幼稚園の頃からずっと、蒲田の隣り駅、目蒲線、矢口の渡に
住んでいた。 目蒲線は、大田区蒲田と目黒を結ぶ東急の電車で、
現在は目黒線と多摩川線に分割され、その名前は消えている。
矢口の渡では毎週土曜日に、駅近くの商店街沿いに夜店が出た。
それは子どもたちの、土曜日の大きな楽しみの一つだった。
そこに時折、万年筆売りが来た。 香具師(やし)である。
香具師というのは縁日などで物を売ったり、興行をする人のことだ。
私は中でも、万年筆売りが大好きだった。 このインチキ万年筆に
何度もだまされた。 でもなぜかまた買ってしまう。
夜店の中でも万年筆売りは、口上が面白くて人気があり、そのまわりは
黒山の人だかりになった。
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道に大きな風呂敷を広げ、その上には
青っぽい泥が山のように盛られている。 泥の中には、一本一本油紙に
包まれた万年筆がいっぱい埋まっているのだ。
香具師の口上はだいたい決まっている。 自分は万年筆工場で働いていたが、
工場が火事になって会社がつぶれてしまった。 そこで社長から給料の代わりに、
火事場からさらったこの泥まみれの万年筆を渡された、というのがその口上だ。
だからこの万年筆は、ちゃんとした工場で作られていたんだぞ、というわけ。
今考えると、工場で万年筆にインクを入れるわけがないのに、なんで
青い泥なのか、ヘンなのだが・・・・。 だが聞いているほうはそこまで
考えない。 火事になっている工場と、消防隊が水をかけている光景が
目に浮かび、泥まみれになった万年筆が目の前にあった。
万年筆売りは、泥の中から油紙に包まれた万年筆をおもむろに取り出し、
雑巾で一拭きする。 なんとそこから、ピッカピカの万年筆が出てくるのだ。
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この汚い泥の中から、ピカピカの万年筆が出てくるところが最高の見せ場で、
子どもたちの大好きなところだった。
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見物人のあいだから、驚きのまじった、オ~ッ!という声がもれる。
香具師はその万年筆の先をインク壺につけて、白い紙にサラサラと線を
書いて見せる。 どうだ、見たか!である。 たしかに見た!ちゃんと
書ける!おまけに安い!
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たしか2、3百円ぐらいで、文房具屋で
売ってる万年筆の、10分の1ぐらいじゃないかと思う。 夜店に行くのに
2百円も親からもらっていないから、家に飛んで帰って、貯めたこづかいを
持って買いに行った。
そんな週明けの、月曜日の学校の教室には、きまって、情けない顔で
万年筆を手にしてる、何人かの級友がいた。 私もその中の一人だった。
その万年筆、インクを入れて書こうとすると、ペン先からボタボタ、インクが
ノートに滴り落ちて、まともに使えないのだ。
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だからペン先をインク壺に
つけつけ書くハメになる。 それも付けペンほどもインクがもたず、
しょっちゅう壺につけないとダメで、とうてい万年筆とはいえない代物だった。
あるとき、多摩川園遊園地の出口で売っていたのは、万年筆の端に
小指の先ほどの水晶!!
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がハメ込んであるというものだった。
たしかに透明で、きれいな水晶がついていた。 だが買ったらやっぱり、
インク、ボタボタで、腹立ちまぎれに水晶をマッチの火であぶったら
燃えちゃった!
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というのもあった。
時代とともに万年筆は廃れてしまい、
夜店の万年筆売りはどこかに行ってしまった。
形之医学・しんそう療方 東京小石川
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