2024/12/19 thu
前回の章
歌舞伎町でガス抜きをした俺は、現在執筆中の『鬼畜道 ~天使の羽を持つ子~』を始めから見直してみた。
二千十年二月二十三日の時点で、原稿用紙四千五百三十六枚。
尋常ではない長さになっている。
物語は繋がっているけど、各章という形である程度の枚数に分けたほうがいいのでは?
生まれてから小学校卒業までを幼少編。
中学時代を中学編みたいな形に。
そういえば小学三年生の頃の担任だった福田文彦先生。
子供の頃以来会っていないけど、元気なのかな……。
上尾で神社の神主という変わった経歴を持つ先生だった。
高校時代の榊先生同様、俺にとって未だ頭の上がらない先生。
少しこの辺りに戻り、推敲してみるか。
小学校一年生の龍也は、近所のパチンコ屋『ジェスコ』の息子と同級生でよく道端で遊んでいた。
この子の家も僕らと同じ三兄弟で、龍也の同級生の吉岡は長男だった。
顔立ちが特別格好いいという訳ではないが、映画館の『ホームラン』で見たジャッキーチェンに似た顔立ちをしていたので、とても強い奴だと僕は思っていた。
よくパパに連れられ『ジェスコ』で床に落ちている球を拾い、台に設置されている手打ちのバネで弾いて遊んだ。
当時『アレンジボール』というパチンコ台とは一風変わった台があって、百円玉を入れると「ガッガッ」とすごい音を出しながら二枚のコインが出てくる。
内容は決まったパチンコ玉の数を手打ちで調整しながら打ち、画面に表示された数字のパネルをビンゴすればメダルが出てくるというもの。
僕は、相撲取りが動く台のパチンコを好んでよくやった。
強くなりと常に思っていた僕は、そのパチンコ屋の息子の吉岡の頭を叩いたり、蹴ったりするようになる。
ジャッキーチェンに似た男をやっつける事で、強くなれると勘違いしていた訳だ。
外見とは逆にすぐ泣き出してしまう吉岡。
それでも僕は構わず叩いた。
ある日、連繋寺の『ピープルランド』にパン屋の太郎ちゃんと遊びに行く約束をして、家の前の路地を歩いている時だった。
道沿いにはパチンコ屋『ジェスコ』がある。
電信柱があり、その陰に吉岡が隠れていた。
僕からは見えないとでも思っているのだろうか?
気付かないふりをしてそのまま歩くと、吉岡は絵の具で使うバケツを持っていて、僕目掛けて水を引っ掛けてきた。
いたのは予測していたので水をかわすが、横っ腹に少しだけ掛かってしまう。
「この野郎っ!」
僕は吉岡の髪の毛をつかみながら、グーでボコボコに殴りつけてやった。
しかし彼は鼻血を出しながら、僕に掛けた水の染み付いた洋服を見ながら、「やった」と満足そうに笑っていた。
薄気味悪さを感じた僕は、この日を境に吉岡を苛める事はしなくなった。
それからしばらくしてパチンコ屋『ジェスコ』は潰れ、吉岡の家族はどこか別に場所にいってしまった。
今ではもう二度と連絡すら取れない。
僕はクラスの女子をよく苛めるようになった。
男の子は好きな女の子を苛めるものだと、誰かが言っていたが、残念ながら僕には該当しなかった。
ただ、苛めて困る顔を見るのが楽しかった。
だから僕は無差別に女子を苛めた。
男子の中では英雄扱いでも、女子には嫌われた。
でも、全然へっちゃらだ。
休み時間になると、数名で女子は固まり僕を警戒するようになった。
比較的おとなしく苛めたらすぐ泣きそうな女の子は、苛めのリストから外していた。
ある日、クラスの中で些細な事から男子対女子の対立が起きた。
僕の前に座る隣同士の男女が口喧嘩から始まった。
この時はまだ休み時間である。
「おまえって猿みたいだよな」と男子生徒の深沢が言った。
この男、ひょろッとしているが、クラスでも頭一つ分つき抜けた身長がデカい男である。
「何よ、あんたなんてウドの大木じゃない」と女子生徒の益田清子が言い返す。
後ろの席で、どうでもいいような言い合いを眺めていた。
ただお互いを罵っているだけの言い合い。
途中で益田が涙ぐんでいた。
「もうこんな奴の隣は嫌だ」
「俺だってごめんだよ。おまえがどっか行けよ」
深沢の言葉に、その子は爪で腕を引っかきだした。
益田は引っかき技が得意なせいか、あだ名は『キーちゃん』と呼ばれている。
いや、名前が清子だから『キーちゃん』なのか分からない。
でもすごい勢いで引っかいている。
深沢は泣きながら髪の毛をつかみ出す始末。
目の前で取っ組み合いの喧嘩に発展した。
たまたま益田の振り回した腕が、僕の頭に当たる。
僕はその中に飛び込み、戦火はどんどん拡大した。
ただ見ている男子にどんどん号令を掛けた。
「おまえら、女どもをやっちゃいよ。男を舐めるんじゃねえ」
僕の号令で面白いように喧嘩の輪があちこちで勃発する。
男子の司令官はいつの間にか僕になっていた。
この小さな戦争にクラスの半分以上は参加した。
クラス内の男女戦争とも言うべき結末は惨めなものだった。
ママから殴られ慣れていた僕は、同級生の攻撃が怖く感じなかった。
隣の女子が泣き出すと、あちこちで悲鳴や鳴き声が聞こえ出した。
授業が始まるチャイムが鳴り、自然とみんなの動きが止まった。
みんな、地べたに座り込んでへとへとになっている。
小さな戦争に参加した大部分の子が怪我をしていた。
結果的には男子の優勢勝ちだったろう。
でも、そんな事はどうでもよくなっていた。
「何をしてるんだ、おまえら」
気がつくと、教室の入り口に福山先生が立っていた。
驚いた表情で、教室の状態を見てから怒った顔に変化する。
あれだけ騒がしかった教室は一気にシーンと静まりかえった。
「神威君が悪いんです」
誰かが泣き叫んだ。
僕は声をした方向を睨んだ。
すると、女子が一斉に僕の名前を言い出した。
見る見る内に先生の顔は赤くなり、僕だけを見ていた。
「神威が首謀者か?」
先生は僕に真面目な顔で聞いてきた。
緊張が走る。
「はい、クラスの女子が生意気だったんです。だから男子にやれって号令掛けました」
僕がそう言うと、先生は近づいて腕をつかんだ。
かなり怒っている、ヤバいなあ……。
僕は内心とは裏腹に、みんなの見ている前だからと無理して強がった。
「神威、先生と来い」
強引に立たされる僕。
涙が出そうになるが、一生懸命こらえた。
「みんなも先生のあとをついてこい。いいか、全員だぞ」
福山先生に腕をつかまれた状態で、僕は廊下を歩いている。
クラスのみんなも無言であとからついてきた。
体育の授業でもないのに、一クラスの生徒が一斉に廊下を歩く姿は、他のクラスにどのように見えたのだろうか。
行き先を告げられないまま、着いた到着場所は体育館だった。
僕の腕をつかむ先生の手が離れた。
体育館の中にいるのは、僕と先生の二人のみで、残りの生徒は扉の外から様子を伺っている。
先生は無言で用具室へ向かい、運動マットを引きずり出していた。
そのままマットを横に三枚並べると、ちょうど正方形に近い形を作った。
「みんな、中へ入れ。早く入れ」
先生の声は顔と同様に厳しかった。
うな垂れながら重たそうな足取りで、体育館に入るクラスメートたち。
僕一人だけが違う場所にいた。
「神威、上履きを脱いでマットの上にあがれ」
先生に言われるまま、マットの上にあがる僕。
僕にとって、目の前のマットはプロレスのリングのように見えた。
「クラスの女子に手を出したように、先生にも掛かって来い」
「……」
いくらそう言われても、先生に突っ掛かるなんてできる訳がない。
掛かったところで、コテンパンにやられるのが分かる。
「どうした、女とか弱いものには暴力を振るえても、先生にはかかって来れないのか?」
「くそぉー」
僕はみんなの見ている前だというプライドもあり、先生に突進した。
大きな手が頭を抑え、僕の突進は簡単に止まる。
先生はそのまま力を入れて頭を強引に押した。
僕はマットに転んだ。
悔しい……。
何で僕だけがこんな思いをしなきゃならないんだ。
「どうした、もう終わりか?」
「ちくしょ……」
僕はそう言い掛けて慌ててやめた。
ママがヒステリックな鬼の顔になった時の台詞をあれだけ怖がっていた僕が使おうとしている。
やや、間があいて辺りはシーンと静まり返る。
「くっそー……」
再び立ち上がり、僕は先生に向かっていった。
結果は何度繰り返しても同じだった。
何で僕はこんな事をやっているのだろう。
身体がクタクタだ。
この場から逃げ出したかった。
でも、何故か必死に突っ掛かっていった。
「がんばれ、龍ちゃん」
誰かの声が聞こえた。
純治君だった。
隣の男子は焦った表情で見ている。
「馬鹿、ヤバいだろ。そんな事、言っちゃ……」
「うるせえ、龍ちゃんは何度も倒されたって、立ち上がってるじゃねえか」
「頑張れー、神威君」
幼稚園の時からの同級生だった洋介君まで、僕に声援を送り出した。
「がんばれ……」
「がんばれっ、神威っ」
この間、殴り合いの喧嘩をした神谷君の声まで聞こえた。
「頑張れよー」
純治君や洋介君の声で触発されたかのように、あちこちで声援があがりだした。
心の中に温かい何かが流れてきた。
ママの打ち方に比べたら、先生は手加減してくれている。
僕がここで投げ出したらどうするんだ?
正しい、正しくないは別にして勇気が湧いてきた。
何度も向かっていき、何度も倒された。
クラスのみんな全員が真剣に注目していた。
あれだけいがみ合っていた女子からも声援が起きだした。
「分かった。もういい」
静かに福山先生は言った。
僕は汗をぬぐいながら、先生の目を見た。
「みんな、ちゃんと見ていたか。先生は女に暴力を振るう男が大っ嫌いだ。神威は悪い事をしてしまった。ここにいるみんなもそうだ。神威は自分で率先してやった一番悪い奴だ。だから先生は神威を何度も倒したんだ。でもな、神威は諦めないで何度も先生に掛かってきた。悪い事は確かにした。でも、それからこいつは逃げなかったんだ。だからみんなも勝手に声援を送り出したんだろ? 仲良くしようとしれば、おまえらできるんじゃないか。先生が何も言わなくたって分かってるんじゃないか。今の気持ちを忘れないでほしい…。神威、よく頑張ったな……」
「ご、ごめんなさ……」
「もういいんだよ、神威。よくやった」
今まで踏ん張っていた何かが、急になくなった。
僕はみんなの前で泣いてしまった。
そんな僕の姿を笑う人間は誰一人いなかった。
代わりに全員が拍手をしてくれた。
自然と起きた現象だった。
今まで送られたどんな拍手よりも暖かい拍手だった。
福山先生の顔は体育館に来てから、初めて笑顔を見せた。
僕はこの件で、前よりも先生が大好きになった。
小二でお袋が出て行き、自由を手に入れた当時の俺は、本当にガキで色々な事を勘違いしていた。
それを福田先生が、その腐った精神を叩きのめしてくれたんだ。
本当にいい先生だったなあ……。
俺は小学時代を描いた作品へ、再び息吹を与える。
深沢なんて偽名じゃなく、俺の全日本プロレス入りを邪魔したんだから、本名で大沢と書いてやれば良かったか。
まあそんな事はどうでもいいか。
あの当時を思い出しながら文章に投影していると、どうしても福田先生に会いたくなった。
神社の神主をしているのだろうか?
幼少編を書き終え、中学編へ。
表現方法の一つで難問にぶつかった。
ここは正しい漢字で表記したい。
色々考えていたが、閃く。
俺にはKDDIというバックボーンがあり、言葉についてのプロの先生を知っているじゃないか。
KDDI時代に知り合った、通称『おあやの先生』。
久しぶりに電話をしてみて聞いてみよう。
この先生って、結構お偉いさんみたいでアナウンサーとかにも発声練習の口の開け方とか、コミュニケーショントレーニングとか、え~と何て言ったっけなあ…、そうだ、『パラランゲージ』だ。
パラランゲージって、言葉と共に生じる動作や態度の事をいう。
もちろん俺も、当時はそういった研修とかも踏まえ、顧客の苦情処理に応じていた。
何故『おあやの先生』なのかと言うと、当時俺がつけてあげたありがたい仇名。
『赤巻紙黄巻紙青巻紙』とか『生麦生米生卵』とかのそういった早口言葉。
こういった早口言葉を早く喋るのでなく、いかに正確に口の開き方や、発声をちゃんとできるかというポイントを踏まえ、企業を代表する応対を心掛ける。
…で、その中に『おあやや、おははうえに、おあやまり』というのがあり、俺はトレーニング中、大爆笑した。
こんな事を自分の娘に言う母親なんている訳ないだろうと……。
俺があまりにも吹き出していたので、一緒に受けていた連中も、みんな我慢できず吹き出してしまい、研修にも何もならない状態に。
最後に『おあやの先生』は「次の宿題として一番難しい、または苦手と思ったものを選び、次の場でそれぞれ発声してもらいます」と話す。
当然俺は『おあやや、おははうえに、おあやまり』を選ぶ。
それで次の時に『おあやの先生』という仇名をつけた。
当時仕事中、あまりのクレーマーに対応した俺は「おあやの先生ー、この馬鹿、無茶ばかり言うから、こういう場合って……」と声を掛けると「岩上さん、駄目ですよ! あくまでもお客様です。ですからお客様と言って下さい」と焦っている。
「そんなの分かってますよ。客に直接言う訳ないじゃないっすか」
「ですから、こうやって聞かれていない場でも、お客様と言わなければいけません」
「分かりましたよ。そういえば『おあやの先生』って『中野美奈子』とか『彩パン』に教えた事あります? もしそうなら俺、結構ああいうの好きなんですよ。今度会わせて下さいよ~」
「岩上さん…、今は業務中ですよ」
あとで上司に呼び出され、「岩上さん、あの先生に向かって何が『おあやの先生』なんですか? 怒られますよ」と文句を言われたっけなあ。
「だって本人だって怒らず笑ってんだからいいじゃないっすか」と答え、おあやブームは会社に徐々に浸透していく。
当時を振り返ると、ついつい脱線してしまうな……。
今回『中学編』を執筆中、小学生たちがやるゴムボールの野球。
俺たちは『ていきゅう野球』と呼んだが、実際作品に文字として出す場合『低級』なのか、もしくは『庭球』なのか?
中学時代、野球部だった同級生の飯野君や他の人間に電話しても、この時間のせいか誰も出てくれない。
そこで言葉の講師である『おあやの先生』に久しぶりに電話してみる。
「あら~、岩上さん、本当にお久しぶり。今は何をしてらっしゃるの?」
「プーです」
電話口の向こうで、「ギャハハ」と腹を抱えながら笑っている様子が分かるような声で聞こえた。
この野郎、どこがパラランゲージなんだ……。
「だって…、あー、笑っちゃう…、ギャハハ……」
「……」
「本当は何をしているの?」
「今ギネスに挑戦してんすよ」
「はあ?」
「そんな事よりも、野球あるじゃないですか。小学生がゴムボールでやる野球」
「ええ」
あ、仕事の時は「ええ」という対応自体、上から目線なので「はい」にして下さいなんて言ってたくせに……。
「あれって『ていきゅう野球』ってうちら子供の頃言っていたんですが、漢字は庭の『庭球』か高い低いの『低級』なのか、分からなくて……」
「あれはスポーツ用語ですから、私の分野外ですよ」
「駄目ですよ。おあやの先生なんだから、ちゃんと答えて下さいよ」
「でも…、う~ん、普通『庭球』ってテニスを指す言葉ですよね? だからそっちかとは思うのですが……」
「じゃあ、そっち使います。どうも。間違っていたら、あとで責任追求しますからね」
「え、ちょっと岩上さ……」
用件が済んだので電話を切る。
よし、謎は解けた……。
これより執筆モードに入ろう。
もし、間違っていたら、あとで文句を言ってやるか。
グーグルからハガキが届く。
海外から?
何だ、こりゃ?
そういえばユーチューブから俺の動画が人気あるから、広告収入入るので、グーグルアドセンスの登録をお願いしますってメール来てたっけなあ……。
登録だけはしといたけど、実際いくらぐらいの収入なんだろう?
向こうから指定された動画。
何故UFOキャッチャーの映像なんだ……。
これ『岩上整体』時代の動画だから、半そで着ているし、多分二千七年の七月とかそのぐらいのやつだぞ。
気になる報酬額って……?
二千九年十二月、千二十七円。
二千十年 一月、千六百五十二円。
おぉ、徐々にだが収入が増えているぞ。
たった一個の動画で、こんなに……。
まだ他の動画も登録して下さいってあったっけ。
こんなもので金になるのか。
近所の子供たちにお菓子奢ってやろう。
上尾市平方にある八枝神社。
小学三年生の頃、その神社の神主が、俺のクラスの担任だった。
当時テレビで放送された水谷豊主演の『熱中時代』を好きだった先生は、いつだって生徒に体当たりで接してくれた。
でも、先生は小学生ギャングと呼ばれる俺たちの時代に対し、頭を悩ませていたのだろう。
小学四年生の一学期が終わると、先生は『家庭の事情で』と学校を辞めてしまった。
クラスほとんどの生徒が泣いている中、俺は我慢して、家に帰ってからワンワンと大泣きした。
そのあとの担任に、お寺の住職をしている先生がなった。
その先生も負けないぐらい熱血で、いい先生だった。
そんな事を思い出しながら、今の作品を必死に書く。
『鬼畜道 一章幼少編』を完成させた俺は、今の彷徨った教育方針に対し、どうしてもこの作品を教育委員会に見せたかった。
拙く未熟な文章ではあるが、想いだけは乗せた自負はある。
教育というものの一環に役立てればと思ったのだ。
でも、その前にしなきゃいけない事がある。
小学三年生といえば、八歳か九歳ぐらい?
今、三十八歳だから三十年近くの時が経った。
どうしても福田先生に会い、『鬼畜道 一章幼少編』を自分で本にして、プレゼントしたくなる。
同級生の滝川兼一に電話をして、福田先生の事情聴取を行う。
「久しぶり、ケンチン。うちらの小三の時の担任で、福田先生いたじゃない。あの先生の神社って知ってる?」
以前先生の神社の近くの高校へ通っていたケンチンは、詳しく神社までの道のりを教えてくれる。
だた神社の名前までは思い出せないようだ。
電話で話しながら、「待てよ? 今、こんなにネットが便利になった時代なんだから、上尾の平方にある神社を調べてみよう」と探ってみる。
その地域で神社は一つしかなかった。
電話番号まで書いてある。
二千十年三月四日、夜の九時。
俺はその電話番号に電話を掛けてみた。
「はい……」
男の人の声が聞こえる。
「夜分遅く申し訳ございません。私、岩上と申しますが、福田先生…、いえ、福田文彦先生という方は神社でいらっしゃいますでしょうか?」
「私ですが……」
自分の耳を疑った。
あの時の先生が今、こうして……。
「小学校三年桜組だった岩上です…。先生覚えてますか……」
「おお…、岩上か……。今、何をしてんだ?」
「一応…、小説家をしてます……」
前回KDDIの『おあやの先生』に言った「プーです」なんて、とてもじゃないが言えなかった。
「おお、そうか…、本当に久しぶりだな……」
俺は泣きそうになるのを堪えながら、今、長編小説でギネスへ挑戦している事、そしてその作品の『鬼畜道 一章幼少編』を書き終え、先生にどうしても会って作品を渡したかった事を伝えた。
十五分ぐらいの会話の中、俺はこれまでの人生を簡単に説明する。
賞を一度獲った事。
もう別の賞を獲ったところでそんな立ち位置など変わらないだろうから、ギネスブック公認されるような小説を書き進めて、世界一を目指す事。
全日本プロレス時代の事を伝えると、先生は「マネージャーで行ったのか?」と言う。
身体の線が細かった俺、今の姿などまるで想像もつかないのだろう。
会って、ビックリさせようじゃないか。
そして浅草ビューホテルへ流れ居場所を探せず、歌舞伎町へ渡り裏稼業をした事。
浄化作戦で捕まり、留置所へ入った事。
サラリーマン生活に馴染めないので『岩上整体』を開業した事。
手短にすべて説明した。
そして三月十日、午後二時。
約一週間後……。
数三十年ぶりに再会の約束をした。
忘れずに道順を書いておく。
氷川神社の前の道を真っ直ぐ。
入間川を超えると、リバーサイドフェニックスゴルフ場があり、すぐそのそば。
皮肉な事にその道の通りに、先生が辞めたあと担任になったお寺の住職をしていた先生のお寺が、埼玉医大の手前にある。
お寺の田中先生とは、俺が全日本を目指している時、幹事で小学校三、四年のクラス会をして呼んだ。
神社の福田先生とは当時連絡が取れなかったのだ。
『今だから言えるけど、俺は福田先生にはジェラシーを感じていた。あの先生のあとを継ぐ形で担任を受け持ったが、果たして俺で大丈夫なのか』と、二十一歳の時代にやったクラス会の時、静かに俺に言った事がある。
帰り道、この田中先生にも会いに寄ってみるか……。
それじゃ、本を二冊作らなきゃいけねえじゃねえか、面倒だなあ。
福田先生が『幼少編』を読んだら泣かす自信はある。
でも、逆に田中先生がこれを読んだら、嬉しくもあるだろうけど、寂しく感じさせちゃうかな。
いや、『新宿クレッシェンド』を二冊持っていけばいいのか。
電話口の向こうで、福田先生は静かに言った。
「おまえたちを教えてきた頃は、俺も二十七、八歳だったなあ…。なあ、岩上…。俺に会いに来てどうするんだ?」
「学びに……、そして今の俺を…、少しでも知ってもらいたくて……」
極自然と言葉が出た。
ずっと詰まっていたものが吹き出しそうになり、最後は涙声になってしまった。
小学校の時唄った『希望のボレロ』という歌を思い出す。
福田先生とはまるで関係ない歌なのになあ……。
「今も~僕の胸に響く~、僕たちの~愛のメロディ~……」
寂びの部分だけ歌詞を思い出した。
今度同級生たちを集めて、みんなで唄ってみたいな。
このタイミングだったからこそ、やっと会えるんだろう。
俺は先ほどのケンチンに電話をして、お礼を言う。
ずっと会いたいと思っていた。
でも、手掛かりが分からなくて会えずじまいだった。
このタイミングでこうなった事に対し、本当に感謝を覚える。
福田先生に会って何を話す?
いや、違うな……。
まず会いたい。
そして現在は無職ではあるが、ここまでの軌跡を辿った俺をそのまま見てほしいのだ。
「分からない事は格好悪いと考えず、ハッキリ分からないでいい。地位や権力にしがみつかず、格好をつけない事。そして女性(奥さん)には触れ合いが大切だ」
約三十年ぶりに再会した恩師の言葉……。
場所は川越の居酒屋ぼだい樹を選んだ。
俺が小学三年生の時二十七、八歳だった先生は、五十七歳になっていた。
今は神社の神主をしている。
同級生を一人だけ呼んだ。
『岩上整体』時代、顔を出してくれ、そのお母さんにも散々お世話になった同級生を俺は選んだ。
そのお母さんを見て、俺は『擬似母』という作品を思いつき、まだ執筆途中ではあるが、いずれプレゼントしたいと思っている。
「私はねあんたが小さい時から、お母さんが家から出て行って、よく近所の人たちが噂してたのを知ってたんだよ。うちの子と同じクラスだったし、心配してたけどさ。そこは私が口を挟む問題じゃないしね。そんなあんたが、駅前で整体を始めたって聞いてね。私は頑張ってほしいなって素直に思ったの。だから自然とここに来るようになってね。ここが閉まっちゃうのは寂しいけど、試合で怪我とかしちゃ駄目だよ。これからも頑張ってね。小説も何もかも……」
岩上整体を辞める事を伝えた時、俺にそう言ってくれた森田昇次郎のお袋さん。
あれから一年半ほど経つけど未だ感謝は絶えない。
福田文彦先生との約三十年ぶりの再会の場へ、俺は森昇を選び声を掛けた。
それだけの年月が過ぎたのに、わざわざ上尾から川越まで来てくれた先生。
そして忙しい時間を縫って参加してくれた森昇。
この二人に深々と頭を下げた。
給食でハンバーグ一つに、ハンバーガー用の二つくっついたパンが出た時の事を話す。
いつもならみんな、パンを半分にちぎり、ハンバーグも半分にして挟んで食べる。
ある日福田先生が「今日はこのパンの食べ方を教えるぞ」と給食時言い出した。
先生は一つのパンにハンバーグを丸ごと挟んで食べろと言う。
残ったもう一つのパン。
当然クラスメイトたちからは不満の声が出る。
「いいか、もう一つのパンはだな……」
そう言いながら、教壇の上にドンと紙の箱を置く先生。
「先生がさっき買ってきた揚げたてのコロッケを挟んで食べるんだ」
突然のサプライズにクラス中から歓声が上がる。
「こんな小学生活を過ごせた俺たちは幸せでした」と先生へ伝えると「ん、そんな事あったか?」としらばっくれる先生。
福田先生は年を取ったせいか、少しだけ嘘つきだ。
優雅で有意義な時間は、本当に時間が経つのが早い。
夜中の一時過ぎまで夢中で話し、先生は二万近い金額の代金までご馳走してくれた。
「先生、そんな訳いきませんよ!」
「馬鹿野郎、森田は妻子持ち、おまえは無職だろうが」と先生は笑いながら言う。
本当に昔と全然変わらないなあ……。
先生は昔と全然変わらず、そしてこんな俺に対し、男気があって先生は嬉しいと言ってくれた。
「お袋が出て行って自由を履き違えていた俺に、それを教えてくれたのは先生です。その芽を大きくしてくれたのは、今は亡きジャンボ鶴田師匠であり、支えてくれているみんなです」
あの時の感謝の言葉を俺は三十年の月日が経ってから、初めて先生に伝える事ができたのだ。
「そして師の教えを自己で消化し、発展させるのは弟子の役目です」
先生は終始、目を細めながら笑顔で頷いてくれた。
新宿歌舞伎町時代を過ごし、やさぐれていた俺。
群馬の先生の「表社会を歩きなさい」と言われた意味合いが、少しだけ理解できたような気がする。
岩上整体開業前に、最初のピアノの先生である飯島敦子先生との再会。
開業中に『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ』の受賞。
そして処女作『新宿クレッシェンド』の書籍化。
負けたけど、たくさんのマスコミの話題になった総合格闘技復帰戦。
ミクシィで小説の師匠しほさんとの出会い。
そして今回の福田文彦先生との再会。
あのまま新宿で裏稼業を続けていたら、この内一つも叶わなかったかもしれない。
今は無職だけど、この先輝かしい未来がひょっとしたら待ち受けているんじゃないか……。
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