子だ。

 みんな、その光景を黙って見送るしかできない。

 俺は彼が立っていた位置をもう一度近くで見てみる。しかしそこにいるという静香の霊は何も分からないし、感じる事さえできなかった。

 

 翌日になって会社に一通の退職願が届く。宛名は澤井知世。この奇妙な出来事の連続に対し、堪え切れないような理由が書いてあったと社長は言う。

 当初は俺と酒巻、鈴木、外山、川崎に澤井と六人のスタッフで製作に当たるはずの『世界で一番怖いホラー映画』。

 たった数日でスタッフの数が三人になってしまった。

 一人は交通事故で亡くなった。

 一人は婦女暴行で警察に捕まる。他に余罪も色々判明したようで無期懲役にはなるんじゃないかという噂だ。

 一人は退職してしまう。

 俺も川崎もそこまで乗る気ではなかったから、製作は打ち切りになるんじゃないかと会話をしていた。あれだけ張り切っていた酒巻も、何故か意気消沈したようにここ最近は元気がない。

 社長はそんな状態でも、新しいスタッフを入れるからやれと命じる。

 しかしある日になって、その業務命令を聞く事はなくなった。

 何故なら続けようとした社長自身が脳溢血で急に倒れ、翌日には亡くなってしまったからだ。

 これで製作に関わった関係者で、二人目の死人となる。まったく製作の件と無関係だとはさすがに思えなかった。

 

 

~エピローグ~

 

 ムッとした蒸し暑さの中、私は縁の下の日陰に入りながらうちわを扇ぐ。東京と決定的に違うのは、湿気の無さだろう。

 あんな大勢の中で日々を暮らしていたなんて、どん臭い私にはきっと合わなかったんじゃないのかな。田舎で何もないところだけど、こういう自然に囲まれた場所のほうが合っているみたい。

 久しぶりに帰ってきたせいもあって、お母さんやお父さんも妙に優しいし……。

「おーい、知世ちゃーん。郵便だよ~」

 ギコギコと自転車を軋ませながら郵便局のおじさんが家に向かってくる。こんな風な郵便局員なんて、東京じゃまず考えられないしね。思わずクスッと笑ってしまう。

 届いた一通の手紙。元上司でお世話になった川崎さんからだ。

 元気でやっているのかな、先輩は。早速中身を開けて見てみる。

【おっす、元気でやっているかい、知世。あんたがいなくなって私はとっても寂しい気分で毎日を過ごしているよ。結局あのホラー映画の件なんだけど、社長が脳溢血で亡くなっちゃったから、中止になったんだ。だからあんたも早まって辞める必要性なんてなかったんだけど、あとの祭りだよね。あ、そういえばさ、最近神威さんちょっといいかなと思って飲みに誘ったんだけどさ。彼、現在彼女はいないみたいだけど、断られちゃったわよ。失礼しちゃうわ、プンプン。 川崎道子】

 そっか、製作の…件、中止になったんだ。

 あの上野駅で撮影した最後の日…、外山さんに連れられて歩こうとしたら、突然あの白い女性…、香田さんの奥さんがまた私の前に姿を現した。今までない恐ろしい表情で私を睨んでいたように思う。

 一目散に逃げながら、もうこれでこっちには住めないなって実感した。

 それにしても私があの女性の恨みを買うような真似なんて、一体何をしたって言いたいのだろう?

 読んでいる内に大笑いしてしまった。先輩には失礼だけど。相変わらず変わらないなあ、先輩は…。あ、約束したプール付きのホテルも行ってないっけ。まあ今度上京…、ううん、旅行で向こうに行った時でいいよね、約束を果たすのは。

 先輩も本当に男男って…、そんなに彼氏がいなきゃ駄目なのかな。あれがなければ本当に素晴らしい人だと思うんだけど。

 そういえばこっちに戻ってきた噂を聞いたのか、すぐ同級生だった太一君、家まで駆けつけてくれたっけ。久しぶりに会ったけど、お互い年を取ったなあって思った。もっと私も若い頃は肌だってツルツルしていたんだけどな。

 部屋に戻り、アルバムを開いてみる。こういうタイミングでもないと、なかなか昔の自分なんて見ようとしないからね。生まれたばかりの頃、そして幼少時代。うん、目元とかって全然今と変わらない。

 突如、私の携帯電話が鳴る。着信は川崎先輩から。

「はい、もしもし」

「手紙届いたかい?」

 手紙を読み終わったぐらいに電話なんて、先輩らしくて無性におかしい。

「ええ、今さっき読み終わったばかりです」

 吹き出しそうになるのを堪えながら言った。

「あれ出したあとに、分かった話なんだけどさ…。一応伝えておこうかなと思って電話したの」

「伝える事? 何をです?」

「最後のあんたの撮影の日なんだけど、外山さんが来て知世を連れて行こうとしたでしょ? あれ、本当に危なかったんだ」

「…と言いますと?」

「外山さんって裏でかなりの人数を強姦していたらしいのね。中にはショックで自殺した人もいたらしいわよ」

「え、マジですか?」

「嘘言ったってしょうがないでしょ。それであの日なんだけど、警察にこれまでの悪事が発覚して逮捕する寸前だったらしいから、あのままあんたが付いていったら、同じようにされていたんじゃないのかなって」

 電話を終えると、その場に力尽きたように座り込む。改めて実家へ戻ってきて良かった。もう幽霊騒動も、人間的な怖さを感じる事もないんだから。

 自然とアルバムへ視線が向かう。中学生の頃の自分を眺めていると、一枚の写真に目が止まる。

「キャッ!」

 思わず出る悲鳴。私は持っていたアルバムを放り投げていた。

 何であの白い女性が、普通に私やお母さんのそばで映っているの……。

「どうしたの、知世? 近所迷惑でしょ、大きな声をあげて」

 お母さんが部屋に入ってきた。

 私は震えながらアルバムを指差した。

「何よ? 写真? アルバムがどうしたの?」

「中学生の時の私の写真…、お母さんと私以外に知らない女性が写ってて……」

「知らない人? 通行人か何かじゃないの? まったくあなたは怖がりなんだから」

「だ、だって……」

 アルバムを拾い上げると、お母さんは中を見た。するとそれまで笑顔だった表情が真面目なものに変わる。

「し…、静香……」

 何でお母さんが、香田さんの亡くなった奥さんの名前を知っているの?

「ちょっと、お母さん…。どうしたの?」

「ずっと内緒にしていたんだけどね…。私には腹違いの妹がいたの。あなたが生まれた頃、本当に可愛がってくれたんだよ。知世が物心つくかどうかぐらいの年になると、家を駆け落ち同然で父の言う事を利かずに飛び出しちゃってね。それ以来我が家では妹の静香の事はいない者としてきたの。当然彼女が写る写真はすべて燃やしてしまって……」

「でも、この写真にはハッキリと……」

「それが十年ほど前になるんだけど、静香は首吊り自殺をして亡くなったって警察から連絡があってね。ちょうど知世がこの中学時代ぐらいになると思うけど。だからここに静香が写っている事自体があり得ないの」

「……」

「実はこっそり姉である私だけ本当にたまにだけど、連絡をくれていたんだ…。いっつも自分の近況とかより、知世は元気かってそればかり気にしていてね……。ずっと…、ずっと知世の事を亡くなってからも、こうして見守ってくれていたのかな」

 あれだけ恐怖の対象として見ていた白い服の女性。それが実は、私とは叔母の関係? しかもずっと大事に姪っ子を見守ってくれていたの? それなのに私は必要以上にただ怖がる事しかできなかった……。

 叔母である静香にしたら、どんな気持ちで私を見つめていたのだろう。

 最後に上野駅のところで見た叔母の姿。恐ろしい表情で私を睨んでいたと思ったけど、あれはああする事で、私を危険から守ってくれたんじゃないのかな……。

 改めて叔母の静香が写り込んだ写真を眺める。不思議と怖さは感じない。この人が私をずっと守ってくれていたから?

「ありがとう…。前は怖がっちゃってごめんね……」

 中学時代の私の写真の上に、一粒の涙が零れ落ちた。

 

―了―

 

題名『業務命令「世界で一番怖いホラー映画」を作れ』 作者 岩上智一郎

2010年7月24日~2010年8月17日 原稿用紙270枚

ジャンル ホラー作品として執筆

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