6月20日、京都府と奈良県の境にある木津川市加茂町の当尾(とうの)地区へハイキングに 行ってきました。この地区は南都仏教の影響を色濃く受けて僧侶が修行に打ち込み暮らした 庵が寺院になり、多くの修行場と多くの磨崖仏が建立されています。岩船寺や浄瑠璃寺の 周辺は道標としての石仏が里一帯に建立されていて、私達を見守ってくれているようです。 ![]() ![]() 京都からJR奈良線で木津駅まで行き乗換てJR大和路線の「加茂駅」で下車、 バスで岩船寺(がんせんじ)まで乗車しました。 ![]() ![]() 岩船寺の山門前石段の手前に巨岩をくり抜いて作られた「石風呂」が置かれている。 鎌倉時代の作で、岩船寺の最盛期三十九坊の僧がこれで身を清め岩船寺へお参りしたという 岩船寺の「山門」の前に南北朝時代の地蔵石龕(せきがん)像)がある。 ![]() ![]() 岩船寺は関西花の寺25ヵ所の1つでアジサイ寺とも呼ばれる 右は本堂、平安時代の阿弥陀如来坐像が安置されている。 ![]() ![]() 左の画像で正面に見える三重塔はアジサイの花などで埋もれて見える。 右の画像の左寄りに「十三重石塔」がある。この石塔は正和3年(1314年)に妙空僧正が 造立したものと伝えられ、軸石のくぼみの中から水晶の五輪舎利塔が見つかったという。 「十三重石塔」は重要文化財に指定されている。 ![]() ![]() 「三重塔」は境内突き当たりの台地の上に建てられている。承和年間(834~847年)に仁明天皇が 智泉大徳の遺徳を偲んで宝塔をを建立したのが最初であり、後、鎌倉時代や室町時代にも 再建されたといわれている。最近大修理されて創建当時の色彩を取り戻したといわれている。 三重塔」の東側やや小高い場所に「鐘楼」が建っている。「三重塔」の近くから「鐘楼」付近 更に南側の斜面に沿って多くの紫陽花が植えられている。 ![]() ![]() 本堂と阿字池 池の周りはアジサイに埋もれているが、池の中はスイレンが咲いている ![]() ![]() 五輪塔(重要文化財) 石室不動明王立像(重要文化財) ![]() ![]() 鎌倉時代末期の地蔵石仏 石碑、石仏が境内にもたくさんある ![]() 山門を出て、岩船寺から浄瑠璃寺へと向かう。途中約4kmと短い ハイキングコースでしたがこの間にも数カ所の石仏がありました。 ![]() ![]() 山門を出て急坂を下ると「一願不動」と呼ばれる不動明王立像に迎えられる。 高さ約1.2mで頭上に開花蓮を載せ、右手には棍棒を持ち、怒っている様ですが 何処となくユニークなお顔です。一心に一つのことを願えば叶うといわれています。 ![]() ![]() 岩船寺からの路と浄瑠璃寺へ下る路の分岐へ着く。途中に「八畳岩」と言う大きな岩がありました。 ![]() ![]() 浄瑠璃寺への分岐を左に少し行くと当尾(とおの)のシンボル「わらい仏」に出会う 当尾の石仏の中でも最も知られた阿弥陀三尊像です。蓮台を捧げた観音、 合掌した勢至の両菩薩を従えた浄土への来迎を示すお姿の阿弥陀如来です。 ![]() ![]() やさしく微笑み鎌倉時代から人々を明るくしてきた阿弥陀三尊の笑顔に思わず引き込まれます 少し小高いところにあり、土地が変動したのか?「わらい仏」は少し斜めになっています。 ![]() ![]() 「わらい仏」のすぐ下に地面から顔をのぞかせている「眠り仏」も気になります。 ![]() ![]() 浄瑠璃寺方面へ戻りしばらく進むと、「からす(唐臼)の二尊」に出会う。 ![]() ![]() からす(唐臼)の二尊は一つの岩に阿弥陀如来坐像と、面を変えて地蔵菩薩立像が刻まれている。 ![]() ![]() 田畑の中に民家がみえて、東小(ひがしお)バス停の横に「あたご灯篭」があった。 三叉路に建つ形式にとらわれない変わり灯篭で、愛宕神は火の神様(火伏せ)を司っている 右画像は、そこから車道を浄瑠璃寺方面に行くと道路脇の竹藪に「藪の中三尊」が見えた。 ![]() ![]() この阿弥陀如来、地蔵菩薩、観世音菩薩 の3像が当尾銘石仏の中で最古といわれている。 ![]() ![]() 又少し歩くと、青々として太く真っすぐに伸びる竹林の先から陽が差し込み美しい光景です 遠くに見える竹林の前に大きく枝をひろげる大木、小さい花もいっぱいついているようですが… 私はあまり樹木や植物に詳しくないのですが、合歓の木かな~?下は姫女苑が咲いています ![]() ![]() 畑の横を通ると「ウリ」のような?「ヒョウタン」 のような? 豊作でした~よ! ![]() ![]() のどかな風景の里歩きを楽しんでいたらやっと浄瑠璃寺へ着きました。 正面が浄瑠璃寺山門です。 ![]() ![]() 寺号は、三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土「瑠璃光浄土」から来ています。 本堂は横に長く九体の阿弥陀如来を安置しています。 梵字の阿字をかたどったといわれている池を中心にして、東に薬師仏、西に阿弥陀仏を 配した庭園は極楽世界をこの世に表したものです。 ![]() ![]() 青葉茂る境内に、鮮やかなアジサイの花、美しい景色にうっとりします。 ![]() ![]() 三重塔前の浄瑠璃寺石燈籠【貞治5(1366)】★重要文化財 本堂前のものと同じ形式ですが 各部のバランスがよく、蓮弁などの彫刻にも優れ、この時期の名品とされています。 右の三重塔(国宝)は藤原時代平安末期の治承二年、京都一条大宮から移されてきたもの。 初層内は扉の釈迦八相、四隅の十六羅漢図などと、装飾文様で壁画が埋められている。 元は仏舎利を納めていたそうです。 ![]() ![]() 境内の鎮守跡で少し休憩しました。ここにも小さいお地蔵様がいっぱいあります。 境内には萩の花も咲いています。季節がちょっとわからなくなります~ ![]() ![]() 浄瑠璃寺を後にしてバス停まで歩きました。途中に長尾阿弥陀如来坐像が道脇の 高い所に祀られています。 美しい連弁の台座に座り、両手を腹部の前で∞形に した定印の阿弥陀です。徳治2年(1307年)からここで人々の往来見守ってきました。 像の頭上に斜めに割れ目が走っていますが、後方の山から巨岩が続き、 前面もコンクリートで固めているので、これ以上割れる心配はないそうです。 ![]() ![]() 左画像は 三体磨崖仏 元は磨崖仏だったものを、府道拡張工事に伴い 移動されたもので その際一部が破損してしまいました。右端には錫杖を持った地蔵菩薩坐像が彫られています 右画像は西小(にしこ)墓地の石仏群、各所に散らばっていた石仏を道路拡幅工事 などの際、一箇所に集めたのだそうです。 ![]() ![]() 中央の大きなお地蔵様が 「たかの坊地蔵」 小さな石仏群の中の、舟形の光背の矢田型の 地蔵尊です。頭の周りには蓮弁の光背が刻まれています。 錫杖を持たない姿のお地蔵様は 一般的に古いタイプのものとされている。 他の石仏群は室町時代のものです。 道路の西側の雑木林の中に「西小(にしこ)公民館」があり、その前に「たかの坊地蔵」がある。 ![]() ![]() 当尾の里は 石仏の宝庫でした。 あぜ道の脇や、舗装道路から少し奥まったところ、 樹々の茂みの中など、至る所で優しい石仏がたたずんでいました。全体的に緩やかな コースで石仏たちとの出会いが新鮮で、青々とした田畑には旬の野菜が育ち、美しい 山村の風景を楽しみながらの歩きでした。 ![]() ![]()
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