オヤジは器用ではなかったが、日曜大工のような、モノを作ることが好きだった。
私が高校生の頃には、当時の家庭ではあまり使わない、電気ノコギリや電気
カンナまで買い込んでいた。 近所で大工さんが家を建てていると、休みの日
にはよくその仕事を見にいっていた。 その頃の大工さんは、身近な、モノを
つくる代表みたいなもので、人々から尊敬の念で見られていたように思う。
オヤジの作った大きなものでは、家の裏にけっこうな大きさの物置小屋を建て
たことがある。 屋根の上には物干し台までついていた。 これは幼稚園の頃、
近くに住んでいた、オヤジの友人に手伝ってもらって建てたものだ。
他にも棚や縁台を作ったり、幾度か竹を薄く削いで、竹トンボを作ってくれた。
今ではあまり見かけない、肥後の守(カミ)という、日本の折りたたみ式ナイフで、
ハネを微妙に調整して削り、オヤジの竹トンボはよく飛んだ。
昭和三十年代の頃、東京はとても寒かった。 私の好きな時代小説家、
藤沢周平は、山形の日本海側、鶴岡出身だが、その頃東京に出てきて住んでいる。
その随筆の中で当時の東京の、底冷えのする寒さを驚きをもって書いている。
東京に大雪が降った冬の日曜日、オヤジはうれしそうにスキーを作ってやると
張り切った。 楽しみに見ていると、物置小屋に買い込んであった、太い竹を
割り、フシを削って、スキーというより、短いスケートに近いものを作ってくれた。
先端はちゃんと火であぶって反りをつけた。 底にはロウソクを塗り、ヒモの
輪っかを付け、そこに長靴を入れて滑るのだ。 滑りはかなり悪かったが、
私たちは大喜びで遊んだ。
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こういう竹スキーでよく遊んだと話していた。
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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