形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

たき火

2009-11-26 19:25:49 | 自然と野遊び

子どもがまだ小さい頃、筑波にできたオートキャンプ場に行った。
新聞にそのキャンプ場が、オープンしたことを知らせるチラシが
入っていて、せがまれてイヤイヤ車で出かけていった。

オートキャンプ場というのはどうも苦手だ。
何よりキャンプ場で、電気まで使えるというのが一番いやなのだ。
日常生活を野外に移し変えただけのものの、どこが面白いのか、
まったくわからない。


着いたのは暗く、もう夕食の時間だった。
そのキャンプ場は野外なんていうものではなく、ほとんど町中に近い
町外れにあった。 おまけによく見れば、隣が墓地だった!
子供らを指図してテントを張り、その近くで薪で火を起こし手早く炊飯した。 
そばの木の枝に懐中電灯を逆さに吊るし、広げたゴザの上のカレーライスを照らす。  
うまそー、いただきまーす! と食べようとしたとき、下の子が、
「お父さん、なんかカッコ悪いよ~」  などと言う。

ふっと見ると、私たちは地面に座り込んでカレーの皿を抱え込んでいるが、
なんと他の家族連れはみんな、私たちの目線より、ずっと高いところで食事を
しているではないか。 思わず立って見ると、綺麗なクロスを敷いたテーブル
には、煌々と明るいランプがつき、うまそうなステーキと、お洒落なサラダ
みたいなものが並んでいる。 たしかに、カッコ悪い。 

まだ食事の用意をしている連中を見ると、キャンプ用グリルというらしいが、
小型ガスボンベを使った、2つ口の背の高いコンロで何か炒めものを作って
いる様子。 正直、そんなものがあることも知らなかった。 あれほど明るい
ランプがあるのも。

だが、やはり日常を移動しただけのようでつまらないと思う。 キャンプは
便利にすればするほどその分だけつまらなくなる。 便利さは何か大切な
ものを置き去りにするのだ。 大切なものとは、" 過程のもっている意味 " だ。

焚き火の楽しさや面白さだって同じだ。 天気のいい日に焚き火をするのは
やさしいが、雨の日でも濡れた薪を取ってきて火を熾し、炊飯することができ
る。 薪の組み方によって、少ない薪を長く燃やすこともできる。それには
経験とコツがいる。 焚き火も野外の技術の一つだ。 チャッカマンでボッと
火をつけておしまいだけではわからない楽しさが焚き火にはある。
みなさん、キャンプ用品メーカーにのせられ過ぎていないだろうか? 
お金を沢山使って、せっかくのキャンプの面白さを、なくしてしまっている
ような気がしてならない。


話は変わるが、高校生のとき仲のいい同級生と、二人とも大ファンだった
渡哲也の家に、焚き火をしているのを見に行ったことがあった。 
雑誌のインタビューの中で、渡哲也は庭で静かに焚き火をしているときが、
一番落ち着く好きな時間だと話していた。 それで大量の焚き火用の薪まで
買い込んでいるという。 家は田園調布に近い方だったと思うが、大きな
高い塀に囲まれた家で、木の多いかなり広い庭だった。 だが塀が高くて
何も見えず、2人でがっかりして帰ってきた。

形之医学・しんそう療方 東京小石川
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模型飛行機

2009-11-21 08:41:01 | 昭和の頃

子どもの頃に駄菓子屋に次いで、少年たちに人気があったのは模型屋
だった。 女の子はあまり入らなかったように思う。 模型のほうは、
駄菓子屋よりもあとから出てきた店だが、子どもが少し貯めたお小遣い
でも買えるような値段のものを置いていた。

少年たちに一番人気があったのは、模型飛行機だった。
模型飛行機といっても、今のような精密なものではない。 細い木の
胴体に、竹ヒゴを骨組みにして、紙を貼って作った翼をつける。 動力
はプロペラと、胴体の後ろに引っ掛けた長いゴムの束で、プロペラを巻い
てゴムを捩り、そのもどる力で飛んだ。 こういう模型飛行機は、
学校の図画工作の時間でも作ったことがある。

私は机の前に長時間座っているのは苦手だったが、この模型飛行機だけ
は特別で、友達と一緒に何度も作った。 それは飛行機の材料が入った、
細長い袋に青空を飛ぶ飛行機の絵が描いてあって、とてもカッコよかった
からだ。

自分で作った飛行機が、空を飛ぶのを想像しながら作るのは楽しい。
ところが組み立て方を書いた図面を見ながら作るのだが、飛ばして
みるとバランスよく作るのは難しく、よく頭から地面に落ちた。


子どもがまだ幼稚園ぐらいのとき、蒲田の路地裏で小さな模型屋を
見つけ、懐かしくて入ってみた。 入ると模型飛行機をまだ売って
いて、子どもに飛ぶところを見せてやりたいと思い買った。




それから数日後、出来上がった飛行機を持ち、意気揚々と子どもを
連れて多摩川の広い河川敷に行った。  
大空を悠々と飛ぶ飛行機を思い描きながら、土手の上で胴体を持ち、
はりきってプロペラを指で回しゴムを捩っていった。 さらに捩っていく・・・・。 

「バシャッ!」 突然、破裂みたいな音をたてて、模型飛行機は翼を
バラバラに吹き飛ばされ、プロペラの付いた、ただの棒になっちゃった。
巻き過ぎてゴムが切れたのだ。 まだ一度も飛ばしてないのに・・・・・ 
子どもとボー然と 、手の中の原型のないヒコーキを見ていた。


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リバーシブルのジャンパー

2009-11-12 18:51:31 | 昭和の頃

リバーシブルというのは、裏表使えるという意味だそうだ。
以前、リバーシブルと言われてわからず、カタカナ語辞典で調べて
わかった。 英語が苦手で、カタカナ語に弱いから、こういうことは
しょっちゅうある。

だいたいなぁ、日本語にあるのは、日本語で言えってんだ、 と
言いたくなる。 病院で仕事をしていた頃、看護婦さんがやたらに、
ナーバスになってるのよ、などと言い、ナーバスがわからなかった。

オジさん力を見透かされるのもくやしいし、見栄もあるから、
知ってるフリをして大きくうなずいていた。 それからやっと
重い腰を上げて、カタカナ語辞典というものを初めて買った。

ナーバス・・・・・  出てた。  神経質だった。 
そんなの神経質って言ってくれよ~ 
だいたい看護婦さんというヤカラは、やたら英語を使いたがる(?)。 
脱線した。


今もリバーシブルの服は売られているようだが、私が見て欲しくて欲しくて
仕方なかったのは、小学校の頃だった。 だからかなり昔からある。

その頃大流行して、子どもたちが着ていたのは、表が緑や赤のナイロンで、
裏がチェックの生地のものだった。 大人は着てなく、子ども向けのもの
だったと思う。 女の子はオシャレで着ていたかもしれないが、男の子は
オシャレのためではなく、『少年探偵団』 が大流行していたからだ。 
 
あくまでも怪人二十面相みたいなアヤしい人を尾行したり、悪いやつに
追っかけられたときに、逃げるための変装用だった。 逃げながらジャン
パーを脱いで、くるりと裏返しに着ると、もうテキはわからなくなる! 
といっても、あくまでも頭の中で膨らんだ妄想だった。


読んでいただいてありがとう!

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