形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

食べものの郷愁

2013-09-18 14:28:56 | Weblog

子どもの頃食べたもので、大人になってもう一度食べてみたいと思うもの、
それはたいていの人に一つや二つあるのではないだろうか。

佐倉に引っ越してきた頃、裏の空き地で初めて家庭菜園を作った。 
10坪ばかりの畑だが、はじめのうちは面白いように野菜ができた。
胡瓜をつくったとき、おやじは大きな胡瓜を作ってくれと頼んできた。 
小さい頃食べた、畑の大きなキュウリの味が忘れられないらしい。

キュウリを成らせたまま放っておくと、短期間のうちに、すごく大きなもの
になるのを知ったのもそのときだ。 50センチはあるバカでかいキュウリを
おやじに渡してやると、大喜びで味噌をつけてかじったり、
酢の物にもして食べた。 私も食べてみたが、種が大きくパリパリ感のない、
うまいとはいえないものだった。 おやじもたぶん同じ思いだったのだろう、
お化けキュウリはじきに食卓から姿を消した。

蕎麦屋で好物の蕎麦を食べていたとき、4、5人のおばさんグループが
カレーの話をしていた。 中の一人が、昔食べたカレーの味が忘れられ
なくてさぁ、小麦を炒めるところから作ってみたのよ、と話している。 
聞いていると、その手間のかかったカレーを食べたら、全然美味しく
ないの、子どもたちの評判も悪くてがっかりしたという話をしていた。 

郷愁の食べ物を実際に食べてみると、がっかりすることが多いかもしれない。 
記憶の中の味と違うのだ。 私もいくどかそういう経験がある。
一つは、甘いものに飢えていた子どもの頃、時折、おふくろが
水溶き片栗粉を煮て、砂糖を少し入れたお菓子のようなものを作って
おやつに出してくれた。 これが懐かしく、作って食べてみると、
ただ薄甘いだけで、こんなものだったのかと思った。 
ものの少ない時代だったので、それでもうまく感じたのだと思う。

もう一つ、もう一度食べてみたいと思うもの。 子どもの日に上野動物園に
行くと、子どもは無料で入れた。 動物園の外にある、かき氷などを売る
ヨシズ張りの店で、子どもは半額の、たしか20円か30円でラーメンを
食べさせてくれた。 その頃、外食することはめったになく、ラーメン自体
私はあまり食べたことがなかった。 友だちと入ったその店で出された
ラーメンはチャーシューなどではなく、赤く安っぽいソーセージの、
ひらひらの薄切り4分の1しか入っていなかった。
それでも当時はじゅうぶんうまくて、 
行きに1杯、帰りにまた1杯と食べた。  
でも、今食べてみたらどうなんだろう。

向田邦子は「父の詫び状」(文藝春秋刊)の中の「昔カレー」で、
書いている。 「思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。
何十年もかかって、懐かしさと期待で大きくふくらませた風船を、
自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないのではないか」 と。

                       
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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ロシア漬け

2013-09-12 13:32:27 | Weblog

小学校の夏休み。 真っ昼間にオヤジは汗をかきながら、
風呂場でロシア漬なるものを作り始めた。 なんでも満州に
いた頃に食べたそうで、その郷愁にかられたらしい。 
ブリキの一斗缶に丸ごとのキュウリを主に、いろんなものを
詰め込んだ。 そしてフタをすると、ハンダ付けで密封し、
床下の涼しいところにしまい込んだ。

それから何週間かたった日曜日、そろそろ漬かった頃だろうと、
いよいよ密封したフタを開けるときがきた。 オヤジが風呂場に
持ち出した一斗缶は、なぜか不気味に膨らんでいた。 
家族も下宿人も興味津々、& 何かイヤな予感がして、
オヤジ以外の全員は、風呂場の入口から一歩下がった。 
一人取り残されたオヤジも、同じことを考えたに違いない。  
へっぴり腰で缶のふちに缶切りを当て、ザクッと切り込みを入れた。 
とたんに、ブシューッという音と同時に、すさまじい匂いと液体が
吹き出し、風呂場にたち込めた。 全員ひっくり返りそうになった。   


形容に困るが、ニンニクと魚を混ぜて腐らせたらあんな匂いに
なるのかもしれない。 その後、恐ろしいキュウリのロシア漬は、
オヤジが腹を下すこともなく、少しのあいだ食べていた。 
ご飯どきに、家族や下宿人にもすすめていたが、誰も手を出さなかった。

大きくなってから、おふくろから聞いた話では、オヤジはロシア漬の
ちゃんとした作り方は知らなかったらしい。 食べた味の記憶から
見当をつけて、一斗缶にキュウリを入れたうえ、ニンニクなど、
いろんなものを放り込んで作ったようだ。 密閉された一斗缶を使うのは、
満州の店で店の人が開けるのを見ていたらしい。

調べてみると、かつてオヤジもいた、満州のハルピンに滞在していた人が、
ロシア漬のことを書いていた。 ロシア漬というのは日本人のあいだで
言われたらしいが、実際はドイツのキュウリのピクルスとほぼ同じだそうだ。 
オヤジは後年になって、ピクルスは食べていた。 だがそれをロシア漬とは
言わなかったのは、あの失敗を思い出していたのかもしれない。 


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数珠玉(ジュズダマ)

2013-08-30 16:04:09 | Weblog

ふと思い出すと、そういえば見なくなったと思うものがある。 
この数珠玉(ジュズダマ)もそうだ。

子どもの頃、東京の私の住んでいたあたりでは、どこにでも出ていた。
女の子はこの実を採り、糸を通してネックレスにして首にかけて遊んでいた。
男の子はゴムで飛ばすパチンコの玉にするぐらいか。

いろいろなものが、いつのまにか姿を消している。
たまたま見つけると、なつかしく、また寂しくも思う。

イネ科の植物で、葉はトウモロコシの葉によく似ているが、
背はもっと低く、せいぜい1メートルほど。 
水気の多いところによく出る、ハトムギの原種で多年草。


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バースデイ、スイカ

2013-08-17 12:57:07 | Weblog

小学校の夏休み、おふくろの郷里、三重県桑名に行ったとき
私は9歳の誕生日を迎えた。 晩ご飯のとき、小学校の先生をしていた叔母は、
半分に切ったスイカを出してくれた。 スイカには9本のローソクが立ててあった。 
生まれて初めてのバースデー、スイカ!

ケーキじゃないのは、叔母の旦那、イサオおじさんがやっていた
貿易の仕事が、あまりうまくいっていないらしく、お金がなかった
のかもしれない。

そのとき、イサオおじさんから誕生祝いにもらったのは、クッキーの
空き缶一杯に入った、外国から送られてきたクリスマスカードだった。
クリスマスカードは、日本のものとずいぶん違い、異国情緒あふれるもので、
私はいつか外国に行ってみたいと思った。 
カードに混じって、アメリカ人らしい家族の写真があった。 
その中に、金髪でお下げ髪の、かわいい女の子が写っていた。 
私と同じ歳くらいに見えるその子に、私はちょっぴり恋してしまった。

 
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日夏耿之介 『道士、月夜の旅』 から

2013-06-28 12:57:06 | Weblog

            
      くに
『 わが家郷の指す方は

  くろき                          おがわ  かちわたり
  黔き寒林をかいくぐり 性急の小渓を徒渉り

                  しゅんざん おくが    あ
  灰白の雲垂るる峻山の奥秘に在る


   いわけ
  稚なきころ わが身はいつも沈黙と

   じゃくばく
  寂莫の水銀液深く潜み入り

                     てんじょう
  たまたま燃え出る格天井の

        ほかげ
  銀の燈影をなつかしみ
    』 


  

日夏耿之介(1890~1971) 英文学者、詩人


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初夏の花・半夏生(ハンゲショウ)

2013-06-27 19:20:38 | Weblog

庭のハンゲショウ(半夏生)が葉を開き始めている。
今頃は葉に白い斑が入り、しっとりした趣きのある植物だ。

1枚の葉の中で白い斑の形や大きさはさまざま。
この白い斑は、8月の夏真っ盛りになると消えて
薄い緑に変化する。 こうしたところからと思うが、
別名を、片白草(カタシロソウ)、または半化粧ともいう。
ドクダミ科の植物だが、ドクダミのあの匂いはない。

半夏生という名前は、暦で7月の始めを半夏といい、
この頃に咲くからこの名前がつけられたという。
しかしカラスビシャクの根茎も、生薬で半夏というからややこしい。

植物の名前を調べていると、うまい名前だな、と感心するものがある。 
反対にどこからその名がついたのか、不思議に思うようなものがある。 
どのような過程で、植物の一般に呼ばれる名が決まっていくのか、
興味をもっていた。

最近、「植物の名前の話」という本を読んだ。 
故・前川文夫 著。(植物学者で元東大名誉教授)。
1994年、八坂書房刊。

『 植物の語源については、古来たくさんの見解が発表されている。
いずれも一理あるが、それにもかかわらず、なるほどとうなずかせる
ものに乏しいのは事実である。 
これは従来の国語学者の手に委ねられていた語源考が、
おそらく命名の本来の、歴史的展開とは遊離した見地に立って、
単なる字句や、文字の音の上の扱いに終始してしまったこと。 
その名を負う植物の実体とその当時の人との接触点が、
まったく考慮されなかったことに大きな原因がある。』  
      (「植物の名前の話」の冒頭の一節から引用。)

この一文を読んだとき、なるほどと思った。
こういうことなら、首を傾げたくなるような名前が、
なぜつけられたのか合点がいく。

                  
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背中をのぼったトカゲ

2013-06-24 14:10:10 | Weblog

小学校の頃、遊び好きの男の子のあいだで、小さな緑色の雨ガエルや
カナヘビの子を、ポケットに入れて持ち歩くのが流行った。
朝、学校にも持って行き、休み時間にポケットから出して友だちと見せあう。
それらにはちゃんと、チビとかタロウのような名前がつけられていた。

私も4、5センチのカナヘビの子を持ち歩いていた。
カナヘビは、名前はヘビと付くが蛇ではない。 正式名は、ニホンカナヘビ
という名前の日本固有のトカゲで、どこにでもいるやつだ。 捕まえて指で
突っつくと、怒って噛みつくが、ごく小さなヤスリのような歯しかないので、
痛くもなんともない。 子どもの遊び相手に格好だった。

ある日、いつものようにポケットに入れて学校に持っていった。
暖かい日の授業。 気持ちよく居眠りしていた。
突然、真ん前でウギャー!!というかん高い悲鳴がして、
ビックリして目がさめた。
                                  
知らないうちに、胸のポケットからカナヘビが逃げだし、私の前に座って、
机に寄りかかっていた、K子ちゃんの背中を攀じ登っていったらしい。
払いのけられたカナヘビは、教室の床を逃げ回ったあげく、誰かが捕まえて
先生に渡した。 先生は指でつまんで窓から下の花壇に捨て、
私は立たされた。
「なんでこんなもの、学校に持ってくるんだー!」 バッコンッ ! 
黒いボール紙で挟まれた出席簿で、頭のテッペンを殴られた。
目から白い光が出た。 漫画によくある、頭をぶつけると目から
☆が出るっていうのは、ほんとうだと思った。
「他に持ってるヤツいるか?!」
ギョッとした友だち数人が手を上げて、 
カエルやカナヘビを差し出し花壇に捨てさせられた。

                      
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薬草・ゲンノショウコ

2013-06-18 14:08:21 | Weblog

はじめてゲンノショウコを見たのは、夏の城址公園だった。
名前は、子どもの頃から薬草として聞いていたが、実物を知らなかった。 
これがゲンノショウコとわかったのは、咲いている花を見てなんだろうと思い
調べたら、ゲンノショウコだった。 いままでに何度も見ていたかもしれない。 
それほど珍しい野草ではない。

民間で古くから薬草としてよく知られている。 
名前は「現に効く証拠」から、「ゲンノショウコ」と大昔につけられたという。
おかしいほどそのままの名前だが、それほど効能ありということか。

子どもの頃、母親に飲まされたような気がするが、どんな味だったのか、
記憶にない。 たぶんセンブリのように苦くはなかったと思う。 
健胃整腸薬として、胃の調子が悪いときや下痢したときに使われるようだ。

葉の切れ込み方が、キンポウゲ科の植物によく似ている。 
キンポウゲ科の植物には、毒草として有名なあのトリカブトがある。 
田舎の古くからの家々では、花で確かめた後の土用の頃に、
自家用薬草として採取したという。 フウロソウ(風露草)科で、
花はトリカブトとはまったく違う。 花を見れば間違えることはない。 
ピンクの花もある。



ゲンノショウコが種をつけ、それが弾け飛んだあとは写真のような形になる。 
お神輿(みこし)によく似ている。 ゲンノショウコの別名を「神輿草」という。

                      
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アリ地獄

2013-06-15 13:54:01 | Weblog

小学校の頃、アリ地獄を捕まえ、空き缶に入れて飼うのが、
男の子のあいだで流行った。 近所の神社の床下にもぐりこむと、
小さいもので直径3センチから、大きなものは5センチぐらいの、
すり鉢形の穴が地面にポコポコ開いている。 

それまでは見てなんだろうと思っても、アリ地獄とは知らなかった。 
一緒に捕まえにいった友だちに、それがアリ地獄だと教えられた。
このスリ鉢の底を、深めにすくうとアリ地獄がいる。 
どこにでもいるが、見つけるコツは雨のあたらないところ。 
木の根元の小さなホコラの中などでも、簡単に見つけることができる。

子どもがまだ小さい頃、高尾山にハイキングにつれていった。
アリ地獄のことを教えると、あっちこっちの木のほこらを探しながら歩き、
オンブもせがまず4時間近くも歩き通した。 小さな子どもでも、
こうして何か探しながらだと夢中になって歩く。

 

体長1センチほどだが、見た目はグロテスクな姿をしている。
もっと大きかったら、アニメの悪役にぴったりの姿だ。
でも捕まえても噛みつくこともなく、ただ身を縮めている。



これがあの薄羽(ウスバ)カゲロウの幼虫だというのだから驚く。
成虫になったカゲロウは、見るからに儚い(はかない)感じがするが、
幼虫の姿からは想像もつかない。
* 写真は薄羽カゲロウではなく、草カゲロウ。


空き缶にいっぱい砂を入れ、アリ地獄をそこに置くと、お尻のほうから
クルクル回りながらもぐり出す。 大きな円から、だんだん小さく回り、
頭にある2本のツノで、砂をパッ パッと外に放り投げる。 
最後はきれいなスリ鉢型の穴になり、その真ん中にもぐって、
じっと獲物が来るのを待っている。

通りがかったアリがそこに落ちると、まさに地獄で、足元のサラサラと
崩れる砂の斜面を登ることがなかなかできない。 なかには懸命に登って、
穴からの脱出に成功しそうになるのもいるが、アリ地獄は下からツノで
砂をはね上げてアリにかけ、落としてしまう。

自然の創りだす、こうした生態の巧妙さは驚嘆するしかない。
蜘蛛が体から出す糸で、巧みに網を張っていく様子を見ていることがある。 
その仕組みを、親から受け継いだというのはわかるが、その親も親から・・・・
と考えていくとわからなくなる。 一口に進化とか遺伝子というが、
それを獲得するまでの膨大な時間の流れの中で、どのようにして
獲得していったのだろうか。 
                   

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山の扉

2013-06-14 18:15:13 | Weblog

山深く 蝶をかくまう扉あり


           桂 信子(1914~2004)


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夜店の鉛筆売り

2013-05-30 14:10:28 | Weblog

子どもの頃、土曜日の夜店にときどき鉛筆売りが来た。
この頃の鉛筆の中には、すぐ芯が折れてしまったり、
なかには始めから折れているような粗悪品も多かった。 
だが夜店のは意外にまともだった。

裸電球の下、大勢の見物人に囲まれて、道に広げた
大きな風呂敷に、雑然と山のように鉛筆が積まれている。 
その鉛筆は文房具屋で売られているのと違い、
外側は素の木のままで、表面は何も塗られていない。

売るときの口上は万年筆と同じような話だった。
勤めていた鉛筆工場がつぶれ、給料のかわりに、
社長からこれを支給された、というのだ。 
完成品じゃないから塗装はされていないが、
まともな鉛筆である。 家にはかわいい子どもが、
お腹を空かして待っているなどとも言ったような気がする。

前口上が終わると、鉛筆売りの一番の見せ場が始まる。
それは切り出しナイフで、すごい早さで鉛筆を削り、
芯を長く出して見せるところだ。 私たちはこれを見るのが
面白くてしかたがなかった。

私たちが鉛筆をナイフで削るときは、芯が折れないように
用心しながら、鉛筆を短く持ってゆっくり慎重に削る。 
だが鉛筆売りは鉛筆の後ろを長く持ち、無造作にシャッシャッシャと
すごい早さで削り出す。 真似できるような早さじゃなかった。
そして芯を削り出すと、そばに置いてあるボール箱に
鉛筆をポンッと突き刺して見せる。 すぐ芯が折れるような
インチキ鉛筆じゃないよ、というわけだ。

普段は夜店に行くと言っても、ごく少ないこづかいしか
くれなかったオフクロも、夜店の鉛筆を買うというと、
お金を出してくれた。 文房具屋で買うよりずっと安かったし、
インチキじゃないのを知っていたからである。

その頃、鉛筆は貴重品で、2、3センチぐらいの長さになるぐらいまで
使い込んでいた。 今もあるかわからないが、ちびた鉛筆を差し込んで
持つところを長くして使う道具まで文房具屋で売っていた。

                  
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クリスティナ・ロセッティ「風」

2013-05-24 17:31:52 | Weblog
 
『   

     誰が風を見たでしょう

     私もあなたも見ていない

     けれど木の葉をふるわせて

     風は通りぬけていく



     誰が風を見たでしょう

     私もあなたも見ていない

     けれどこずえがゆれて

     風は通りすぎていく


                       』

すべての幼い魂に語りかける、クリスティナ・ロセッティの詩。
(1830~1894年、イギリスの女流詩人。)
原文の 「 Who has seen the wind ? 」 の who は、
風の息吹を連想させる。
 

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イタドリ

2013-05-21 13:13:48 | Weblog

イタドリは低地の明るいところで、よく見かける野草。
土手の上などにも、よく束のようになって出ている。
別名、スカンポや虎杖(コジョウ)ともいう。 
イタドリは和名で痛取と書き、その葉を揉んで痛いところにつけると、
「痛みを取る」 からきているという。

虎杖の名はその成長した姿からきているのだろう。 
大きくなると2メートルぐらいになり、竹のように真っ直ぐで、
野草にしては太い茎をもっている。 その真っ直ぐな茎を、
昔の人が虎の杖に見立てたのではないだろうか。

イタドリの出始めの、葉をまだ広げていないものは、
野菜のアスパラの形に似ている。 折ってかじると酸っぱい。 
(同じタデ科のスイバ(酸い葉)をスカンポと呼ぶこともある。)
 
春、低い山を歩いて見つけると、喉をうるおすためにかじったことがある。 
だがその酸味はシュウ酸で、結石のある人は、生ではあまり食べ過ぎない
ほうがいい。 茹でればシュウ酸の大半は流れ出るそうだ。

高知ではごく普通に、このスカンポを山菜のように食べるという。 
八百屋などにも、季節になると売っているというから面白い。 
私もその話を聞いて、幾度か採って食べてみたことがある。 
茹でてアクを抜き、皮をむいて油炒めにして食べてみたが
けっこううまい。



夏、白い穂状の涼しげな花を、葉と茎の間から、
上下に連続して咲かせる。 タデ科、多年草。


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人と旅する花・シャガ

2013-05-18 15:05:05 | Weblog

シャガは少し暗く水気の多いところで、ひっそりとした美しい花を咲かせる。 
城址公園にも、何か所か小さく群生しているところがある。 
昔、野山を歩いていて、時折、このシャガを沢の近くや、
林の中で咲いているのを見たことがあった。 
それまで自然に出ているものとばかり思っていた。

ところが調べてみると、シャガは染色体が3倍体で、種子を作らず、
球根もないという。 したがって人間が植えない限りそこには存在しない。 
人の入らぬ、まったくの自然の中には存在しないことになる。 
雄雌の交配がないので、シャガはどこにあるものでも同じ遺伝子を持つ。


人が住むときにその家の近くに植えられ、歳月を経て人が去った
のちも、その地でひっそりと生きつづける。 
私は人家の近くで見た記憶がなく、私が見たものは、かつて人が
住んでいた近くか、誰かが持ってきて植えたものなのだろう。





別名を胡蝶花といい、アヤメ科の植物で、唯一、常緑。
群生するのは、地下の根茎による。

                     
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草木瓜(クサボケ)

2013-05-17 13:07:19 | Weblog

以前、住んでいる所からそう遠くない、あまり人の入らない
雑木林を歩いていた。 そのとき地面にボケの花が落ちていた。 
だがその近くを見まわしてもボケらしい木はなかった。 
拾おうとしたら、落ちているのではなく咲いているのに気づいた。 
そこで見たのはごく小さな幼木だったが、それでも1つ2つの
立派な花をつけていた。

地面からいきなり花が出ていると何か妙な感じがする。 
私たちはたいてい、枝や茎につながるかたちで花を見慣れている。 
茎の先に花がついていたり、枝に沿って花が咲いていたりと。 
記憶に刻まれたものとは違う、別のかたちと出会うと不思議な感じ
がする。



秋にできるその実は、草ボケとは知らなかったが、低い山で
見た記憶がある。 3、4センチほどの、丸く淡い黄色の実が、
草むらの中にいくつもまとまって実っていた。 
普通、木の果実は高い枝に実る。 草むらの中に大きな実が
成っているというのも、やはり奇妙な感じがした。 
何の植物かわからないまま、面白いなと印象に残っていた。 
なるほど、草ボケの別名は、地梨である。

バラ科の植物で、日本の固有種。 花期は4~5月。
果実はよい香りがあり、果実酒に好んで用いられるそうだ。 
同じ仲間の庭に植えられるボケは、1、2メートルほどになるが、
草ボケは50センチぐらいにしか成長しないという。


からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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